司会
コメンテーターの方々や、会場の皆さんから意見を受け付けたい。
日本のコンテンツの動向、目指すべき方向とは
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| コメンテーター |
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加藤 幹之氏(富士通 法務・知的財産権本部長代理輸出管理本部長代理)
米国の立法の動きやそれに対する懸念は、日本でも同様にある。ヨーロッパでも同じような問題は出てきている。日本では、立法化まではしていないが注意していかなければならないと思う。公正な利用や、誰もが使えるパブリックドメインも存在しうる、これを確認することが大事だ。自由に使えることで、ビジネスも広がり、社会も良くなる。そうしたことを見るべきだと思う。
米国ではさまざまな法案が出てきたが、日本に対してはどのような提案があるか、うかがいたい。
レッシグ氏
アドバイスとして、特定の分野をこうした方がいいというのはむしろ言いたくない。米国でわれわれが忘れてしまった失敗から学んでほしい。
知財の保護は、功利主義的な実践的なアプローチをする。イデオロギー上でなく、どこまで保護すれば最善の経済成長が見込めるか経済的なアプローチで捉えるべきだ。
著作権に関わることにを、窃盗のように犯罪扱いして刑罰を与えるのは、うまくいかないだろう。市場を守ろうとして法律で締め上げるのは、そぐわない。実践的、経済的な意味合いを考えるべきだろう。
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| 上出 卓氏 |
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上出 卓氏(音楽制作者連盟 顧問)
私はコンテンツ側の立場から発言しなければならないだろう。個人的には、レッシグ氏の考えに共感するところも多い。
コンテンツ側からあえて反論すると、ミネラルウォーターの喩えがあったが、ミネラルウォーターは付加価値、ブランドをつけたものだ。ただの水ではないから、受け入れられている。しかし、音楽、映画は、レコード事業者、映画製作者は、コピーもオリジナルも同じ価値を持っている。それが無料で配布されてしまうことに、危惧をもっている。最近、カザーは、以前のナップスター以上にユーザーが増えている。コンテンツは必ずしも、一般の商品とは同じに語れないのではないか。
もう1つ、DMCAはコンテンツ側から見ると、権利を制限してIT時代に適合した保護制度を目指すという理解をしており、特殊な法律ではないと思う。米国では権利を保護する法律と、反対の法案も出てきているので、どちらかに偏っているのではないと思っている。
レッシグ氏
貴重なコメントをありがとうございます。日本のコンテンツ側の代表が、米国と比べてバランスも良く、レベルも高いことがわかり、嬉しく思う。(笑)
知財といってもいろいろなタイプがある。確かに、それぞれ区別をし、一緒には語れないだろう。映画と音楽でも違う。
映画の保護は難しいだろう。映画配給会社は、絶対的な保護を望んでいるが、どうやって実現するのか難しい。私が述べてきたのは、音楽を念頭においたものだ。コピーはオリジナルと同じ価値だというが、違うのではないか。インデックス化されたものは、違うと思う。
その意味で付加価値を付けた人間には、それなりの対価を支払うべきだ。そうであれば、無料ものと競争できるだろう。
上出氏
物事には、オポチュニティ(機会)とチャレンジ(挑戦)の両面がある。現段階では、コンテンツ業界は模索しているところだ。付加価値が高く、お金を払ってもらえるモデルが作れない中で、フリーの配布方法が出てきてアンバランスになっている。日本でも20年前にFM放送が登場し、レコードの代わりになるのではないかと議論が出たが、同じような状況にあるのだろう。コンシューマーが受け入れることで、次のステップに進め、さまざまな意見が出ることで前に進めるのだろう。
実践主義とイデオロギー
国領 二郎氏(慶應義塾大学ビジネススクール 教授)
質問だが、レッシグ氏は100%実践主義なのか、一部、イデオロギーも入っているのか。イノベーションが大切というのが実践主義だと思うが、その実現方法として、フリーということを強調されている。このフリーは、無料ではなく、自由ということではないか。
レッシグ氏の主張は、インターネットのアーキテクチャが進歩しても人を縛らず、レイヤーの低いところでIPのルールを守れば、誰が何をしても大丈夫という状況の中で、インターネットの持つ爆発的なイノベーションの力を守りたいと考えているのではないかと理解した。
あえて質問したいのは、ビジネスモデルだ。著作権にに従わずに、ビジネスモデルで解決しようというのは、自由を守らずに自由を壊すビジネスモデルもある。それをイデオロギーとして、駄目だというのか。悪い意味ではなく、この10年くらいに発見した重要な真実でもある。
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レッシグ氏 |
レッシグ氏
イデオロギーを尊重する、実践主義者であると言ったらいいだろうか。(会場笑)
実践主義者というと、精神的な価値観がないようにとられるがそうではない。私が知財を考えるときに、実践的なアプローチで考える方がいいというのは、弁護士としての罪悪感、アメリカ人としての罪悪感かもしれない。弁護士は実践的なことは知っていても、道義的に語るものだ。アメリカは、海賊的に新大陸にやってきて、世界中にお説教をたれているという罪悪感もある。偽善者的な気持ちを拭い去ることはできない。だから、むしろ、実践的なアプローチで切り刻みたい心境なのだ。
国領氏
正直なコメントをありがとう。
日米の社会の構造の違い
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| 中村 伊知哉氏 |
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中村 伊知哉氏(スタンフォード日本センター研究所 所長)
私は上出氏とともに、音楽業界の著作権のアドバイザーもしている。日本のコンテンツ産業、特に音楽業界は、縮小している。フリーコンテンツの問題があると言われている。
仮に完全にフリーになったときに、どのようなモチベーションでアーティストは活動するのか。その際にインターネットやコミュニティーがどう機能するのかを議論すべきではないかと思う。
質問したいのは、日本と米国の違い。米国はガバナンスが多様だ。国会、州政府、司法省、裁判所などがあり、コストはかかるが柔軟。一方、日本は政府に集中している。シンプルだが、柔軟でない。こうした社会、政治、経済の構造の違いを、日本に来てみて、どう感じているか。
レッシグ氏
音楽業界は縮小しているというが、私は拡大していると思う。インターネットの影響は、知財、著作権の管轄の範囲に大きな影響をもたらしていると思う。だからこそ、管轄が広がり、取り締まるべき対象が増えているのだろう。
インターネットが普及する前から、本はあり、それを読んでも著作権には触れない。しかしインターネット、サイバースペースに行った途端、著作権を想定してしまう。より規制が強くなったことについては、議論の余地があるだろう。
また、フリーのコンテンツにより、アーティストのモチベーションがなくなるという指摘があったが、それはないだろう。今でもお金が潤沢に入っているのは、ほんの一握りのスーパースターだけで、なんとか食べられている人が大多数だ。食べられない人も多い。それでもアーティストは存在している。
最後の指摘の法制面などの構造の違いがあるという点は、興味深い意見だ。私自身は憲法に関心がある。三権分立のチェック機能が米国にはあるが、司法も立法も行政も力が強く、バランスをとるのは難しい。日本はその点、シンプルなので、もっと早くできるのではないかと思っていたが、日本に住んでみて、学べば学ぶほど理解できない。また、日本の行政や立法について、英語で書かれたものが少ないのでよくはわからないというのが現状だ。
中村氏
私もフリーで配布されることでアーティストのモチベーションが下がるとは思わない。食べられなくてもモチベーションは維持できる。インターネットは、むしろ、それを爆発的に高める効果があるのではないかと、そこに期待したい。
著作権保護と利用のバランス、範囲
関口 和一(日本経済新聞社 編集局産業部編集委員兼論説委員)
今日の話はそのとおりだと思った。しかし、インターネットのアクセスにお金がかかる現状では、ダウンロードしたコンテンツを自分のディスクに置いておきたいという欲求がある。米国でミュージックネットなどが登場したが、予想ほど伸びていない。
レコード産業の売上げは落ちているが、音楽に触れる機会は増えている。今の音楽産業はパッケージ産業になってしまっているが、コンテンツ産業になるための移行期にある。その溝をどうやって埋め、実現するのか具体的なお考えはあるのか。
レッシグ氏
アクセス料を払ったのだから、ダウンロードしてディスクにためたいというのは、ちょっとわからない。レコードを蒐集するならわかるが。
むしろ、人々は何かインタラクティブな体験を楽しみたいのではないか。将来的には、ワイヤレスで常時、高速で接続できれば、ためこむ喜びはなくなるだろう。
それまでの移行期に注意なくてはならないのは、アーティストに対しての被害を最小限にし、確実にお金が入るようにすることだ。
上出氏
往々に、情報とコンテンツが混同されることが多い。情報はできるだけ、早く、多く欲しいものだ。コンテンツは違うという考えを取り入れてもらいたい。
日本では知的財産権という言葉が使われているが、クリエイターが自ら作り出した何物にも変えがたいものが知的財産であり、それはお金さえ払えばいいだろうというものではない。ソリューション(解決策)としてそういう考えが、米国で出てきているが、そうではないと思う。知的財産(価格)には、人が生み出したバリュー(価値)がある。だからプライスがあるのだということを強調したい。
レッシグ氏
今の上出氏の意見の核の部分には、まったく異論はない。知的著作物について財産権があることは間違いないが、どこまでをその範囲にするのかが問題なのだ。現在は、自分が作ったものから派生するものについても権利を認めている。
例えば、「ウェストサイドストーリー」は、「ロミオとジュリエット」から派生しているが、シェイクスピアの子孫から許諾を取らねばならないとしたらおかしな話だ。
ITと知的所有権は、「ウェストサイドストーリー」についても、コントロールをかけなければならないと言う。どこまでの保護を与えれば、アーティスト、コンテンツ所有者のモチベーションをそがなくて済むのか。同義的な問題ではなく、経済的に考えなくてはならないだろう。
上出氏
著作権は使用を禁止する権利ではないことを強調したかった。レッシグ氏の話はそのとおりで、おそらく、同じものを異なる角度から見ているのだろう。
2つの立場、政府の役割
会場からの質問
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インターネットの問題で「IP」という言葉で何を思い浮かべるかで、異なる2種類の人々がいることがわかる。1つは、知的所有権を思い浮かべる人々。もう1つは、インターネットプロトコルを思い浮かべる人々。
後者は技術の進歩によって、知的所有権を守る完璧なシステムができると信じており、前者は法律で何とかならないかと考えいてる。
この2者の溝を埋めるのはビジネスモデルの提示だと、レッシグ氏はおっしゃるが、認識の乖離を埋めることが必要ではないかと考えている。政府の仕事はそれを埋めることではないかと思うが、いかがだろうか。
レッシグ氏
両極端のグループがあり、それぞれの視点からものを言っているのは米国でも同じだ。知財関連の弁護士が1つのグループで、「知的所有権は聖域だから一般の人にそれを触らせるな」と言い、もう一方は技術者たちで、「法律などどうでもいいじゃないか」と言う。
私はどちらも間違っていると考える。知財の弁護士が間違っているのは、知的所有権の枠組みが違っている。政府が独占的に規定したものを聖域だと考えるのはおかしいし、どうでもいいと考えるのも間違いだ。
中道を取るのではなく、私は弁護士なので人々に教え、諭したい。しかし、そうした人たちは自分の考えを譲らないのだ。
どうしたらいいかは歴史を見てみるといい。まず技術ありきで、追いつくためにビジネスモデルと法律がついてくる。著作権では、史上初めて、それが逆転しようとしている。技術を止めて、法律を整備し、ビジネスモデルを作ろうとしているが、まったく間違いだ。まずは技術を発展させるのが、歴史的な流れに沿ったものだろう。
技術をコントロールしすぎ、発展を止めてはならない
今川 拓郎氏(大阪大学 大学院国際公共政策研究科 助教授)
私は法律と経済を専門にしている。ビジネスマンであれば、技術が進むのを待ちなさいと言えるが、NPOの相談を受けることもある。自分の写真が思いもよらずに、インターネットの掲示板に載ってしまい、困っているような人だ。そうした人に、技術が進むからあきらめなさいとはいえない。
インターネットでは、技術とプライバシーの境界がなくなってくる。コンテンツそのものにコピーを防ぐ方法があるのではないかと考えている。
レッシグ氏
その件は、マイクロソフトのリサーチャーによるダークネットと呼ばれる報告書が参考になるだろう。骨子は、汎用のコンピューターがある限り、ハッキングの技術がある限り、非合法のハッキングはなくならないだろうというものだ。
私はさらに、法律がインターネットにもっとダメージを与えてしまうのではないかと危惧している。使っても意味のないものにしてしまうことのほうが、怖いと思う。
コンテンツに保護をかけるモデルはさまざまな技術があるので、検討する価値はあるだろう。コンテンツをコピーすることをコントロールする有効なモデルはないが、中身をコントロールするモデルは多分、あり得るだろう。ネットの可能性は大きい。今、あれこれコントロールしようとするのは、技術の発展に対して障害にこそなれ、助けにはならないだろう。
司会
ありがとうございました。レッシグ氏は、歴史的な視野、幅広い視野をお持ちで、何事も疑ってかかることで素晴らしい知見を得ているように感じた。今後も鋭い視点で、この分野に切り込んでいって欲しい。
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