バングラデシュで小さな宝石商を営む父親と、貧しい人々に優しかった母親、8人の兄弟という中流家庭に育ち、大学を優等で卒業した後に米国に留学。1972年、母国に戻り、母校の経済学部長に――。そんなエリート経済学者の人生を一変させたのは、帰国2年後に全土を襲った大飢饉(ききん)だった。 貧困層を対象とした世界初の少額無担保融資(マイクロ・クレジット)事業を編み出したグラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌス氏。30年前に気鋭の若手経済学者だったユヌス氏は「数十億ドルという数字を無造作に扱う計量経済学の理論が、数セントの食費が稼げずにやせ細った人々にどれほどの意味があるのか」と疑問を感じた。 やむにやまれぬ思いで貧しい家庭を訪問して歩いた。この中で竹細工の制作、販売で生計を立てていた女性グループに出会い、ポケットマネーで「材料費27ドル(約3000円)」を貸したことが出発点となった。わずかな材料費を高利貸しに頼るため売り上げが手元に残らず、家族で1日一度の食事を取ることもまままらなかった彼女たちは、無担保、無利子の27ドルに「狂喜した」。 「担保がない貧困層に融資はできない」と冷淡な民間銀行に失望したユヌス氏は「身銭を切る覚悟で」貧困層の保証人にもなったが全額が返済された。2年をかけ100村以上で同様の形式を試したが、貸し倒れはなかった。「自分で弱者のための銀行を作る方が早い」と自信を得て83年、グラミン銀行を発足させた。 システムは民間銀行とはまるで違った。借り手は数人一組のグループを編成、工芸や畜産など生業の収益を踏まえて作った各自の返済計画をグループ内で話し合う。銀行の各支店は定期的に借り手グループの住む地域を訪ねて集会を開き、借り手はそこで返済事務をし、返済計画の説明もするという仕組みだ。 ユヌス氏は「富める者ほど大きな担保をかけて多くのカネを借り、融資を受けられない貧しい者は永遠に貧しいまま、という論理は金融のアパルトヘイトだ」と力説する。既存の金融機関が避けがちだった女性をあえて融資対象の中心に据えたのも特徴だ。 男性社会の感情的な反発もあり、風当たりは強かった。「『借り手に臓器移植による早期返済を勧めている』という事実無根の中傷や『革命に立ち上がるべき貧困層を無用に支援して骨抜きにした』との非難も受けた」。だがユヌス氏は一切反論をしなかった。行内にも「議論で勝つことに意味はない」と言い続けた。 実績追求の信念通り、グラミン銀行は設立以来9割以上の返済率を維持。現在は借り手320万人、融資総額42億ドル、返済率98%に達した。住環境や衣料などから独自に策定した貧困ラインで判断すると「借り手の46%は貧困層から脱却した」という。このシステムはアーカンソー州知事時代のクリントン前米大統領によってシカゴに導入されたのをはじめ、60カ国以上で採用。「実績」は世界が認めるところとなった。 「趣味と呼べるものはまったくない」。貧困撲滅と、その手段としてのマイクロ・クレジットにすべてをささげてきた人生の最終目標は「世界の貧困人口を2015年までに半減する」ことだ。(アジア部 吉野蔵一)