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チュンポン・ナラムリアン氏
サイアム・セメント社長(タイ)
 大胆に事業選別

 97年7月2日、タイ中央銀行が発表したバーツの変動相場制移行が危機のきっかけだった。当初は大混乱したが、次第に「この危機は重大なもので、今食い止めなければさらに拡大する」というコンセンサスができてきた。

 変革を迫られた企業の常として、まず対策の先延ばしを試みた。しかし、すぐに「最悪のシナリオを念頭に置き、迅速に対策を講じて事業を変革すべきだ」と決断した。迅速な行動の間違いは修正できるが、後になって行動したのでは致命的になる。

 我々は(1)外国人投資家らが資金を引き揚げ、タイの資金不足が深刻化(2)経済成長が鈍化し国内販売は大幅に減少(3)営業コストが増大(4)通貨の弱含み基調への対応策が必要(5)バランスシートは顕著に悪化し、為替差損の処理で自己資本が減少――という最悪のシナリオを想定した。

 そこで(1)回収問題を避けるため、販売減を恐れず顧客への信用供与を制限する(2)外貨を確保するため輸出比率を全売上高の10%から30%まで引き上げる(3)設備投資はすべて中断し在庫水準を削減して現金を確保する(4)通貨安に伴う輸入原材料などのコスト上昇を補うため、批判を恐れず国内価格を引き上げる(5)主要な債権者に財政事情を説明し理解を求める――という対策を決断した。経済状況の悪化につれ、計画は何度も修正した。

 98年半ばに為替レート安定の兆しが見え始め、危機を切り抜ける自信を持った。しかし、その後どのように競争力を維持し将来の成功を担保できるかが、さらに困難な課題だった。

 危機の後は、外資にとっての制約がなくなり国際競争の激化が予想される。関税、非関税障壁など保護政策を失うが、一方で事業拡大のチャンスも増える。内外投資家からの透明性と公開性への要求が高まっていく。

 新たな環境に適応するため、構造改革は避けられない。我が社が策定した構造改革計画は、40以上あった事業から中核をわずか3事業に絞り、残りを中核になり得るか検証する5事業と撤退候補の30事業とに分類する大胆なものだった。成功に慣れた会社にとって撤退を決めるのは大変なことだった。

 構造改革を成功させるため、従業員には計画プロセスに関与させて改革への支援を求め、合弁事業の相手には事業の引き継ぎを要請した。振り返ってみると、当初は生き残りのための変革だったが、結局は将来の危機回避のために構造改革が必要だったと考える。

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