御手洗 冨士夫 キヤノン 社長
米国流より合理性
「米国流も日本流もない。経営に必要なのは合理性だけ」と言い切る。連結経営、キャッシュフロー重視、年功序列の撤廃など効率最重視の経営を強力に推し進める。今年12月期には連結売上高の3兆円超えと4期連続の最高益更新を見込む。時価総額は今春にソニーを抜き、トヨタ自動車、NTTに次ぐ日本企業3位の座を確保した。
1966年から89年まで23年にわたり米国に駐在した。「毎日帰りたくてしかたがなかった」というが、カメラなどの販売で手腕を発揮。知名度のない「キヤノン」を一躍トップブランドに押し上げた。
米国での長い経験を踏まえ「社外取締役や委員会等設置会社などは米国という競争社会では成り立っても、平等意識が支配する日本の社会では浸透しない」と断言する。米国流と言われることの多いコーポレートガバナンス(企業統治)には真っ向から異を唱える。
社長就任は95年。過大な有利子負債を抱え低収益に悩んでいたキヤノン本体で「金鉱は社内にある」と徹底的に無駄を排除。技術者の影響力が強い社内で「夢だけでは食えない」とぶち上げ、パソコンや強誘電体液晶など不採算事業からの撤退をトップダウンで決断した。
一方で複写機やプリンターなどの商品開発を強化し、今ではデジタルカメラ、フィルムカメラなどとともに世界トップの座を確保した。優良企業が多い日本の精密機械メーカーの中で、2位以下に利益率などで圧倒的な差を付けている。最近は「技術こそ競争力の源泉」と強調、研究所の拡充・増設や採用拡大など攻めの経営で走り続ける。中大法卒、67歳。
[9月8日/日本経済新聞 朝刊]
| 1935年9月23日 大分県生まれ |
| <学歴> |
| 1961年3月 |
中央大学法学部法律学科卒業 |
| <職歴> |
| 1961年4月 |
キヤノンカメラ株式会仕入杜 |
| 1966年5月 |
キヤノンU.S.A.,Inc.出向 |
| 1969年3月 |
キヤノン株式会杜と改称 |
| 1975年3月 |
キヤノンU.S.A.,Inc.副仕長(カメラ担当) |
| 1977年3月 |
キヤノンU.S.A.,Inc.執行副杜長 |
| 1979年1月 |
キヤノンU.S.A.,Inc.杜長 |
| 1981年3月 |
取締役キヤノンU.S.A.,Inc.杜長 |
| 1985年3月 |
常務取締役キヤノンU.S.A.,Inc.仕長 |
| 1989年1月 |
常務取締役本杜事務部門担当 |
| 1989年3月 |
代表取締役専務 |
| 1993年3月 |
代表取締役副杜長 |
| 1995年9月 |
代表取締役杜長 |
| <公職(現職)> |
| 1995年4月 |
社団法人経済同友会幹事 |
| 2001年1月 |
関税・外国為替等審議会委員(財務省) |
| 2002年5月 |
社団法人目本経済団体連合会副会長 経済法規委員会委員長
|
| 2002年7月 |
中国遼寧省人民政府経済顧問 |
| 2003年3月 |
知的財産戦略本部議員(政府) |
| <賞罰> |
| 1999年10月 |
レジオン・ド・ヌールオフィシェ勲章(フランス) |
| 1999年11月 |
藍綬褒章 |
| 2002年1月 |
平成13年度財界賞・経営者賞経営者賞」(財界研究所) |
| 2002年1月 |
2001年世界のトップ経営者25人 (アメリカビジネスウイーク誌) |
| 2002年8月 |
第18回企業広報賞「優秀経営者賞」 (経済広報センター)(政府) |
| 2002年9月 |
企業改革経営者表彰(内閣総理大臣) |
| 2003年2月 |
2002年世界のトップ経営者25人 (アメリカビジネスウイーク誌) |
| 2003年2月 |
第23回「毎日経済人賞」(毎日新聞社) |
|