| From :
村上 裕康
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2003/02/10 00:52
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| Subj :
【110】美の文明〜リアルな体験による情緒教育
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議論を、後戻りして申し訳ありませんが、リアルについてコメントさせて下さい。
【084】中野
でも、多くの人々にとって、テレビの実写は、「現実」の一種です。
では、新聞記事は、現実の伝達でしょうか? 週刊誌の記事は? 実際の記事をもとにした評論は? 歴史評論は? 講談は? ノンフィクションの書籍は? フィクションの書籍は? 手紙は?
確かに、「現実」かもしれません。ただ、受けての「原体験」によって受取り方が違ってくるはずです。
【084】中野
要旨:重要なのは多分、他人の気持ちになって自分を相対化して考えられるかどうかであって、仮想か現実かでは、ないと思います。
いつも、自分を相対化して考えられるでしょうか?自分の子供の死に直面した時、恋をする時、死にそうな思いをする時、
「現実」は相対的なものではなく、自分自身の原体験もしくは人間の原体験に根ざす「現実」であるはずです。
小生がリアルといっているのは、原体験もしくは原体験を形づくる「現実」のことをいっています。
テレビゲームや漫画、アニメ、等の人工的な「現実」が子供達の原体験を形づくる「現実」になってしまうのではないかと危惧します。
それが「現実」の一部ではないか、という指摘もあるかもしれません。
ただ、人工的な「現実」がかなりの部分を占めてしまうと、恐ろしい気がします。
中島さんは、認知科学の立場から、「人間(生物)の認知機構は人間が生活している環境に合わせて発達しています。
従ってそのような自然環境においては、非常にうまく動作しますが、
そうではない人工環境では誤動作することが多く知られています。」と発言されています。
本荘さんからはどのように対処すべきか?と言われそうですが、
極端なものについては規制があってしかるべきだとは思いますが、規制では解決できるとは思いません。また、
IT技術によって解決できるとも思えません。
あえて、提案するならば、教育が情緒を育てるリアルな体験の場を与えていくべきだと思います。
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