「アジアの未来」
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日経アジア賞
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リチャード・アーミテージ氏
前米国務副長官

アジア問題に影響力

 米共和党きってのアジア専門家。第一期ブッシュ政権では盟友パウエル前国務長官の右腕として、アジア外交を一手に担った。第一線を退いた今でも政権内部にシンパは多く、日本、中国、朝鮮半島などアジア問題で大きな影響力を持つ。現在はコンサルティング会社、アーミテージ・インターナショナル・グループ(AIG)代表。

 海軍士官学校を卒業後、自ら志願してベトナム戦争に参加。サイゴン陥落後も現地に滞在し、多くのベトナム人をフィリピンに「逃亡」させるなど修羅場を踏んだ。この経験が同じベトナム戦争の経験を持つパウエル前長官をはじめ、米国防総省の制服組との強固な人脈構築につながった。

 ブッシュ大統領との良好な関係は維持しながら、盟友と運命を共にした武骨な姿勢や、その手腕を評価する声はワシントンでも根強い。何かと物議を醸すラムズフェルド国防長官の「後任」とうわさされる理由はそこにある。59歳。



2001年3月から国務副長官。2005年3月にアーミテージ・インターナショナル設立。 2001年に公職に就くまでアーミテージ・アソシエイツ社長として世界各地で様々なビジネス、公共政策活動に携わる傍ら、講演や執筆活動を行う。2000年10月には「日米同盟:成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告書(通称「アーミテージ・レポート」)を発表した。 1992年3月から93年5月に公職を離れるまでの間、旧ソ連の新独立国家(NIS)に対するアメリカの支援を特使として指揮した。

89年から92年にかけては、在比米軍基地返還交渉代表や中東水問題特別調停者など主要な外交ポストを歴任。91年の湾岸戦争時には、ブッシュ大統領の特使としてヨルダンのフセイン国王の元へ派遣された。

83年6月から89年5月まで国防次官補(国際安全保障担当)を務めた。

75年5月、国防総省のコンサルタントとして中央政界に関わるようになり、76年11月までイランのテヘランに配属された。その後2年間は民間部門に戻ったが、78年、ロバート・ドール上院議員(カンザス州選出)の行政補佐官となった。80年の大統領選では、ロナルド・レーガン次期大統領の暫定外交諮問委員会上級顧問として、新政権が直面する主要国際政策課題について助言を行った。81年から83年6月までは国防次官補代理(東アジア・太平洋地域担当)を務めた。

アーミテージ氏は45年生まれ。67年に米海軍兵学校を卒業。在学中に海軍少尉に任官した。ベトナム戦争では駆逐艦に乗り組み、河川/顧問部隊で3度戦闘勤務に就いた。ベトナム語が堪能で、73年に退役すると、サイゴンの駐在武官事務所に迎えられた。サイゴン陥落が目前に迫るなか、ベトナム海軍の資産と人員の国外移転を編成・指揮した。

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