「アジアの未来」
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日経アジア賞
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中曽根 康弘氏
元首相

共同体戦略をけん引

 1982年に「戦後政治の総決算」をスローガンに掲げて首相に就任。国鉄や電電公社の民営化など行政改革を断行した。外交では米国のレーガン大統領(当時)と「ロン」「ヤス」と呼び合うほど緊密な関係を築いた。「政治家は歴史法廷の被告席に立つ」が持論。97年には大勲位菊花大綬章を受章した。03年に56年間に及ぶ国会議員生活に終止符を打ったが、引退後も政界の「ご意見番」として存在感を放っている。

 アジアとの関係は深い。首相在任中の83年には東南アジア諸国連合(ASEAN)各国を歴訪したほか、93年のアジア・太平洋議員フォーラム設立に尽力し、この地域の議員が自由に政治や経済、文化について意見交換できる場をつくった。初代会長を務め、現在は名誉会長。

 民間レベルでの友好親善を進める日韓協力委員会の会長も98年から務める。「日本はアジア諸国との関係構築を戦略的に進めるべきだ」と主張し、04年に学者や経済人でつくる東アジア共同体評議会の発足に伴い会長に就任した。87歳。



大正7年5月27日生 群馬県高崎市出身。

昭和13年官立静岡高等学校卒業、同16年東京帝国大学法学部卒業後内務省に入省。海軍経理学校、海軍主計中尉、終戦時海軍少佐。

昭和22年4月第2回衆議院議員選挙に民主党[芦田均党首]から立候補65,484票獲得し初当選、昭和25年4月〜27年1月迄国民民主党[苫米地義三党首]、昭和27年2月〜29年10月改進党[重光葵党首]、昭和29年11月〜30年10月日本民主党[鳩山一郎]、を経て昭和30年11月保守合同後〜自由民主党、以後2003年10月迄連続20回当選、衆議院議員として国会議員を56年7ヶ月務める。

昭和34年6月第二次岸内閣時に国務大臣科学技術庁長官、原子力委員会委員長を務める。同42年11月第二次佐藤内閣の運輸大臣、同45年1月第三次佐藤内閣国務大臣防衛庁長官、同47年7月第一次及び同年12月の第二次田中内閣で通商産業大臣を歴任。その後昭和55年、56年の鈴木内閣で国務大臣行政管理庁長官を務め、同57年11月自由民主党総裁予備選挙により55万9,673票を獲得し圧勝、第11代自民党総裁就任と共に第71代内閣総理大臣に選任、昭和61年総理大臣として3選を受けるが、任期三期目は1年に数え、昭和62年11月6日迄2期半(5年間)内閣総理大臣を務めた。

平成9年2月国会議員在職50年表彰、平成9年4月大勲位菊花大綬章受章。

1988年より財団法人世界平和研究所会長、
1993年アジア太平洋議員フォーラム(APPF)を提唱し初代会長を務め、現在名誉会長。
1998年日韓協力委員会会長

趣味は絵画、ゴルフ、テニス、水泳。

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