(3/19)サッカーくじ発売と日本のギャンブル
サッカーJリーグの開幕に合わせて、3月3日からスポーツ振興くじ(愛称toto)の発売が始まった。J1、J2の指定された13試合の結果を予想する方式で、第1節は9億円に届かない売り上げだったが、1等1億円が2口出た効果はてきめんで、16日まで発売された第2節では、売り上げが19億5943万円余と、1節の2.2倍に伸びた。今年の売り上げ目標は800億円に設定されており、平均で1節27億円売れなければ目標に届かない。ただ、日韓共催の2002年ワールドカップを前に、メディアへの発信力は高まっている。日本のベッティング(賭け事)市場へのインパクトは額だけでは測れない。
totoの当せん金は、売り上げと的中した組み合わせの票数に応じて決定される。近年、人気を集めている宝くじ「LOTO6」も同じスタイルだが、これは本来的には公営競技で採用されているパリミュチュエル・システムである。予想行為を伴い、当せん金がパリミュチュエル方式で配分されるという2点を見れば、totoは間違いなく賭け事に位置付けられる。導入前の「ギャンブルかくじか」という議論は無意味なものだった。
実は、JRAが馬券を発売する行為にも、法的な位置づけのあいまいな面がある。刑法185―187条は、賭博や富くじを禁止した条項で、JRAは特別法により刑法の適用除外となっている。だが、適用を免れている罪が「賭博罪」と「富くじ罪」のどちらなのかについては、刑法学界でも意見が分かれているという。机上の空論のようだが、どちらの解釈を取るかは大違い。もし「富くじ」であるなら、発売態勢や年齢制限など、JRAが現在服しているルールを改め、くじと同等の扱いをしても違法ではないことになる。様々な制約があるサッカーくじでさえ、売り場は全国に約6000カ所もある。現在の競馬法では、「馬券は主催者が自分で売る」という原則があり、ここを見直さない限り、売り場を急激に増やすことは難しいが、くじ並みに小規模の発売所を増やすことは、将来JRAが目指すべき方向に合致している。
刑法の解釈問題について、関係省庁は余りはっきりした答えを出さないという。結局、現状を動かさず、既得権を維持したいメンタリティに支配されているのだ。学生、生徒、未成年者の馬券購入が禁止され、大学院生や会社勤務、子育てを終えた後に大学に入り直した人までが、禁止の対象となる不合理極まりないルールが放置されてきたのも、こうした官僚の姿勢が元凶である。
totoが普及すれば、馬券との扱いの矛盾はいずれ明確になっていくはずだ。JRAは特殊法人(=行政の代行機関)という性格上、官僚の法解釈に異を唱えることなどめったになかった。だが、横浜新税の例を見るまでもなく、黙っていては背後にいるファンの利益を守れず、ひいては競馬のよって立つ基盤も危うくなる。totoのスタートを期に、「どうすれば現在の公営競技が置かれた枠組みに一石を投じることが出来るか」という戦略的な思考が必要になって来ている。
ギャンブル市場への影響はまだ測り難い。だが、デフレスパイラルが言われる日本の経済情勢を見ると、一定の可能性を持っていると見るべきだろう。例えば、中央の競馬場に入場する人の馬券購入額は、1人当たり3万円前後。近年は場内売り上げは全体の10%以下で、指標としての意味は薄れたが、不況の時代にあってはやはりぜいたくな遊びだ。totoの1人当たり購入額は800円を切る。この値段で土曜日の半日を一喜一憂できるなら、ギャンブルに価格破壊を起こす可能性を秘める。
もう一つ、totoの導入で関係者が期待しているのは「多くの人がサッカーを見る」ということだ。競馬の場合、馬券を売るためにレースを行うのが基本で、順序がまるで逆だが、今後の少子高齢化の時代に「どうやって競馬を見てもらうか」という問題意識は確実に重要性を増してくる。サッカーの場合、もともと若年層への浸透度は絶大だが、くじによって、さらに多くの人の目を引こうとしている。ひところはゲームソフトが人気を呼んだが、競馬と若者の接点は決して多くない。確かに購買力があるのは高齢のファンだが、いつまでもその層に頼っていては、先細りは目に見えている。足が地についた新規ファンの獲得策を考えるべき時であろう。
それにしても、第2節のtotoの払戻金は、2等で1万9037円、3等ではわずか2320円である。何しろ、控除率は現時点で53%(将来は50%に下がる予定)。公営競技の倍以上にも上る。これは宝くじに近い設定にしたためだが、いずれは購買者の不満も出てくるだろう。
JRAは昨年、公式文書で「控除率の見直し」を打ち出したばかり。今まで、ファンも黙っていたし、主催者も問題にしなかったのだが、価格破壊の時代には、売る側の営業努力はさらに問われる。官が何もせずにギャンブルの利益を吸い上げる時代は終わりつつあるし、また終わらせるべきだ。JRAとtotoの共通の足かせとなっている「国庫納付金」の使途は、本当に市民の理解を得られる性格のものか。率は適正と言えるのか。厳しい目で再検証する必要がある。
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