…音楽配信がなぜ普及しないか
…「着メロ」「着うた」と音楽コンテンツ配信の相違点
音楽配信がなぜ普及しないか
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| 上出卓氏 |
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上出 卓氏(音楽制作者連盟 顧問)
お2人のスピーチを聞き、我々が考えていた常識的な思いと違う部分があった。レーベルゲートCDの実際のサーバアクセスがごく僅かであることには驚いた。音楽を聴くためにパソコンを使っているのではという先入観があったが、なぜだろうか。
楠 正憲氏(マイクロソフト アジア リミテッド 法務・政策企画統括本部 政策企画本部 技術戦略部長)
パソコンで音楽を聴くことは、動作音などがし、ステレオで聴くに比べて劣っている部分はある。静かなパソコンもあるが、メーカーもパソコンの用途を広げる中で、音質や画質の向上といった課題がある。
そのほかに、魅力的なコンテンツがあるかどうかが問題だ。コンテンツを持っているところが配信できる環境を持ち、ビジネスを行う環境を整える努力が必要だろう。インターネットで配信されている音楽は、今はCDと変わらない音質だが、さらに良くなれば新たな方向が見つかるはずだ。また、権利を守りながら、デバイスを多様化するといったことも進めたい。
上出氏
若者は音楽CDを大量にCD-Rにコピーしているにも関わらず、レーベルゲートCDのサーバアクセスが少ないのはなぜだろうか。
秦氏
パソコンが単なるツールでしかないからだ。アメリカではパソコンはゲームから始まりエンタテインメントマシンになっている。一方でモバイルはまったく受け入れられない。しかし日本では着メロビジネスは1000億円市場になっている。それは駅で暇つぶしにダウンロードしているのではなく、23時台がもっとも多くダウンロードされていることからも、部屋でダウンロードしていることがわかる。つまり、日本では携帯電話がエンタテインメントマシンになっている。パソコンはCDを借りてダビングして返すときに通り過ぎるだけのツールなのだ。パソコンが利便性を提供する機械にならなければいけない。
津田氏
今のコピーガードは厳密なものではないし、ユーザービリティーも悪い。パソコンにファイルを置いておいただけでは利便性がない。
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| 菊池尚人氏 |
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菊池 尚人氏(FMP総研 研究員)
過去のコンテンツを消費者が手に入れたいのは理解できるが、これから創り出すコンテンツを確保することの方が重要なのではないか。またそのとき、「パソコンで音楽」という価値があるのか。
津田氏
パソコンだけで音楽が完結している人は少ない。MP3はCDに書き戻しもできる。しかしCCCDは、買ってきたのになぜこれまでできたものができなくなったのかといった思いがある。ユーザーはわがままだ。コンテンツ事業者とユーザーがどこで折り合いをつけるのか。現在は惰性で進んでいるのではないか。
上出氏
「着うた」のブレークを考えれば、コンテンツはユーザーフレンドリーで、使い慣れている方法で手軽に手に入ることが重要なことがわかる。しかし携帯電話が音楽を聴く環境として優れているものとは思えない。
秦氏
音楽好きが給料を叩いてステレオを買った時代から見れば、今の着メロビジネスは信じられない状況だ。つまり、ユーザーが変わっているのだ。
坪田
私はPDAに興味があるが、どれも帯に短し、たすきに長しである。CDが好きな人がパッケージのCDを買うのも、今の環境の中では仕方がないこと。MP3の配信をパソコンで聞くことが中途半端なのではないだろうか。
秦氏
音楽は「ながら」が主流のコンテンツである。車を運転しながら聞いたり、移動中にウォークマンで聞く。音楽配信との違いでは、ネットMDを使わなくては外に持ち出すことができず、CDに焼くことができないことが決定的な差であろう。パソコンユーザー側からのアプローチとCD好きのユーザー側からのアプローチでは、違うのではないか。
「着メロ」「着うた」と音楽コンテンツ配信の相違点
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| 会場風景 |
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津田氏
着メロは若者文化の一つであり、他人に聞かせるためのコンテンツでもある。したがって単純な比較ができないまったく別の物と考えた方がよい。
秦氏
「着うた」に対応したauの新機種を買った2割のユーザーが「着うた」を使っているが、着信設定しているのはそのうち半分と言われている。音楽は、CMやカウントダウン番組で少しだけ聞く機会が増えている。我々が想定しているのは着メロを飲食店で聞かせている状況が増えているので、「着うた」がビジネスになると考えた。
津田氏
「着うた」は音が小さいので着信音として使いにくいという単純な理由もあるだろう。
上出氏
「着うた」については、1曲100円でコンテンツとしては高価だ。ユーザーが求めている価格を考えると、常識を覆しているのではないか。
岸上 順一氏(NTTサービスインテグレーション基礎研究所 部長)
「着うた」や「着メロ」と、音楽鑑賞の音楽は分けて考えるべきだ。特にクラシック音楽の聴き方と着メロの聴き方はまったく違う世界で、当然ビジネスモデルも違うはずである。その上でビジネスをどのように伸ばすかを考えるべきで、両方からのアプローチがあるべきだろう。
私は個人的に、音楽を聴くときには仕方なしにパソコンに録音することはある。飛行機の中で音楽を聴くためなど必要に迫られることがある。しかし、パソコンにBOSEのスピーカーをつけたとしても、パソコンの音楽をリスニングルームで聴く環境にはならないだろう。進化や発展には多くの段階があり、今は気楽に音楽を楽しむことと、従来の音楽の楽しみ方の両方があるような状況ではないか。
金 正勲氏(知的財産研究所 招聘研究員)
現在は大手レコード会社がアーティストに対してフレンドリーに接しようとしても、自作自演で音楽を制作するためにレコード会社のパワーが落ちているという認識である。しかしアメリカにおいては現在もレコードレーベルの力が強い。日本においてパワーシフトが起きているとしたら、ユーザーの観点から考えれば、「中抜き」の状況は便益が上がることもあるのではないだろうか。
また、民間放送で過去の番組を買えることについては、以前は長い間、無料で提供されていた。それが有料化されたとき、一部のユーザーが視聴料を出すようになった成功例である。音楽配信はCDに対して熱意がある現状だが、魅力あるサービスの提供に対する工夫が足りなかったのではと考えている。
秦氏
アメリカは原盤権をレコード会社が持っている。日本は原盤権をアーティスト側が持っていることが多い。そのためアーティストパワーが大きくなってしまう。ソニー・ミュージックエンターテインメントとAVEXは原盤権を持っているが、他社は皆無に等しい。それに伴い、他社では音楽配信も皆無に等しい。金銭的な負担をレコード会社ができない障壁もある。一方、アメリカでは30万曲が配信されているが、さすがにビートルズやローリングストーンズなどは権利問題で配信されていないものの、ほぼ過不足のない楽しみ方ができる。
上出氏
P2Pのファイル交換について、約200万人弱がソフトを使っている。しかし私の周囲を見る限り、P2Pを使いこなしている人は見かけない。
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| 川崎裕一氏 |
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川崎 裕一氏(Jnutella.org/ネットイヤーグループ)
WinMXとWinnyだけでもユーザーが数十万規模と言われている。ファイル共有のユーザーだけではなく、裾野が遙かに広い。数字上はもっと大きく、根の深い問題なのではないか。
「着メロ」が流行っているが、音楽コンテンツを着メロのように「99円で月に3回」として配信したら、年間で20億円のビジネスになるだろうが、旨味はない。
一方、「着うた」の再生時間は20秒程度で料金は100円である。通信料がauの「パケ割」サービスを使うと0.79円となり、ダウンロードに171円かかる。これを音楽配信で計算すると、240〜300bpsで4MB〜6MBのコンテンツをダウンロードするのに12,000円もかかってしまう。「パケ割」を使っても4,333円。当然、パケットの使い勝手を変えなければならない。「着メロ」や「着うた」は、人に聞かせたり自慢するためのツールという側面もあるが、少額決済についてはDoCoMoやauも確立しているので、それほど厳しい話にはならないと考えている。
秦氏
アーティストはCDを発売するために作品を創っている。我々はもっとも良いメディアを選ぶだけである。コンテンツはデジタル化した段階でトレースできるので、これまでいい加減だった二次使用についてもトレースできる。しかし月額課金は難しいだろう。コンテンツビジネスのデジタル化でやっと1ダウンロードあたりの課金ができるようになり、これが課金の原則となる。
上出氏
1ヶ月で250万、1年間で3000万曲のダウンロードがある一方で、CDの売上は昨年約8000万枚だ。シングルマーケットの3〜4割が「着うた」に動いているのだ。携帯という世界の中ではコンテンツビジネスが自立してるかもしれないが、次世代のモデルの参考になるのだろうか。
秦氏
まったく違う世界と見ている。金額的に考えても、業界全体で100円×ダウンロード数ではビジネスになりうる金額にはならない。ただ、日本において携帯電話の普及度や簡便さ、裾野の広さを使い何かできなだろうかとは考えている。携帯電話は音楽を楽しむ端末としては役不足であり、2次使用にしかならない。
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| 安田浩氏 |
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安田 浩氏(東京大学 国際・産学共同研究センター 教授)
私は、P2Pについては、静観している。レコードに含まれているものはコンテンツなのか見直す必要があるのではないだろうか。例えばライブの宣伝のためのメタデータなのかもしれない。それが手軽なことにより、金銭を払う人が出てきて、ビジネスになった。そしてそれがネットになり、今後はどうなるか。今もう一度考え直してもよいのではないだろうか。
平然とコンテンツをコピーする人もいる。それに対し、「私は正しいことをしている」ことを認めて欲しいと考える人も出る。そのとき、ニーズを満たせなければ不公平感が増す。一方で、金銭を払ったなら私的コピーをしても良いとしても、金銭を払ったことを証明できない。IDの問題も課金の問題も、デジタルの特性を使って実現できないだろうか。
上出氏
デジタル化でトレーサビリティができるようになったのは1つのキーワードだろう。
坪田
コンテンツ流通には多くの問題がある。今回の話では、日米の差と、日本における特殊な事情、ユーザビリティーなどが取り上げられた。
日本ではパソコン派とオーディオ派に重なる部分がない。「プレイボーイ」という雑誌はアメリカの同誌よりも日本の方が遙かにきれいだった。本の体裁といったビジュアルについて日本は細部にこだわる。日本には「どうせやるなら本物を欲しい」という心情があるのだ。したがって、アメリカではナップスターによるファイル交換が盛んでも、それがそのまま日本に流れてはこない雰囲気がある。
最後はコンテンツの本物は何だろうかという疑問に戻るのか。それはライブを聴くことだろうか。文化とデジタル、ネットワークがどう絡むか。新鮮な知見が得られた。
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