「日経アジア賞」
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受賞者紹介

経済発展部門オリビア・ラム氏
ハイフラックスCEO兼社長(シンガポール)

科学技術部門フィリップ・ヨー氏
シンガポール科学技術庁長官

文化部門ソピリン・チアム・シャピロ氏
舞踊家(カンボジア)


 
 文化部門
  ソピリン・チアム・シャピロ氏 舞踊家(カンボジア)
 
古典舞踊を通じ社会変革訴える

 黄金に輝くきらびやかな衣装をまとい、ゆったりとくねるような独特の手足の動きをするカンボジア古典舞踊。2003年、ユネスコの世界無形遺産に登録された。その復興と発展に取り組む。

 ユニークなのは、1000年の歴史を持つ完成された形式美に初めて創作を取り入れ、さらにその創作舞踊を通じてカンボジア社会の変革を訴え続けている点。「古典舞踊はその気になればどんな問題でも表現できる。例えば伝統社会で差別に苦しむ女性、次の世代への歴史の継承の難しさ、そして国民を苦しめた政治の責任……」

 わずか30年前、カンボジア古典舞踊は消滅の危機に直面していた。ポル・ポト極左政権が恐怖政治を敷き、推定100万人以上の国民を殺害。古典舞踊も禁止され、舞踊家の9割が処刑された。

 当時8歳だったシャピロさんは、強制移住政策で家族とともにプノンペンを追われた。家財道具を目いっぱい積んだ荷車を押してひたすら歩いた。夜は地面にビニールシートを広げて寝た。まもなく父親が病に倒れ、空腹を訴えながら息絶えた。2人の兄弟も死んだ。

 「今でも鮮明に覚えている」この光景が創作の原点にある。きらびやかな衣装や動きに魅了されて古典舞踊を習い始めた踊り好きの少女は、大人になり、自然や神を礼賛する道具だった古典舞踊を、社会を突き動かす「武器」へと変えた。

 第一弾は00年に発表した、シェークスピアの「オセロ」を翻案した「サムリテチャク(暗黒王子)」。注目を浴びたのは東西文化融合の試みだけでなく、過去と向き合うことを拒み、罪を否定し続ける旧ポル・ポト派幹部への強烈な批判が込められていたからだ。  「過去は忘れようとしても必ず後ろからついてくる。国家にとっても個人にとっても、未来に進むためには過去と向き合うことが大切」。同作品は、つらい過去を体験したシャピロさん自身の心に整理をつけるための作品でもあった。

 02年には、古い慣習など目に見えない社会の壁が女性の自由を奪っている現実を訴えた「ガラスの箱」を制作。今年は、生誕250周年で注目されるモーツァルトのオペラ「魔笛」を翻案した作品を発表する。描くのは、ポル・ポト派による圧政や北朝鮮の現体制など専制政治の愚かさだ。

 創作活動の一方、正統古典舞踊の保存と普及にも力を入れる。米国人との結婚後に移り住んだ米カリフォルニア州ロングビーチ市に02年、非営利組織(NPO)「クメール・アーツ・アカデミー」を開設した。同地域にはカンボジア難民が多い。難民や米国生まれの二世など約50人の生徒に舞踊を教えている。

 この8月、プノンペンに古典舞踊の劇場を開く。内戦の混乱から完全に立ち直っていないカンボジアでは、芸術や文化に対する政府の支援が十分でない。米国とカンボジアを行き来する忙しい生活が始まるが、「カンボジアの若者に古典舞踊を継承し、創作活動の場も広げたい」と故郷への恩返しに目を輝かせる。(ロサンゼルス=猪瀬聖)

<略歴>
 1967年プノンペン生まれ。80年代にカンボジア文化情報相を務めたチェン・ポン氏は母親のいとこにあたる。大量虐殺で悪名高いポル・ポト政権時代(75―79年)を生き抜き、81年、再開した王立現代芸術学院に第一期生として入学した。
 同大学で教師をしていた90年、カンボジアを旅行中の米国人と出会い、翌年結婚して渡米。カリフォルニア大学で舞踊民族学を学ぶなどし、世界の文化芸術に対する造詣を深めた。2000年、シェークスピアの「オセロ」を翻案した創作舞踊「サムリテチャク」を発表し、本格的な創作活動に入る。
 02年、夫とともに米国内に非営利組織クメール・アーツ・アカデミーを設立。同アカデミーを率いて世界公演を行うなど、カンボジア古典舞踊の普及と保存を本格的に始める。夫と5歳になる双子の息子と4人暮らし。38歳。

[5月24日/日本経済新聞]

[記念講演の模様はこちら]


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