(9/10)名伯楽逝く・地方から中央に挑戦
岐阜・笠松競馬の名伯楽といわれた荒川友司調教師が8月27日、肺がんのため死去した。57歳の若さだった。中央競馬に果敢なチャレンジを続け、地方競馬のホースマンを励まし続けた功労者である。
荒川氏と言えば、1995年3月、管理馬のライデンリーダーが4歳牝馬特別(G2)を楽勝、桜花賞で1番人気となったことで一躍、注目を集めた。結果は4着だったが、同馬はオークス、エリザベス女王杯と牝馬三冠レースに“皆勤”し、競馬界を大いに盛り上げたのは記憶に新しい。
実は、それ以前に荒川氏のチャレンジは始まっていた。93年7月の小倉日経オープン(小倉)。当時の笠松最強の4歳馬サブリナチェリーを送った。だが、初めて経験する芝コースは前日の雨で重馬場。果敢に逃げたが失速、14頭中9着という惨敗だったが、荒川氏は「また挑戦します」と力強く語っていた。
ライデンリーダーもサブリナチェリーも、父は同じワカオライデン。中央競馬で18戦6勝の成績を残した後、6歳時の86年、笠松に移籍。荒川氏の管理馬になった。デビュー前から見初めていた荒川氏は、脚部不安を抱えた同馬を8歳まで走らせて、5勝を挙げた。種牡馬入りすると、産駒(さんく)を次々にきゅう舎に迎え、自ら鍛えた。サブリナチェリーは初年度産駒の1頭である。
彼らの活躍のおかげで、ワカオライデンは馬産地の人気種牡馬となった。これだけでも荒川氏の功績は計り知れないが、笠松の第一人者、安藤勝己騎手(40)を、中央の大舞台に立たせたことも大きな足跡だ。
地方競馬でトップの座を守り続ける騎手は、ともすれば同じ競馬場での戦いの繰り返しに飽き、新鮮な気持ちを失ってしまうことがある。安藤自身、ライデンリーダー出現の前はそんな状態だったと語っている。だが、同馬との中央挑戦を機に、中央や海外での騎乗に積極的に取り組むようになり、昨年は中央競馬で55勝を挙げている。
荒川氏は今年2月、NAR(地方競馬全国協会)グランプリの表彰式に病院を抜け出して出席。会見の席で、今年の期待馬の名前を挙げるなど、意欲は衰えなかった。早すぎた死は痛ましいが、荒川氏のチャレンジ精神は今後も生き続けることだろう。(野元賢一)
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