第1回日経フォーラム「世界経営者会議」対話・講演・討論の全文
テーマ:「競争力を高める企業戦略」
スピーカー(文中敬称略):小林陽太郎氏 富士ゼロックス会長/経済同友会代表幹事
日時:1999年10月8日(金)14:15-14:55
場所:東京・帝国ホテル 本館2階「孔雀東の間」
【小林】きょうの全体的なテーマは「21世紀の経営モデルを求めて」だが、では20世紀の経営モデルは何だったのか。非常に単純化して言うと、20世紀の経営のグローバルスタンダードは、最初は巨大資本の独占利益をマキシマイズ極大化するビジネスモデルを中心にしてスタートした。日本においても、私がいま代表幹事をしている経済同友会が、戦争が終わった段階で変えなければいけないものの対象として挙げたのは、いわゆる古典的な巨大資本に集中した資本主義だった。同友会が掲げた修正資本主義は、資本と経営の分離、企業経営の民主化を柱にしてスタートした。言ってみれば日本を含めて今世紀の前半は、大きさは別にしてかなり資本の集中を中心を置いた企業モデルが世界のスタンダードになっていた。
もう次の50年が終わって、現在、何がグローバルスタンダード(グローバルスタンダードという和製英語をあえて使いますが)になっているか。グローバルスタンダードなどという英語はないとコレクトしないでほしい。日本では通用している。「それは欧米型である」というのが正しいのかどうか。巨大とは言わないが、やはり資本の効率を極大化するためのビジネスモデルが現在のスタンダード(主流)である。そんなことは分かっているとおっしゃると思うが、一つだけそこで考えていただきたいことがある。非常に短い時期、1960年代の終わりぐらいから70年代、80年代にはそろそろ消えかかっていたが、日本のビジネスモデルがあるいは世界のベンチマークになるかと、何となく思われた時期がある。日本の典型的ビジネスモデルは何かというと、非常におおざっぱな言い方だが、人を大切にすることと、組織の一体感と効率である。本当に人を大切にしていたかどうか、本当に効率がよかったかどうかは別だが、そういう日本の経営が世界から注目され、欧米企業はこぞって日本詣でもあってを行い、日本の経営について書いたたくさんの著者は巨額の利益を得た。その期間はあまり長く続かなかった。しかし私は21世紀の経営というときに、別に日本モデルがよかったとか戻れというわけではないが、あえて言うと、資本の効率を最重点に置いたモデルから、かつての日本型モデルとは違うが、やはり人、ヒューマンバリューを中心に置いたモデルの在り方を考える時期が来るのではないかと思っている。それは決して2005年の話でもないし、2010年の話でもないかもしれない。しかし「次の10年の経営モデルを求めて」ではなく、あえて21世紀と言うのであれば、もう少し先のことも主催者は考えているのだろうと思う。
そこで、非常に当たり前のことを最初に申し上げる。企業でも国でも競争力を高め、より高いことに越したことはないが、少なくとも競争に負けない、できれば競争に勝ち続けるためにはどうするか。先ほどケーブル・アンド・ワイヤレスさんはナンバーワンを目指すとおっしゃった。しかしほかにもナンバーワンを目指している競争者はたくさんいるから、どこがナンバーワンになるかはこれからのお手並み拝見である。ナンバーワンは一つしかない。それぞれいろいろな方法を講じてナンバーワンになろうと努力している。中には、最初からナンバーワンはあえて目指さず、むしろ意味のあるナンバーツーを目指すのだという企業もある。かつて自動車のレンタル会社でそういう広告をして大変効果を上げた企業もある。
いちばん大切なことは組織の持っているポテンシャルを最大にすることである。非常に単純だが、人間で言えば知力、体力、精神力などのポテンシャルを大きく保っていくためには、体力であればある程度訓練もしなければいけない。知力であれば勉強もしなければいけない。精神力であればいろいろ違った機会にぶつからなければ精神力は磨かれない。じっと寝ていて夢ばかり見ていて体力がよくなるはずがない。これは企業でも国でも全く同じである。ポテンシャルをどうやって常に最高のレベルに保っておくかがまず重要だ。ポテンシャルがあれば競争に勝つというわけではもちろんない。競争力をどうやって実際の結果成果に変えていくのか。ちょっとしゃれた言い方をすれば、ポテンシャルから実際のリザルト成果へのコンパージョン効果をどうやって最大にしていくか。ここが次の問題である。
21世紀のモデルについて人が再び中心的な役割を果たすのではないかと言ったが、この2つのポテンシャルを最大にしているかという問題については、日本の企業はもちろんまだまだ努力をしなければいけないが、いまの日本のポテンシャルのレベルは、どんな数字を見ても高いと言っていいと思う。
そのポテンシャルも厳密な意味で言えば2つに分けると、企業が持っている資産として、例えばマーケットという意味のポテンシャルがある。国内マーケットは最大の米国に次ぐ市場である。
そして消費者が極めて高度にソフィスティケーテッド洗練されている。日本の消費市場で勝てば、かつてと違って、米国に行っても欧州に行っても大いに勝つ可能性を秘めている。そういう消費者が日本にはたくさんいる。
盛田さん、井深さんがつくったソニーはまさに世界のブランドだったが、本当の最初は別にすれば、成功した後のソニーの商品の多くは日本でスタートして、日本のソフィスティケーテッドカスタマーがリード洗練されたカスタマーがリードし、米国、欧州、アジアのカスタマーたちが列を成して、いつ次のソニー商品が出るのかと待った。そのソニーをつくった日本のマーケットとか消費者の力はいまも厳然と存在していると思う。
おカネはどうか。これは去年あたりの、あまり高くなかった株価で計算しても、日本の株式市場の時価総額は大変なものである。その後だいぶ上がったから、いちばん新しい数字を取れば、米国を超していることはもちろんないが、非常に大きな株式市場がある。
いずれにしろ国内の市場は大変大きなものを持っている。またアジアも97年以降、少し凹んだが、我々に隣接しようとしている大きな市場がであることは議論の余地がない。
そういう意味で、業種によってずいぶん違うが、一般論としてマーケットは大きなポテンシャルを持っている。
もっと細かく言えば、国内には規制の下にある市場があって、潜在ポテンシャルは持っているが、ポテンシャルがこれが顕在化していないところもある。これはいろいろな方々がすでにこのフォーラムでもおっしゃっていると思うが、それはどんどんオープンにして顕在化されたポテンシャルに変えていかなければいけない。これは私も100%同意するがただ、それを抜いて除いても大きなものがあることは間違いない。
次に、それを成果に結び付けものにしていく、まさにコンパージョンファクターだが、具体的な力はあるのかどうか。これも「ある」というのが私の答えである。それはもちろん企業ごと、産業ごとに違いがありるが、一般的に日本の競争力はこのところかなり下がったと評価されているし、総合的にはそうである。しかし、スイスのある機関が継続的に発表している調査によれば、技術開発力では日本はコンスタントに米国に次いで2位でと、高いレベルで評価されている。米国の競争力会議が評価しているイノベーション能力では、米国の評価がだんだん下がっていくのに対して、日本は来年あたりから1位になるという。これは実はこの調査については米国の中で、いまのような状態ではいけないから意図的に米国の企業を鼓舞するためにそういう数字を出しているのだ、という説もある。しかし、20位ぐらいの日本をわざわざ上げて1位にするということはないだろう。別に米国を超えることが最終目的ではない。米国と並ぶ高いところに評価されていることは、それなりに日本の人たちが持っている革新度が高く評価されているのだと思う。これはきちっと頭に入れておく必要があると思う。
では日本は大丈夫か。私は、大丈夫でないことが3つほどあると思う。大丈夫でないことを大丈夫にすれば、ポテンシャルを結果を成果に結びつけるためのコンパージョン効果が非常に高まると思う。
一つは、皆さんがおっしゃるように、日本には戦略性がないということである。あるいは日本の企業に戦略性が乏しいということである。有名なマイケル・ポーター教授も最近の著書の中で、日本の中で戦略的と呼べる企業は3社か4社しかないと言っている。それがどこだということはあまり意味がない。重要なことは戦略を持っていることと、結果的に戦略的になることとは全く違う。戦略を結果に結びつけるためには、持っているだけではだめだ。多分、日本の企業は腐るほど戦略を持っている。中には大変高いおカネをかけて外部の機関に頼み、結局、使わずに、あるいはかちょっとテストをしてうまくいかないからと、20年後の社史の参考にしよう、としまってある戦略もたくさんある。
問題は、なぜその戦略が生かされなかったのかだと思う。私は、戦略があるかないかということより、戦略的でないというところについては、私自身の自戒も含めて、一つ重要なこと要因があると思う。私自身の自戒も含めて、戦略そのものがつくられるプロセスはボトムアップでもトップダウンでもいいし、外部がつくろうと内部でつくろうと、大した問題ではない。しかし、実施の段階ではトップがデリバー(加担伝達)しなければ戦略はまず意味がない。「担当スタッフにやらせたから適当に聞いてくれたまえ」などという戦略は最初から失敗する。トップが「全然分からないな」という部分があっても、これでやろうと決めたら、トップは自分がかなりの部分を作ったような顔をして戦略を実施に移していかなければいけない。そのときに重要なのは、戦略をその組織の中で共有させるためのコミュニケーションである。
私は残念ながらウェルチさんのお話を直接伺えなかったが、3つとか4つのEのお話をされたようだ。エナジャイズは日本語では活性化だろうか。かなり広い意味で、まさに戦略の最初のときからトップ自身がこれをデリバーして、組織の構成員の主要な人たちに「そうだな」と思わせる、共鳴感を起こさせることが活性化の原点である。
残念ながら日本は一般にコミュニケーションがへたである。私が先ほど「自戒を込めて」と言ったのはその点だが、だんだん上手になってきた。特に若い人の方が上手である。トップは著しく下手である。トップもだんだん年が若くなってきているが、こんな言い方は良くありませんが、――口のうまいトップなんて信用が置けない。何も言わず、極端な話になると、会議のときは眠っていて、ときどき目を覚まして何か言ったほうがパンチがある──これは冗談だが、別に数多く口をきくことではなく、この戦略で本当に何をやろうとしているのか。何が期待されのか。なぜそうなのか。そして組織を構成する皆さんたちはその一つのパートとして何を期待されているのか。最低そのくらいは「そうか」と思わせるコミュニケーション能力がなければいけない。
私は、ここは日本の企業の中の特にトップ層について、意識的にいろいろなことを変えて行かなければならない。けば──もう米国のことはご存じの方がたくさんおられるわけで、本当に米国の人たちはコミュニケーションを取ることについて努力をしている。スピーチの練習も含めて、いかにコミュニケーションが大切かを知っている。「子供じゃないのにこんなことまでやらせるのか」ということまでやっていく点などは学ばなければ行けないと思うし、まさにウェルチさんが代表だろうが、「実際に口先のコミュニケーションではなく、手書きファクスで意思を送る」のだというと言われたように、そのトップの熱意が伝わらなければいけない。つまり戦略をどうやってコミュニケートしてセンス・オブ・ミッション(使命感)を多くの人に共有させるかであるが大事だ。
次は、まさにIMDあるいはスタンフォードを含めて、ますます日本の中でも教育機関が重要になってくるのに専門家が足りない、あるいは少ない専門家が活用されていないという点である。
グローバル時代と言うが、グローバルという分かったような分からないようなことについて、その意味するところ、あるいは本質的にいままでと何が違うのかを理解することが必要である。あるいは財務の分野、情報の分野、法律の分野、戦略そのものをつくることもかなり多くはプロの分野である。そして法律の分野。これだけ競争が激しくなってきて、高いレベルで競争をしていくと、それぞれの分野で非常に高いレベルを持ったプロを経営の中に駆使していかないと、ポテンシャルは実際の成果に結びつかない。
別の言い方をすると、そうやってプロを持つこと自体が実は企業の持つポテンシャルを高めることにもつながっていく。昔からバランスシートにどうやってそういう人間の専門技術の高さを表すかといろいろ言われてきて、いまのところまだ特許件数とか知的所有権を代用特性としてやる測るぐらいしかない。あとはそれ以外では人間をの頭数と賃金でしか表されていない。これは日本でいまだに活用しきれていない、あるいはそういうところが本当に重要だと見ていないところで、将来に向かっての金の卵潜在的なポテンシャルだと思う。
特に大切なことは、日本の場合はまだ業種のいかんを問わず、あるいは同じ業種の中でも企業の違いを超えて通用する普遍的な、しかも高いプロフェッショナルな技術があるのだということについての認識がまだ低いことだと思う。「うちは違う」「うちは固有の文化があるのだ」「よそのやつを持ってきても通用しないのだ」──これは取締役会の社外重役に対する認識についてからまさにそうも、まさにそうである。これを変えていかないと、ポテンシャルはポテンシャルのまま残って、現実成果には結びつかない。
もう一つ具体的な例がある。日本の企業はたくさんのMBA(経営学修士)をつくり出してきた。私も昭和33年卒業だから古いMBAだが、日本にはMBAがたくさんいる。ただ、ここ10年ぐらいの間に帰ってきたMBAの人たちで本当に生かされている人がどのくらいいるか。これは具体的に使えるポテンシャルである。そのままではプロではないかもしれないがセミプロ、あるいはプロになり得るこの人たちに早くチャンスを与えるべきである。別に部長にするとか、すぐ重役にしろという話ではない。この人たちの持っている技術的なポテンシャルを要所要所に生かしていくことについて、これはすぐ手を打てば結果につながることのである。
従って、先ほど言ったような意味での大きなシステムとして、時間がかかるがプロを育てていくことと、いま使われていないポテンシャルとして多くの企業にいるMBAとか、ほかのプロフェッショナルスクールを出て帰ってきた人たちを生かすことの両方が必要である。この2つをやるだけでも、私は日本の企業が極めて高いレベルに到達できると思う。、それこそ東南アジアの国々から見れば「日本の企業経営者は何ぜいたくを言っているのだ、あれだけ潤沢な市場を持っていて、あれだけ素晴らしい人材を抱えていて、不況だ不況だと言って縮こまっている。おれたちにやらせてくれ」、というぐらいに、日本企業にはポテンシャルがある。そう思っている海外の観察者はたくさんいる。当面、私はこの辺に我々企業経営者が積極的なイニシアチブを取っていけば、必ずポテンシャルは成果に結びつくと思う。
戦略としてはどういうものがいいか。これはあまり一般的な話はできない。それはフォーカスとスピードだとか、いろいろな話があるが、いろいろな人がフォーカスするのならむしろ反対に少しジェネラルにしようというのも、産業によっては、企業の立場によってはそれなりに有効な戦略になることもある。そういう意味での一般論は私は申し上げないが、戦略を持っているところから本当に戦略的になることについて、トップのコミュニケーションで組織をエネジレイズすることにもっと力を注いで、具体的にアクションをとっていくためにやはりプロを活用する、プロを育てる。これはまず当面日本の企業がもっと工夫をしてやらなければいけないし、やれば必ず成果が出るところだと私は思う。
少し先のことで、もともとの命題の「21世紀のビジネスモデル」はどうか。いま一方でネットワーク社会がどんどん形成されつつある。いろいろなことが現在、起きている変化についていろいろなことが言われる。IT(情報技術)の導入によって組織がフラット化する。組織をフラット化することは別に今回初めてのことではない。いままでいろいろな契機で組織をフラット化しよう、コミュニケーションをスピードアップしようといろいろ様々なことがやられてきたが、2つ、今回は非常に重要なこと変化がある。ネットワーク社会は従来と企業の決定の仕方だとか決定の下にある基となる人間の思考パターンなどをかなり本質的に変えていくのではないか。最近言われている分かったような分からないようなグローバリゼーションということと、ネットワーク化とかネットワーキング化は、明らかに従来とは違った対応とか考え方を必要としていると思う。それはかなり人の問題とも結びついていくと思う。
いま起きているような短期的なネットワークの持っている価値は、実は大企業ばかりではなく中小企業、さらに幾つかの分野では企業を超えて個人にまで行って広がっている。そうなると別に組織はいらない。組織のレベルでは手に入らなかったいろいろなインフラが個人で手に入るのだから、みんながデイトレーダーになってやっても一向に差し支えない。メリルリンチや野村証券にいる必要はない。実際にそういう分野がもう出てきている。多分、しばらくはそういう分野が広がると思う。
しかし、21世紀を考えるときに、本当に独立した個人がそういうことでやっているということで主流となり、人が一緒になって組織をつくっているとか、そこでコレクティブな同じ価値を共有するということは、全く意味がなくなってしまうのだろうか。そういう問題が21世紀に向かって非常に重要な問題として提起されてくると思う。企業という組織の中の不必要な中間組織を排除するぐらいのことではなくて、むしろ組織として企業という存在が社会の中で不必要な中間組織になってしまう分野もずいぶんあるということである。
私は、そういう淘汰(とうた)はあると思うが、完全に人が集団をつくるとき、一人ひとりが先ほど言った意味で組織では持てなかったものを持って個人でオペレートしていく。それですべて代替できるかというと、そうではないと思う。そこでキーワードになってくるのは信頼(トラスト)という言葉だと思う。
日本の企業はより戦略的にならなければいけない。よりプロフェッショナルを活用しなければいけない。もちろんより高い生産性を追わなければいけない。この前のパネルで牛尾さんが、もちろん変えていかなければいけないものはあるが、なおかつその中で従来のものをそのままであるかどうかは別として、将来に向かっても大切にしていかなければいけないものとして何があるか──という問題提起をされたそうだが、かつて日本の企業を指すのに運命共同体という言葉が使われた。この言葉がいいかどうかは分からないが、実は最近、知識とか知ということを対象にしてタシット(暗黙知)とかエクスプリシット(形式知)という使われ方をする。実は日本の企業では、いまの言い方をすると暗黙の信頼が非常に強固に組織の中に存在していた。
多分、日本の企業の大部分の人が最初からキャリアをそこでスタートして、悪く言えば純粋培養だが、本当に同じ経験を長いこと共有した人ばかりでずっとつくってきているから、暗黙の信頼も十分成立したが、グローバルになるということは、否応なしに、外でオペレートするか日本でオペレートするかは別にして、違った種類の人が入ってくる。またそれをあえて受け入れなければグローバルではあり得ない。
これはそうなるとタシット(暗黙知)の信頼では通じない。実はこれからは通じない人がたくさん入ってくるが、そこでは信頼感は非常に重要である。だから、あえて言うと信頼感を大切にするのだが、それは従来の暗黙の信頼ではなく、かなりはっきり形式化したエクスプリシットな信頼感で、しかもそれは組織から組織にトランスファーできるできなければならない。また更にその上に新しい価値を加えることのできるような信頼感である。
もちろん、信頼感は空気みたいにあるのではなく人がつくっているのだから、改めてそういう信頼感をつくり上げる人の集団とか人の関係とはどういうことかということが21世紀のベンチマークとなるビジネスモデルとしては非常に重要な部分になってくると思う。私は同友会の代表幹事に就任したとき、「市場主義宣言を超えて」という少し背伸びをした、生意気なものの言い方をした。別にそのときにいまのことを意識しながら話をしたわけではないが、何か最初に申し上げた、まさに20世紀の終わりを主流として支配している資本の法律をマキシマイズする効率を極大化するモデルだけでずっと行くのか。そうではないのではないか。何かそれに加えてエキストラがあるのではないか。あるいはそれからマイナスするエキストラがあるのではないか。、という意味で「市場主義宣言を超えて」と言ったのである。くどいようだが、2005年ぐらいまではまさに、市場主義そのものをもっとレベルアップしなければならないことは当たり前である。あえてここ5年や10年の話をしているのではなくて、21世紀の話である。20世紀の中でも、しかもなおかつ20世紀の後半だけでもビジネスモデルが一時の日本モデルに対する注目を含めて変わったわけだから、これからの30年40年あるいは50年を考えれば、いまのアングロアメリカンスタイルのビジネスモデルが40年後も50年後も主流であり続けること自体、確率としては低いと思う。
また人間というものの在り方とかヒューマンバリューをどのようにマキシマイズ極大化していくかについては、いまの段階での注意の払い方が足りない。これは別に米国が悪いとかそういうことを言っているわけではないし、日本自身も人を大切にすることについて、単に雇用を守るだけでなく、本当にその人の能力をマキシマイズしていく最大に引き出す、あるいはその人たちの能力を本当に生かせる場をたくさんつくっていく──そういうことについて、もっと前向きな考え方が企業のモデルの中でも出てこなければいけない。あるいは企業だけでそれができなければ、企業を含めた、またNPOも参加した、これからの社会のシステムとしてそういうものを考えていかないと、21世紀のいまのままで突っ走る21世紀の社会は、ある意味では極めて無味乾燥な社会になってしまうのではないか。
もちろん、私もたくさんおカネを稼ぎたいと思う。いまのレベルではとても足りないと思っているが、人の価値をもう一つお互いに考えて、改めて人というものの存在を中心に置く経営のモデルがもう少し真剣に議論され、あるいは探求されてもいいのではないかと考えている。日本はそれに向かっての全く同じモデルを過去に持っていたわけではないが、そこにつながるかなり重要な知見とか経験を我々は持ち合わせている。もう一ぺんその辺をひもといて、いまのうちに21世紀の新しいモデルの構築努力を始めるべきではないかと考えている。ここで終わらせていただきます。ありがとうございました。
【西岡】私の個人的感想を言わせていただければ、今朝からの議論の中の時間軸を長く取って、空白を埋めてもらったような気がする。お話の中で、組織としての企業は存続し得るのか、企業の中での内部取引のほうが外からの取引より高くなってしまうとか、人の問題などでそういう存在自体が可能なのか、という非常にベーシックな太いところで議論をしていただいたと思う。そのあとであまりプラグマティックな質問をするのは気がひけるが、会場から質問をいただく前に私から質問をさせていただきたい。
戦略を結果につなぐということに絡んで、きょうの議論で出てきていない問題で我々が注目しているのは、スタートアップ企業をどうやって育てていくかである。その戦略らしきものはいまいろいろ出かかっている。この現状を小林さんはどのように考えられて、どういう方向に持っていけばいいとお考えか。
【小林】スタートアップ企業あるいはベンチャーが日本ではなかなか育たない。それについてのエンジェル税制の話もいままさに出ているし、プロフェッショナルを育てるプロフェッショナルスクールの中にいわゆるベンチャーとかアントルプルヌールシップアントレプレナーシップの専門のもの講座をつくったらどうかなど、様々な議論がさと言われているが、私は2つ重要なことがあると思う。
そのうち一つは、重要だがどうやって手を打ったらいいかが分からない。それはカルチャーとか文化的風土的なところである。これは日本の場合だと、スタートアップだけでなく、結構既存の企業であっても、全く新しいビジネスに絡んでニュービジネスを開拓するときにはなかなかファーストチャンスが与えられない。「おたくには実績がありますか」「ありません」「それでは……お取引きできません」と言われる。実績がないから一生懸命やっているのに、実績がないからだめだと言われたら、身もふたもない。そのうえ失敗すると、そこで社会の中でだめという評価がき、つくと次のチャンスがなかなかない。
これには答えがないと言ったが、むしろ実際にはいろいろな成功のケースがだんだん見えてきた。それから、リスクがある程度あっても、いわゆる社内のボーナス制度なんかを含めて、少しリスクがあっても結果的に非常にいいものを導入して高い成果が出ればそれだけのリオーダーリターンがあるのだということが広がっていけば、時間はかかるけれども、だんだん障害はなくなっていくのだろうと思う。
もう一つの問題は、いま非常に成功している企業も、もともとはスタートアップやベンチャーだったところがずいぶんある。それなのになぜということである。たまたま孫さんが今度ナスダックジャパンをやろうという話をしておられる。米国でも79年から始まったナスダックがどれだけ大きな役割を果たしたか分からないが、一方でリスクがあっても、ああいうものを一つの仕組みにしてことだろう。リスクをかけただけのリオーダーリターンが入ってくるという仕組みは、明らかにいままでの日本には存在しなかった。
いまでも店頭でずいぶんやっている方もあるし投資を行っている人もいるし、その中でキャピタルゲインを得ている方もある人もいるが、社会全体の意識としてはそういったところにあまり向いていない。
この点、我々自身が成功例をもっと多く具体的に知らしめることが必要だと思う。ウシオ電機の牛尾さんのビジネスももともとはスタートアップだったし、セコムの飯田さんだって京セラの稲盛さんだってスタートアップだった。何がああいうスタートアップの皆さんたちに成功をもたらしたのか。特別なコネがあったのか。私は皆さんそれぞれに努力をして、コネもつくってチャンスを得たと思う。
一方では当時、我々の世代が若かったころの先輩たちはかなりチャンスをつくってくれていたのではないかという気がする。そういうチャンスをつくることについて、私は先ほどファーストチャンスを与えないカルチャーがあるなどと言ったが、どうも我々自身がファーストチャンスを与えないほうに入ってしまっているのではないか。ここは大いに考えなければいけないところで、ポテンシャルとしては、スタートアップで一発やってやろうという人たちは決して少なくなっているわけではない。そこは大いに私自身の問題としても考えて、もう少しチャンスをつくっていくことについて改めて努力をしていきたいと思う。
質疑応答
【質問】日本のビジネスということからしますと、アジアの国々はこれまで皆さんで学んできて、これで成功するのだという自信を持っておられた。ところがアジア危機になって、この雁行経済が崩れてきている。日本のモデルはだめじゃないかと思われてきている。そういった意味では、日本の我々がどうするかということもあるが、アジアの中で日本の企業が果たす役割を21世紀はどのようにしてつくっていったらいいのか、ご意見を伺いたい。
【小林】いまのご質問に関連してもう一つお話ししたい。実はアジアの経済は、特に3つの経済が97年以降、急激なクラッシュがあって、またここのところ韓国をはじめ急激にカムバックしている。先ほど、日本の場合はMBAを含めて多くの人を、8割ぐらいを企業派遣で海外に出しているが、帰ってきた人たちを十分に利用しきれていない、というお話をした。実はアジアの国々は全く逆で、少し早く利用しすぎたというところがあるのかもしれないが、これは企業ばかりではなく行政の分野でも政治の分野でも、非常に有力なポジションにそういう人たちが座っている。私は、これも21世紀との対比から言うと、20世紀はアジア諸国がもちろん日本を目標にして、まさにキャッチアップゲームをしてきた。もちろん日本とアジアの諸国は、GNPの大きさであったりなどいろいろな指標で計ると、まだまだ大きな差がはありるが、ストックとしてはまだまだだが、高い技術者をどう使うかなどというところを含めて、あるいは非常にスピーディーに海外の新しい知見を取り入れることなどを比較していくと、そういうフローでは日本とアジア諸国はほとんど並んだと言っていいと思う。台湾、シンガポール、韓国などに行くと、もう10年ぐらい前から経営技術という点では我々が教えるなどというレベルはとっくに超えていて、一部の経営者たちのノウハウとか経営技術力とかプロを駆使する力などは日本の先を行っているところがある。
それで、アジアの諸国に対して日本がやる何をするかといった場合、幾つかの方法がある。もちろん非常にセレクティブマーケット選り抜きの市場としてとか、あるいは投資の対象としてとか、あるいは生産拠点とか、その先の開発拠点とか、あるいは研究とか、そういうわりあいに連続的な話は、多分、そういう方向のものがだんだん徐々に出てくると思う。が、それとは別に、一緒になって何かをやっていくという部分が21世紀には非常に急激に出てくるのではないかと思う。私どもは、程度は限られているが、依然としてアジア諸国で仕事をしている。具体的に言うと台湾、シンガポール、韓国などに行くと、もう10年ぐらい前から経営技術という点では我々が教えるなどというレベルはとっくに超えていて、ああいった国の一部の経営者たちのノウハウとか経営技術力とかプロを駆使する力などは日本の先を行っているところがある。
そういう意味で、日本がアジアでいろいろやっていくときに、先ほど言ったようなことのためにジョントベンチャーをやることも一つあるが、少しオーバーな言い方をすれば、日本自身が21世紀の経営モデルをつくるとき、日本のいままでの経営モデルはあまり参考にならないということならば、アジアで独自のモデルを探そうということもある。あるいはそれは非常に欧米型に近いものを選ぶところもあることになるのかもしれないが、アジアの人と話をすると、いまのままのアングロアメリカンモデルをそのままストレートに延長することについては、アジアの国の人々なりに疑問とか、「もう少し違うものを」と考える人たちがたくさんいる。できれば、そういう人たちとも相呼応して、別に西欧に対してアジアとして気張る必要はないが、どちらがいいとか悪いとかは別として、一つの違った経営モデルを一緒につくっていく──という意味での新しい関係がもっと真剣に考えられてしかるべきではないかと思っている。我田引水になるが、我々富士ゼロックスも限られた範囲内でアジアのメンバーも含めて実は諮問委員会を持っている。実はそういった点でそこではかなり参考になる考え方や刺激がある。日本にとってもだんだんそういうことが広がっていくのではないかと考えている。