「アジアの未来」
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アジアの未来
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日経アジア賞
English
 
リー・クアンユー氏
シンガポール共和国 顧問相

競争力維持へ国造り

 「閣僚として、私にしかできないことがあると信じている」。“シンガポール建国の父”は4月中旬、20―30代の若い世代との対談でこう強調。自らの知識や経験を生かし、政治家として国造りにかかわり続ける意志を強く示した。

 1990年までの31年間にわたり首相として強力な指導力を発揮。人口約430万人の小国を先進国並みの経済水準に引き上げた。首相退任後も上級相、2004年からは顧問相として後進に助言する。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)のリーダーの1人として、いまも発言力は大きい。シンガポールの競争力維持に腐心。かつては長髪男性の入国を拒んだシンガポールだが、現在2カ所でカジノを含めた総合リゾート開発を進める。「我々は国際化した世界の中で現実的に判断しなければならない」。世界のハブ(中核拠点)を目指し、時代の変化への対応に余念がない。

 最近は現状に満足する現役世代へのしった激励も少なくない。82歳。



■生年月日
1923年9月16日生まれ
学歴
シンガポール、ラッフルズ・カレッジ卒業
1942年〜45年
1946年〜49年

1946年〜50年
日本による占領期をシンガポールおよびマラヤで過ごす
英国ケンブリッジ大学フィッツウイリアム・カレッジ(1969年名誉特別研究員)
英国ミドル・テンプル法曹院(1969年法廷弁護士資格、1969年名誉評議会)
■職歴
1951年
1954年 
 
1955年

1959年

1963年
1963年〜65年

 
1990年 

2004年 
弁護士開業。複数の労働組合の法律顧問に
人民行動党(PAP)設立に参画。同党書記長となり、1992年11月まで在任
タンジョン・パガール地区から総選挙に立候補し当選。以降引き続き同地区選出議員として現在に至る
総選挙でPAPが議席総数51のうち43を占めて第一党となった結果、首相として組閣
総選挙でPAPが51議席中37議席獲得の勝利に導く
63年9月マレーシア連邦会議のシンガポール代表15名の1人となり、65年8月にシンガポールが連邦を脱退するまで在任
首相辞任。ゴー・チョクトン後任首相の任命により上級相に就任
リー・シェンロン首相の任命により顧問相に就任

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