第1回日経フォーラム「世界経営者会議」対話・講演・討論の全文

テーマ: 「グローバル時代の経営とコーポレートガバナンス」

スピーカー(文中敬称略):稲盛 和夫 氏 京セラ名誉会長

日時:1999年10月7日(木)11:20〜12:05

場所:東京・帝国ホテル 本館3階「富士の間」

【稲盛】本日は「グローバル時代の経営とコーポレートガバナンス」というテーマを与えられているので、私が考えていることをお話します。日本においてコーポレートガバナンス(企業統治)がどのように行われているかをみると、企業間の株式の持ち合いが大変多い一方、個人株主の割合が10%を切ると言われるほど低い結果、株主が企業の経営陣をチェックするシステムがうまく働かず、現業役員に経営のすべてを任せる方式が一般的にとられている。そのため本来、企業統治の権利を持つはずの株主が、その権利を十分行使できないような仕組みになっているのではないかと危惧している。例えば株主総会で業績不振を理由に、不適任の現業役員の更迭を株主が要求した場合、一般にその株主は乗っ取り屋か悪徳株主ではないか、と言われる風潮が社会的にあるため、株主が現業役員の不信任を求めることがほとんどないのが日本の現状ではないかと思う。

 一方、社長の在任期間が10年以上という場合、取締役の大半は社長が任命した元部下だから、役員会で社長に真っ向から反対できない。そのため、社長による取締役会の独善的な運営、専制的とも言える取締役会の支配、独裁的な企業運営が大きな問題を引き起こす例を我々は多数見聞してきた。

 経営の主体である社長や役員が、株主のチェックなしに専制的な会社運営をする典型的な例は、役員の退職慰労金問題だ。退職慰労金は一般上場会社の場合、株主総会で株主の承認を求めることになっているが、実際には「贈呈方法並びに金額については、社内規程に従い取締役会にご一任願いたい」と提案されるのが普通である。

 本来、株主から承認を得るのであれば、退職役員のだれに、幾らの退職慰労金を、いつ贈呈するかという具体的な提案について承認をもらうべきだが、実際はすべて取締役会一任という極めて自己本位な、つまり株主のチェックが全く効かない運営がなされているのが普通ではないか。特に上場企業は株主不在の経営がまかり通っているために、社長や役員による専制的な経営に陥る場合が多いが、これをチェックし、制御するシステムは、現在の日本の企業にはない。こうした不完全な企業統治を改革、改善しなければならない、との声が多くの有識者の間で高まっている。

 この際、まず必要なことは、企業統治の権利を有する株主の意見を、企業経営に反映できるシステムを作ることである。そのため最近は株主の代理人として、会社に利害関係を持たない社外取締役のようなメンバーをできるだけ加えた取締役会の下に現業経営者を置く執行役員制度の導入が考えられている。取締役会は会社の基本的な経営方針、経営戦略を定め、それに基づいて執行役員がヒト・モノ・カネ等の経営資源をフルに活用して企業経営を行い、その結果を取締役会が再度、管理、監督する。そういう取締役会と執行役員会を分離した企業統治制度を、わが国にも早急に導入すべきであるという意見が多くなっている。現に執行役員制を採用する企業が出始めている。これは大変いい方向だと思う。

 こういう企業統治の考え方をベースに、日本企業における親会社と子会社、関係会社のあり方をみると、株主である親会社が取締役会に、子会社の経営陣が執行役員会に相当し、親会社が決めた経営方針並びに経営戦略に基づいて、子会社の経営陣がヒト・モノ・カネ等の経営資源をフルに活用して事業を行って業績を上げるという図式が成立する。この関係はまさに企業統治における取締役会と執行役員会の分業体制を示しており、子会社経営の成否が、自社のコーポレートガバナンス・システムがうまく機能しているかどうかを知る指標になるはずだ。

 実際に日本国内における親会社と子会社の関係をみると、幾つかの統治の方法がある。一つは子会社を親会社の意向に沿った形で管理するため、トップはもちろん幹部の大半を親会社から送り込む方法だ。この場合、子会社の経営方針、経営戦略から幹部の人事に至る経営の細部にまで親会社が干渉することになり、子会社の経営陣は常に親会社の指示に従って経営しなければならないので、自主性、自発性は期待できない。

 また子会社のトップを子会社のプロパー社員から選び、経営のすべてを任せるという極端な方法もある。これがうまくいくと自主性と自発性を大いに発揮して、親会社をしのぐ大会社に成長することもあるが、逆に、勝手な経営をして会社を消滅させてしまう例もみられる。こうした極端な方法は成功とともに、失敗の可能性も高く、大きなリスクを伴う管理方法と言える。

 この中間のケースももちろんあるが、日本の場合は形の上では親会社と子会社が、欧米におけるコーポレートガバナンスのように、つまり取締役会と執行役員会のように役割分担制になっていても、実際は必ずしもそのように運営されているわけではない。しかし、日本国内の場合は経営陣が日本的なメンタリティーを持っているので、よほど子会社にひどい統治がされない限り、問題が表面化することはない。

 一方、グローバル時代を迎え、日本企業も海外にますます多くの子会社、関係会社、合弁会社を持つようになったが、これら海外子会社の企業統治も、国内における子会社と同じような経営を行っているケースが大変多いように思う。

 国内と同様に日本企業の大半は海外子会社、合弁会社の経営トップや幹部社員を親会社から送り込む。これは親会社との意思の疎通をよくし、信頼関係を作り、親会社の経営戦略に基づいて経営が着実に行われることを期待した人事と思う。この場合、経営上の重要事項は稟議書によって日本の本社で決済する方法を採っている例が多い。その結果、現地経営陣の自己責任に基づく自主的経営はほとんど不可能な状態である。こういう経営方針、経営戦略はもちろん、日々の細かなことまで親会社が管理する方法は、意思決定が遅く、迅速性に欠けるだけでなく現地経営陣に自主性を与えないため、経営効率が非常に悪いのが通例であるが、半面、本社の監視の目が常に光っているため、海外のトップが暴走して巨額の損失を出すようなリスクは比較的少ない。

 親会社から一部の経営幹部を派遣するが、経営には干渉せず、現地経営陣を信頼して全面的に経営を委託する方法もある。この場合も、大きな成功の可能性と同時に、現地経営陣の暴走により、破綻をきたす危険性も内包している。我々はこの種の経営が成功、あるいは失敗したケースを多数見聞するが、大変大きなリスクを伴う企業統治の方法だと思う。

 従来、日本企業では親会社が派遣する日本人トップや幹部が中心になって海外子会社や関係会社を経営するケースが大半だった。この場合、トップや幹部を日本人が独占するため、現地の人々をもっと起用すべきだとの批判が社の内外から出てきたために、最近は多くの日系企業が経営陣を現地化するようになってきた。また、海外で買収した企業のトップから従業員に至るまで大半が現地の方々である。その様な環境の中でどのように統治していくか、トップ及び幹部をどうすればより活用できるか、日本の経営者に改めて問われている。

 このような時代には、親会社が子会社に基本方針を与えると同時に、成果をチェックするシステムによって海外子会社を統治していく、欧米のような合理的手法が必要であることは間違いない。そのようなシステムでは子会社への経営方針、経営戦略というマクロの面だけでなく、必要に応じて詳細な指示を出す必要があるが、日本人は今まで往々にして経営を任す手法を取ってきたため、そうしたやり方になれていない。特に米国等で工場を経営する場合は詳細な指示書、作業手順を記載したマニュアルをベースに、経営や製造の指導をしているが、日本ではマクロな指示だけを与えて自主的に経営してもらったり、細かい作業手順などは製造に従事している従業員に自主的にやってもらうことが往々にしてある。そういう文化的な違いをよく理解した上で、日本の親会社から海外子会社に出す経営方針、経営戦略など、これからは欧米でも通用するような、ある程度詳細なものが必要になってくるだろうし、親会社が経営の成果を監督する方法も、今まで日本でやっていた以上にシステマティックで、精緻なものにしていかなければならない。そうすることで海外子会社の経営上の大きな誤りを防ぎ、現地の自主性と独立性も保ち、活力ある経営ができるようになると思う。グローバル時代の海外子会社のコーポレートガバナンスは、まず企業統治における執行役員制と同じような制度を適用し、米国流のシステマティックな管理手法を応用する必要がある。しかし、優れた制度や管理手法がありさえすれば、企業統治がすべてうまくいくわけではない。国内の場合と違って、日本の親会社と海外子会社の間には文化やメンタリティー、言語といった目に見えない違いが介在するからで、企業統治においても、制度やシステムだけでは越えられない心理的な壁があり、それが子会社と親会社の相互理解を妨げていることを知らなければならない。この問題を解決しない限り、グローバル時代における真の企業統治は行えない。

 企業統治とはつまるところ人を治めることであり、制度やシステム以上に人心の掌握が不可欠である。人を治めるうえで最も大事なことは、治める側のリーダーを、治められる相手側が信頼、尊敬をしてくれているかどうかだと思う。権力や権限で部下を従えようとすれば、形の上では、ついて従ってくるだろうが、面従腹背でいざというときだれもリーダーに付いて来ない。助けてくれないこともありうるわけである。

 人の心は大変移ろいやすいものだが、ひとたび信じ合えばこれほど強いものはない。企業グループ全体がひとたび信頼と尊敬によって結ばれる関係になったなら、これほど強い集団はない。親会社と海外子会社の関係でも同様だ。海外子会社が日本の親会社に信頼と尊敬の念を持つならば、自然に本社のリーダーシップに従って行くはずだ。それが最も理想的な企業統治の姿ではないかと思う。

 そういう信頼関係は、親会社が尊敬に値する経営理念を持ち、それを信念にまで高めて持ち、実践しているかどうかで決まる。GEのウェルチさんも、トヨタの奥田会長も理念の大切さを話された。つまり子会社、関係会社が信頼と尊敬を寄せるに値する経営理念を親会社が掲げ、また、同時に親会社がビジョナリーな経営をしているかどうかが子会社統治のかなめである。子会社トップや幹部が、自分たちの親会社は素晴らしい経営理念の下に経営をし、自分たちもその経営理念に賛同、共鳴するという思いを持てば、企業統治のシステムは有効に機能し、素晴らしい経営ができるのではないか。

 世界にはさまざまな文化や歴史、生活習慣がある。特に東洋と西洋では大きな違いが存在する。そういう異なった環境で育った人々の心を結び付けるには、世界中の人々から、共鳴や賛同を得られる普遍的な経営理念がなければならない。そのような経営理念を世界各地の従業員が共有してこそ、文化の壁を超え、一体となって事業を推進できるのではないか、誰からみても信頼と尊敬にあたいする理念を持ち、その理念を従業員との間で共有し、真のグローバル企業と呼ばれる会社は、全世界の従業員が共有できる普遍的な経営理念を持っている。それを実践するために最大限の努力を払っている。

 その様な経営理念の例を紹介してみると、私の知っているある会社は、わが社は従業員一人ひとりをどのように信頼し、尊重しているかという内容を、社員研修で具体例を挙げて詳しく説明し、徹底を図っている。また、カスタマーサティスファクション、つまりお客さまが満足を得るために行っているサービス内容の具体例を挙げる会社もある。さらに誠実さや完全さの追求、あるいはチームワークを大切にし、チーム全体の成功を望んでいると掲げ、その内容を具体的に詳しく教える努力を積み重ねている。このように万人が共鳴する経営理念を高らかに掲げる企業がグローバルな舞台で成功している。こういう理念に加えて、企業は世のため人のために貢献してこそ存在価値があるという崇高な経営理念、経営哲学、または企業そのものを律するコーポレート・モラルを形成するような、立派な倫理規範を伴った経営理念を持って企業統治を進めることが最も重要なことではないかと思う。人間として何が正しいのかを原点に、どのような状況に置かれようと社会的正義、公平、公正、勇気、博愛、努力、謙虚、誠実など、大変プリミティブではあるが、普遍的な価値観を貫いていこうとする企業理念がベーシックに大切だと思う。

 京セラはそのような普遍的価値観をベースに、具体的な行動指針を持って経営を進めている。その幾つかを紹介すると、我々は公明正大に利益を追求するという指針がある。世の中には不正な行為や投機によって暴利を貪り、一獲千金を夢見るような経営がまかり通った例もあったが、当社は公明正大に事業を通じてのみ正しい利益を追求する。

 さらにガラス張り経営という指針もある。企業経営はトップから一般従業員に至るまで、透明な経営でなければならない。これは社外に対しても同じで、フェアなディスクロージャー、透明な経営によって社内で不正が起こりにくく、風通しのよい企業風土が作られると同時に、従業員の経営に対する参画意識も高まる。その他にお客さま第一主義を貫く、独創性を重んずる、高い目標を持つ、利他の心、つまり思いやりの心を判断基準にするという理念もある。まじめに、一生懸命に仕事に打ち込む、フェアプレー精神を貫く、公私のけじめを大切にする等々、実践的な経営哲学や倫理規範を経営トップから従業員に至るまで共有するようにしている。日本人はえてして欧米の経営手法を形だけ追いかけるケースが多いが、経営の原点であるこのような経営理念をベースとした企業統治が行われてはじめて、コーポレートガバナンスのシステムや制度が生かされるのではないか。21世紀はグローバル化がさらに進展すると思うが、このような時代に日本企業が信頼と尊敬に値する企業理念を持ち、それを共有することで、世界の子会社、関係会社を治めていくことができるならば、日本企業の真のグローバル化は一気に加速され、世界規模でさらなる発展を遂げることは間違いないと確信している。

 世界市場が大競争時代を迎える中で、厳しい競争に打ち勝つためには、企業の合従連衡がますます重要になってくる。最後に企業の合従連衡における合併等について私見をのべると、企業の国際競争力強化を目的に、今まで考えられなかったような合併・統合が一層増加すると思われるが、この際、コーポレートガバナンスはいかにあるべきか。わが国における企業合併の歴史をみると、両社が健全な会社であればあるほど「対等の精神で合併する」という文句が枕詞のように使われてきた。だが、実際に対等の精神で合併をした結果、両社の組織や人事システム等がそのままの形で残り統合されないまま並列の形で存在するケースも数多くみられる。この場合合併後の人事においても両社の二本立ての昇進や異動が行われ、「たすきがけ人事」と称される慣行さえ日本ではおこなわれている。

 そもそも企業合併は二つの会社が一緒になって効率的経営を行い、1プラス1が2ではなく、3にも4にもなるのが目的のはずだが、経営の合理性を全く無視して組織も機能も二重にしたのでは、合併による効率化は期待できず、むしろ二つの組織間の調整などむだな仕事が増え、以前より非効率な組織が出来上がってしまう。これでは合併がかえってマイナスになり、国際競争力を低下させる危険さえある。

 日本企業がグローバル競争の中で生き残っていくためには、1プラス1が3にも4にもなるような合併でなければならない。今こそ過去の慣例にただ従うのでなく、改めて考え直す必要があるのではないか。合併後の企業をより強固なものとするには、存続すべき強い組織が他方をすべて吸収・統合することが不可欠である。強い組織の方が優れているのであれば、それに同化・吸収されることによってのみ、合併企業は強くなれるはずだ。

 ところが日本の社会には「和をもって貴しとなす」という風土があり、勝敗をはっきりさせることを好まない。これは強者が勝利者として傲慢不遜になることを恐れ、勝者が生まれることを忌み嫌う社会的感情があるためだと思う。その結果、企業合併という経済的行為でも対等の精神が吹聴され、どちらも勝者でも敗者でもなく、対等ということになってしまう。吸収する側とされる側がはっきり強者と弱者となったのでは、たとえ両社が一体化しても、真の協調が生まれないのではないかと心配し、あくまで対等の精神で遇すべきだ、ということになってしまったのだと思われる。こうした形だけの合併をすると、長年にわたり両社のシステムが残り、かえって効率の悪い企業になってしまう。実際に対等の精神で合併した会社の経営がうまくいった例はほとんどないのではないか。今後ともこのような形でしか企業の合併・統合ができないなら、日本の企業はこれからのグローバルな大競争時代にますます苦境に陥るのではないかと懸念される。

 21世紀に日本企業が再びグローバルな舞台で活躍しようとするならば、まずこの問題を解決しなければならない。これは外国企業の日本への進出を促進するためにも不可欠なテーマだと思う。また、冒頭にグローバル時代のコーポレートガバナンスに対する私の考えを述べたが、私は日本企業が生き残るための最初の試金石は、日本企業の合併・統合における過去の慣習を改めることだと考えている。大変長い間お話を聞いていただきありがとうございました。

 

質疑応答

【神田】世界に通用する普遍的な経営理念を持ち、それを見える形、透明性のある形で実践していくところがポイントだと思うが、そのことと、日本の企業では社長の力が強いということとの関係をどう整理したらいいのか、いつも悩んでいる。普遍的な経営理念を持つためには、社長のリーダーシップがあった方がいいように思う。

 私なりに本日のお話を整理してみると、執行役員制度の導入に関連して、経営と執行を分離し、経営の方はできるだけ詳細な指示を出し、執行の成果をチェックするという関係で言うと、社長は執行の責任者の座を降りて、経営の方の責任者として普遍的な経営理念を提示していく。その責任者としては、むしろリーダーシップを発揮していいのではないかと思うが。

【稲盛】おっしゃる通りだと思う。日本ではいま取締役会と執行委員会とに分かれていないので、私が危惧しているは、株式会社で社長が大変独善的、専制的な経営を行って失敗した例をたくさん知っている。

 日本では執行委員会しかないと言っていい。その場合、社長が普遍的な経営理念、つまり立派な理念を持っていると、企業統治の権利を持ている株主のことについても十分考えてくれる。それほどの人間的魅力を持っているというか、理念がそれを示してくれている。現在の日本では、どうしても専制的、独善的な経営に陥りがちなので、リーダーシップを持った社長を律するためにも、普遍的な理念が要ると思っている。

【質問】米国系の会社はストックオプションに代表されるような仕組みで、現地人をがむしゃらに働かせる仕掛けで進出しているのに対して、日系企業はそうした仕組みを持って行かない。必然的に現地であまり質のいい社員、特に経営者レベルの人材が集まらない。そこに日米でギャップが生じているような気がする。

【稲盛】確かに能力のある者が多くの報酬をもらうことに対して、もともと日本の企業や社会の中に罪悪感みたいなものがあったので、日本ではストックオプション制度が育ってきていない。ごく最近、税制や商法等の改正で、若干国内でもストックオプションが役員の間でできるようになってきた。たしかに、そうした法制度等の整備もできていないだけに遅れているが、海外で仕事をする場合には、欧米の企業と同じように、ストックオプション制度はどうしても採用しなければならないだろう。

 私どもの会社の場合は、米国の子会社をニューヨークに上場し、その株式を幹部社員から従業員にストックオプションで渡すようにモチベーションをやっている。また、未上場の子会社の場合は、親会社である京セラの株式をニューヨークに上場しているのでその株式を使って若干のストックオプション制度を採用している。

 いずれにしろ、これは避けて通れない問題だ。講演では言及しなかったが、特にグローバル時代における企業統治の中で、このストックオプション制度をどう早急に採用するか、非常に大きな緊急の課題だろう。


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