…クリエイティブ・コモンズへの期待
…創造力を高めるための著作権のあり方
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クリエイティブ・コモンズへの期待
司会(坪田)
デジタルコアの議論の中心は、誰もがクリエイターになれる時代を重視しようというもので、そこに共通性を見いだしている。
議論の口切りとして、弁護士の柳原敏夫氏からコメントをいただきたい。
柳原 敏夫氏(弁護士)
私は2002年にNHKの「変革の世紀」という番組に協力をし、そこにレッシグ氏が登場し、アメリカで市民が著作権について運動を起こし、法がどう変わってくるかなどを話され、強い印象を受けた。
その後、担当ディレクターから、「日本でも最近、映画の著作権の保護期間が延長されたが、それについて市民の誰もおかしいと声をあげず、大学の先生からも意見が出ないのはどうしたものか」と失望のメールがあり、日本と米国の状況の違いを感じた。
今日のスピーチを聴き、日本において著作権の最大の問題は創作意欲がどんどん失われ、枯れているのではないかということだ。背景には一部の専門家や職業的な芸術家が商業主義に走っているということもあるだろう。
「誰もがクリエイターになれる」話に、失われつつある創造力を取り戻せるのではないかと感じた。商業主義的なものからは、一回手を切って、創造する喜びを手に入れることで、創作性がよみがえってくるのではないだろうか。
創作意欲を回復する方法として、レッシグ氏らが提唱するクリエイティブ・コモンズに大きな期待をかけている。
加藤 幹之氏(富士通 知的財産権本部長 兼 安全保障輸出管理本部長)
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加藤 幹之氏
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レッシグ氏の著作権保護の考えの中で、コスト対利益を考えよとの指摘があったが、大変に重要なことだ。判断する基準として、限られた人々や分野でなく、社会全体として、広く、長期的な議論を続けることが大切なのだ。残念ながら日本でこの分野の議論のいくつかは、限られた産業にとってどうか、国際競争力をどう拡大するかに偏っている。
ジャック・バレンティ氏の活動についても言及されたが、海賊版のような困った例によって産業の秩序が崩れ、消費者も困ることになる。著作権の改正の議論は、しばらくフリーズして、どのくらいのスパン、どのくらいの範囲で議論すべきかから、考えるとよいのではないかと考えている。
クリエイティブ・コモンズは、立法に変わる制度として面白いものだと思う。ライセンスという契約の仕組みを補完的に作る。
クリエイティブ・コモンズは、コピーレフトの仕組みでなく、商業主義ベースでもない。非営利の世界では大きな問題にならない点もあるかもしれない。
是非、今後は商業利用の世界にまで広げてアイデアをだし、世界で試していただきたい。それに法律が従わざる得なくなるのではないかと期待する。
司会(坪田)
非営利で流通したものを使い、改編することで商業ベースになった場合にどうするのか。そこが難しいのではないだろうか。
レッシグ氏
柳原氏へのコメントだが、映画の著作権の延長について日本で声があがらなかったというが、米国でも最初は同じ状況だった。1998年にミッキーマウス保護法と呼ばれる著作権の改正が立法化されたときに、ほとんどの人は知らなかった。助走段階が米国にもあり、努力が必要だったのだ。
創造力の枯渇については、私自身が悲観論者なので気持ちはわかるが、日本の社会の創造力は、米国よりはあるように見える。商業主義がはびこっているのが理由というのもわかるが、コストがかかっているからだろう。本当にクリエイティブな仕事は、市場にのらずアンダーグラウンドで終わってしまっている現状もある。
もっと簡単で、もっとシンプルな枠組みを試してみて、それでも創造力が高まらないならば、仕方ないのではないだろうか。
加藤氏へのコメント。現在は旧態依然の業界が創造性をコントロールしているため、新技術にのっとった文化をどう法整備していくかが問題になっている。皆でシェアしていく伝統もなく、過去から学べないからだ。
クリエイティブ・コモンズの考え方が、既存の法制面を補完することを期待するというコメントがあったが、次のような考え方もある。多くの人が関わってくることで、これまでの常識が変わってくるのではないか。係わり合いの多さで、過去に起こってしまった失敗を共有して分散化し、より自由度が得られるのではないかと考えている。
司会の坪田氏からのコメントについては、最初はライセンスフリーで考えていた人が、途中から権利を主張したいという場合も想定している。クリエイティブ・コモンズでは、このように使うなら非営利、それ以外の使い方をした場合は許諾を受けていないと使えないといった制限を規定できる。最初はフリーで、途中からやめるということも可能だ。
許諾を取り消すまでに使っていた人はどうなのかといった複雑性はついてまわるが、そうした問題がクリアできれば、この枠組みで解決していけるだろう。
上出 卓氏(音楽制作者連盟 顧問)
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| 上出卓氏 |
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著作権の制度はクリエイターのための制度であり、どうバランスをとるかが重要だと改めて感じた。その中でディクニティー、ボランタリー、カルチャーなどの言葉が印象に残った。
クリエイティブ・コモンズとともに、パーミッションカルチャーも許されるものだろう。そのバランスをとるために、強制許諾やオルタナティブのコレクティブ・ライセンスなどさまざまなスキームが生まれている。
非営利とするのは概念が広過ぎるので、公益的な目的として著作物をいかに、パブリックのために使うかというところに力点をおくといいのではないかと考えた。
著作権の制度は、印刷から始まり、レコードが登場して、権利が複雑になっているようだが、定義の追加である。サイバースペースでの著作権を考えていくときに、WIPOが昨年暮れに発行した刊行物にサイバースペースでの著作権がどうあるべきか、公益性がどう確保されるべきかが書かれていた。そのひとつのアイデアとして、クリエイティブ・コモンズを考えたい。
ひとつ質問がある。米国の著作権は当初、登録をしたものを保護し、そうでないものは使って良かった。しかし今はベルヌ条約にのっとっている。米国の国際的な選択をどう考えるか。
レッシグ氏
私の考えでは、今のアメリカ政府の著作権法の改正は、改悪してきたと考える。不確実性を生んだ。人はどれが保護されているのかわからない。使っていいかどうかがわからない。作品を作るための創作性も阻害され、悪影響が出ていると思う。
日本でも著作権の期間が延長された。98%は商業的な価値がない、お蔵入りのものだ。延期された意味がないものまで、保護の中に取り込まれた。申請する方法をとるなど保護の範囲をせばめて、自由度を提供できたかもしれないが、そのチャンスを逸してしまった。
日本の映画の保護期間の延長の悲劇的な結果として、オリジナルなセルロイドのアナログ映画は、保護されている期間でぼろぼろになり、劣化してしまう危険性があるのに、誰が保護権者なのかがわからない。残そうとしても、どこに許諾をとったらいいかわからない状況だ。
ハリウッドのために考えられたのが、日本が何の考えもなしに追従してしまい、良い作品をも残せなくなってしまった。
会場からの質問1
レッシグ氏のクリエイティブ・コモンズに賛成する。
以前、マイコンにのせるソフトウエアを著作権に怯えながら開発している現場に立ち会ったことがある。「1+1=2」という数式に著作権があったら、「1+4−2−1=2」というようにあえてバグを残して開発しなければならない。それはエントロピーのように膨らんでいく。
「1+1=2」にクリエイティブ・コモンズのように、タグをつければいいのではないか。将来はレゴのようにブロックのように組み合わせていく。
バグのついた大きなソフトウエアを書き直すのではなく、フリータグのついたプログラムを組み立て、そこに自分の創造したものを乗せる。それができれば、多様なソフトウエアを出すことにつながるのではないか。感想をうかがいたい。
レッシグ氏
レゴの構想は素晴らしい意見だと思う。クリエイティブ・コモンズでも、プロクリエイトというライセンスで似たようなことを考えている。
改編するのは良いが、丸々コピーして使うのは許可しないよというライセンシングの枠組みを考えている。
創造力を高めるための著作権のあり方
会場からの質問2
知的財産権の保護と利用のバランスが大切だとおっしゃるが、個別の産業においてはどう考えるか。たとえば映画ならば何年くらいで、それは何故なのか。考える基準についてうかがいたい。
レッシグ氏
保護と利用のバランスをどうとるのか。著作権法の歴史の中で、使用を規制しようという試みはない。出版は著作権法で保護されるが、読むことについては規制していない。
著作権保護期間については、創作者のインセンティブがあがるよう、保護しなくてはならないと考える。たとえばガーシュインの曲の保護期間を延長しても、新しい曲が生まれるわけではない。過去のものを保護し、使用を制限するなど後ろ向きに規制しようというのは、理由づけにはならない。
政府が出している国内の著作権法は、前向きのものと区別していない。単に保護期間をより伸ばそうと、その都度議論されているが、社会的な選択として論じる問題だと思う。
私自身は、著作権者の人生+70年という期間は十分過ぎると思う。創作してから14年、それから更新して14年。全体で28年が妥当だという意見があるが、私も賛成である。
クリエイティブ・コモンズでは、ファウンダーズコピーライトという仕組みで考えており、ライセンスを委譲する。ライセンスバックを14年行うので、28年になる。
津田 大介氏(ライター)
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津田 大介氏 |
非営利のものは、多くの人にとっては営利のものを改編したもので、日本のネットにも多く存在している。P2Pでは、流通している作品の色合いを変えただけでオリジナルであると主張したり、海賊版に毛が生えたようなものもある。
それらをクリエイティビティーというひとつの枠にはめることに違和感がある。クリエイティビティーの判断はどうするか。誰が行うべきなのだろうか。
レッシグ氏
視点を変えて答えたい。質が高いか低いか、クリエイティビティーとしていいかを判断するのではなく、クリエイティビティーを阻止するのが妥当かどうかで判断するのだ。単にコラージュだから駄目だよというのではなく、規制する理由があるかどうかを議論すべきだ。表現の自由は制限されてはいけない。クリエイティビティーの質の高さでは制限されるべきではない。
司会(坪田)
私自身は、クリエイティブ・コモンズの考え方から新しいものが出てきそうだと感じている。現在は、サプライサイドからプッシュされて、買わされている状況だが、創造物がプールされて、自分たちのセンスで広げていく。それがネット上でのこれからのコンテンツになるのではないだろうか。
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| 中村 伊知哉氏 |
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中村 伊知哉氏(スタンフォード日本センター研究所長)
昨年の12月にレッシグ氏に勉強会に来ていただき、その後、デジタルコアでデジタルコンテンツの勉強会を立ち上げ、議論を重ねてきた。
今回、原点に戻ろうとレッシグ氏に話を聞いたが、われわれの議論とシンクロしていた。今後、いっそう議論の内容をブラッシュアップしていきたい。
その過程で再び、レッシグ氏の話を聞きたいと思う。また、議論をしましょう!
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