「日経アジア賞」
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アジアの未来
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受賞者紹介

経済発展部門トニー・フェルナンデス
(エア・アジア最高経営責任者、マレーシア)

科学技術部門陳 定信
(台湾大学医学部教授、台湾)

文化部門マントゥブ・スダルソノ
(ジャワ影絵芝居人形遣い、インドネシア)


 
 経済発展部門
  トニー・フェルナンデス
 (エア・アジア最高経営責任者、マレーシア)
 
格安航空で飛躍 反骨心が原動力

 インタビュー中に何度か視線を落とした。携帯電話に入ったメールに真剣な表情で返事を打ち返す。視線を上げると再び笑顔。それがインタビュー再開の合図だった。

 受信する携帯メールは1日1000通以上。送信者の多くは「顔も知らない社員」だ。「何でも直接伝えてくれ。社員にはそう指示している」――。グループで約7000人の社員を抱える大組織のトップだが、「社員の友人」を自任する。

 「アジア航空業界の風雲児」「アジアで空の旅を大衆化させた男」「価格破壊者」……。マスコミが形容する言葉は枚挙にいとまがない。

 2001年、経営難に陥っていたマレーシアの航空会社エア・アジアをわずか1リンギ(約28円)で買収。以降、格安料金と積極的な路線拡張で同社を急成長させた。昨年は金融危機の逆風下にありながら、前年比24%増の2270万人の乗客数を獲得、シンガポール航空(1632万人)を追い抜いて東南アジア最大の航空会社に浮上した。

 「社員を路頭に迷わせたくない。そんな思いで疾走し続けた」。事実上の創業年だった01年、会社は「2つの飛行機、1つ(1カ国)の目的地、250人の社員」という陣容だった。それから約9年を経て規模は「86の飛行機、136(18カ国・地域)の目的地、7000人の社員」に膨らんだ。昨年の乗客数は01年の20倍以上に増えた。

 地盤とするアジアの興隆に加え、格安価格で潜在需要を発掘したことが急成長をもたらした。例えば、シンガポール―クアラルンプール(マレーシア)間の路線。競合相手のシンガポール航空に比べ運賃が1割以下の場合もあり「バスからも利用者が流れた」(旅行業者)。機内サービスの簡素化や航空機の効率運用、インターネットでの直接販売でコストを徹底的に削減した結果だ。

 航空業界に参入する直前は、米音楽大手ワーナー・ミュージックの東南アジア地域の副社長。転進の契機は、滞在先のロンドンで英格安航空を取り上げた番組を偶然見たことだった。「マレーシアでも同じことができないか」――。そんな衝撃に駆られ、格安航空の拠点があるロンドン郊外の空港に行って、一日中つぶさに観察した。

 そして母国での事業化を決意したが、国営マレーシア航空との競合を懸念し、政府は最初の路線をなかなか認可しようとしなかった。「運輸省の建物の前に7時間座り込み、幹部に面会を求めたこともあった」という。「保護主義」の障壁に何度も直面したことが「最も厳しい体験だった」と振り返る。

〆  〆

 その後、エア・アジアの人気を見て政府の姿勢は和らぎ、路線の新増設も容易になった。ただシンガポールやマレーシアで新格安航空の設立が相次ぎ、他社との競合は激化するばかり。「他社にはない営業網の厚さが当社の強み」と話すフェルナンデス氏は、今後も中国やインドをターゲットに路線を拡充し、優位を保ちたい考え。年内には初の日本路線としてクアラルンプール―羽田線を就航する見通しだ。

 大企業のトップ然とした振る舞いを嫌う。オフィスに個室はなく、大部屋に机があるだけ。移動は常に1人で、愛車の小型車を自ら運転する。会社のシンボルカラーである赤の野球帽をかぶり、ラフな姿で公の場に登場することもしばしば。

 「大企業に多いのは序列優先のピラミッド型組織。私が重視するのは(全員参加型の)平たんな組織だ」――。大手航空の経営網に果敢に挑んできたフェルナンデス氏の言動や経営哲学には、権力や権威への反骨精神がにじみ出ている。

 「Now everyone can fly!(さあ、誰でも飛べます)」というのが会社のスローガン。「アジアの30億人以上の人口をすべて顧客に取り込む」というのが最終目標だ。会社が上昇気流を続けるなかで「少しは目標に近づきつつある」との手応えを感じているようだ。

(クアラルンプール=牛山隆一)

<略歴>
 1987年、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒業。米音楽大手ワーナー・ミュージックの英現地法人に財務担当として勤務。99年から東南アジア地域の副社長を任された。

 2001年のエア・アジア買収と同時に最高経営責任者(CEO)。04年にマレーシア株式市場に会社を上場させた。07年には中長距離専門会社「エア・アジアX」を設立、オーストラリアなどへの運航を始めた。

 スポーツ後援に熱心なことでも知られ、09年に東南アジア初のプロバスケットボールリーグを創設。自ら出資して今年からは英ロータスを自動車レースF1に復帰させた。「マレーシアの子供に夢を与えたい」とも話す。

 「航空以外でも格安ビジネスを展開したい」と意気込む。現在、傘下のホテルの数はマレーシアを中心に7軒にすぎないが、15年までにインドやタイにも進出し150軒に増やす計画。医療や教育でも新事業を検討している。64年クアラルンプール生まれ。45歳。

[4月26日/日本経済新聞]

 
 
 記念講演要旨
 
   日本・ASEAN、人材交流を

 私は究極の夢想家だ。かつて音楽産業で働きながら、いつか航空ビジネスに携わりたいと思った。皆には難しいと言われたが実現させた。

 我が社は重症急性呼吸器症候群(SARS)や鳥インフルエンザ、津波、地震などの危機を乗り越えてきた。成功のカギは人材にある。社員は1つの大きな家族であり、原石を磨いてダイヤモンドに変えるのが私の仕事だ。経済的な事情で高等教育に進めなかった人にも積極的に機会を提供している。

 我が社の信条は「どんなことも可能であり、夢は実現する」だ。年末までには日本路線を開設したい。日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の人々にはもっと交流してもらいたい。

[5月20日/日本経済新聞]



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