「アジアの未来」
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アジアの未来
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日経アジア賞
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中曽根 康弘氏
元首相

アジアと連携 旗振り

 1982年に首相就任。米国のレーガン大統領(当時)とは「ロン」「ヤス」と呼び合うほど親密な関係を築いた。国鉄の民営化など行政改革の断行でも知られる。

 「やるべきことをやっていないために日本がこんな状況になった。慚愧(ざんき)の念に堪えない」。周囲にはこう漏らす。昨年11月、50年を超える国会議員生活に終止符を打った。最後まで議員の身分にこだわったのは、政治家としてやるべき仕事が残っているとの思いがあったからだという。「政治家は歴史法廷の被告席に立つ」が持論だ。

 小泉純一郎首相の外交や安全保障政策には合格点をつけるが、不満はアジア諸国・地域との関係。「日本はアジア諸国との関係構築を戦略的に進めるべきだ」と主張する。今年に入り相次ぎ中国と韓国を訪問し、両国首脳と会談。その際、日中韓の首脳定期協議の開催を働きかけた。

 アジアとの関係は深い。首相在任中の1983年に東南アジア諸国連合(ASEAN)各国を訪問。93年にはアジア・太平洋議員フォーラムの設立に尽力し、同地域の議員が自由に政治や経済、文化について意見交換する場を設けた。85歳。


1918年5月27日生まれ。群馬県高崎市出身。
■経歴
1941年東京帝国大学法学部卒業後内務省に入省。1947年4月第2回衆議院議員選挙に日本民主党から立候補6万5484票獲得し初当選、以来連続20回当選。1959年6月第二次岸内閣時に国務大臣科学技術庁長官、原子力委員会委員長を務める。1967年11月第二次佐藤内閣の運輸大臣、1970年1月第三次佐藤内閣時に国務大臣防衛庁長官、1972年7月第一次及び同年12月の第二次田中内閣時に通商産業大臣を歴任。その後1980年、81年の鈴木内閣で国務大臣行政管理庁長官を務める。82年11月自由民主党総裁予備選挙により55万9673票を獲得し圧勝、第11代自民党総裁就任と共に第71代内閣総理大臣に選任。持ち前の手腕を発揮し1987年11月6日まれに見る2期半(5年間)内閣総理大臣を務めた。
現在(財)世界平和研究所会長、アジア太平洋議員フォーラム(APPF)会長を務める。
1997年2月国会議員在職50年表彰、1997年4月大勲位菊花大綬章受彰。
趣味は絵画、ゴルフ、テニス、水泳。

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