「悪魔の人形遣い」。インドネシア・ジャワ地方の影絵芝居、ワヤン・クリで頂点に立つマントゥブ・スダルソノ氏にはこんな恐ろしい異名が付いている。 いくつかの人形を連続して宙で回転させたり、大きな人形同士を大胆に動かして、激しい戦いの様子を迫力いっぱいに表現したり。その神業的な手さばきに酔いしれた人々が「人間にはとてもできない技だ」と称賛し、ついに「悪魔」と呼ぶまでになった。 ワヤン・クリは、水牛の皮で作った平たい人形を使い、インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」などを素材にして一晩中続く芝居のことだ。マントゥブ氏のような人形遣いが1人で人形を扱い、ジャワ語でセリフを語り、そして打楽器を中心にした楽団と女性歌手たちの指揮を執る。 座って演技する人形遣いの頭上の後方から明かりを照らす。人形は奥に張られた白い幕に影を落としながら次々と入れ替わる。観客は人形遣いの背中の方から見れば、極彩色に塗られた人形とそれを扱う手さばき、そして奥の影が同時に楽しめる。幕の裏に回り込めば、幕に映し出された影が濃く、時には薄く揺れ動くだけの世界を味わえる仕組みだ。 代々人形遣いを継いできた家系出身の父ブラヒム・ハルジョウィヨノ氏は、息子も当然同じ職に就くものとして幼いころからマントゥブ氏を仕込んできた。父の期待通りに育ち、10代前半のうちに稼ぎ始めた息子は、プロの道を歩んで半世紀近くになる。 楽団が奏でる音楽とも一体化した天性の人形さばきに加え、情感豊かに語り、そして独特の旋律で歌い上げるのが魅力だ。日本ワヤン協会主宰の松本亮氏は「今の時代をリードする最高の人形遣いだ」と絶賛する。 ワヤンには、政治や経済など現代の諸問題に触れる場面もつきもの。大衆にも分かりやすい言葉を使った歯に衣(きぬ)着せぬ話しっぷりを披露するのもマントゥブ氏の人気の理由といえる。 ワヤンはジャワ人の精神世界を象徴する伝統芸能とされる。ジャワ島がイスラム化する以前にインドから入って現地化したヒンズー教や仏教の文化が花開き、世界遺産のボロブドール遺跡など多くの文化遺産を生んだ。インド古代の大叙情詩をジャワ人なりの考え方で発展させた多くの物語には、現地古来のアニミズム的な要素も色濃く残る。
[4月26日/日本経済新聞]
[5月20日/日本経済新聞]