VB設立など革新的な経営
父親である節太郎氏の仕事の関係でロンドンで生まれた。帰国後も英語に親しみ、日米財界人会議の議長を長く務めるなど日本の財界きっての国際派。洗礼名にちなんだ「トニー」の愛称を持つ。
58年に富士写真フイルムに入社。その後、節太郎氏が初代社長を務めた日米の折半出資会社、富士ゼロックスに転じた。全社的品質管理(TQC)の導入などで石油危機後の業績悪化を克服、78年に44歳で社長に就任した。
就任以降も他社に先駆けてベンチャービジネスの会社を設立したり、ボランティア活動を評価する人事制度を導入するなどの革新的な経営手法を導入。社員1人1人の個性を引き出す経営が持ち味。
99年4月、外資系企業で初の経済団体トップとして経済同友会代表幹事に就任した。「市場重視などの同友会の姿勢を変えるつもりはない」と牛尾治朗前代表幹事の路線を基本的に引き継ぐ考え。
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