世界情報通信サミット2003ネット会議
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内容(時系列目次)

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教育のコンテンツを誰が作るのか

 From : 飯坂 譲二 2003/02/03 13:03  
 Subj : 【052】教育のコンテンツは誰がかくのか?書けるのか?
相変わらず、昨今の日本経済の低迷、勢い込んだ構造改革の成果もこれといったものが見えないままに今年も明けてしまい、 2月を迎えてしまいました。日経新聞がこの会議を開催して数年の月日が経ち、 開催初期に指摘された問題点なかで解決したものも多い中で、社会自体のIT化には、新たな問題の発生も加え、 ITの社会への定着となると、私には今一つという感を持たざるをえません。

日本のネット接続環境、特に通信速度の向上やコストの低減、ディジカメ付きの携帯普及などをみると、 確かにそれなりのIT環境の進展がみられます。しかし、ITが社会のいろいろな面で、本当に本来の目的達成に寄与したのか、日本経済に復興に寄与したか、 構造改革がITを踏まえてできたのかというと、いささか疑問を感じています。

これからの日本をどうしていくか、いろいろな側面の中で、教育に関する課題が重要であることは異論がないと思います。
教育改革も学習指導要綱の改定や新しい教育基本法の改定など改革化するの動きはあるものの、 ITとの係わり合いの上で改善なのか後退なのか判然としません。

教育とITの関係は単に学校にコンピュータを導入したりインターネットの使い方の問題でないことは自明です。 特に教育用のコンテンツが重要ではありながら、望ましい形で進んでいるのかどうか疑問を感じている次第です。 国際大学の中野さんが、教育用コンテンツの予算処置などについて述べられておられますが、 購入に値するコンテンツの存在からして疑問に思っています。

ITを駆使した教育には、大きな可能性を秘めながら、人間の学習パターン、心理的な要素、社会的な需要、対象など、 まだまだ未知のものが多いにも拘わらず手があまりつけられていません。また既存の機能でも、 日本で早急に導入を検討するものもあります。例えば、中学高校、また大学の教養程度で学ぶ数学、 特に数式処理プログラムの普及などはその一例です。

じつはこの表題は、教育用に限らず、IT時代のコンテンツは誰が開発するのか?誰が開発できるのか、 そのコンテンツの質をどのように検証できるのかといった問題を提起したかったわけです。

日本のゲーム用ソフト開発能力は否定しませんが、日本製のソフトで世界に通用する専門分野でソフトが極めて少ないままであることは、 夫々の専門的な応用ソフトの開発能力に問題があり、教育用のコンテンツ開発も同じような環境にあるのではないでしょうか。 これは、プログラムを書く人、それぞれの分野の知識を持つ人と使いたい人たちの間に大きなギャップがあることで、 このギャップを埋めないことには使い物になるコンテンツは生まれてこないといいきってよいと思います。

そのためにどうするか、それぞれの専門知識を有する人の開発能力を再教育することも必要であり、また、 高度な専門教育の学生にITの教育を合わせて徹底するなどがすぐにでもはじめられることですが、 ITが教育手法をどのようにかえるのがよいかとなると、ステディーな研究と調査がさらに必要で、時間が必要だと思います。

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 From : 唐澤 豊 2003/02/03 16:14  
 Subj : 【056】教育のコンテンツ〜誰でも使えるツールを誰が作ってもよい
【052】飯坂
これからの日本をどうしていくか、いろいろな側面の中で、教育に関する課題が重要であることは異論がないと思います。
それはもちろん、依存はありません。
私の経験でも、今日の日本が抱える様々な問題を議論して行くと、結局行き着く所は「教育」だということになります。
【052】飯坂
ITを駆使した教育には、大きな可能性を秘めながら、人間の学習パターン、心理的な要素、社会的な需要、対象など、 まだまだ未知のものが多いにも拘わらず手があまりつけられていません。また既存の機能でも、 日本で早急に導入を検討するものもあります。例えば、中学高校、また大学の教養程度で学ぶ数学、 特に数式処理プログラムの普及などはその一例です。
この辺りについては、教育に携わる方々に研究して頂きたいと思っております。
もう10年以上も前のことですが、マルチメディア国際会議というのに参加した時、アメリカの高校の先生が、 マルチメディアが教育にどう応用できるか、効果があるか、といったことを研究され、発表されていました。
それは、いわゆる「知恵遅れの子」についての研究でしたが、結論としては、知恵遅れの子は存在しない、というものでした。
人間には、情報を取得する手段としてテキスト、音声、画像・映像の3つに大別されますが、一般の人は、 これらの3つを並行に活用して学んでいるわけです。
一方、知恵遅れと思われていた子供達は、これら3つのうち、どれか1つが飛びぬけていて、 その替わり2つが全くと言って良いくらい駄目だということがわかったということでした。
テキストが得意な子どもは、通常の何倍も早く1冊の本を読むことができるとのことでした。

また、ピーター・ドラッカーはその著書に書いていますが、通常の人間でも、テキスト型と音声型に得意性があるとのことです。 だから上司がどちらのタイプかを見極めて、その得意とする形式で情報を提供しないと、 理解してくれないから注意すべきだと書いています。

私は、これらのことから、WebやCD-ROMなども、テキスト、音声、画像・映像の3種類を用意しておいて、 利用者が選択できるようにしておくことが、本当の意味でのバリアフリー・デザインではないかと思っております。

【052】飯坂
じつはこの表題は、教育用に限らず、IT時代のコンテンツは誰が開発するのか?誰が開発できるのか、 そのコンテンツの質をどのように検証できるのかといった問題を提起したかったわけです。
<中略>
そのためにどうするか、それぞれの専門知識を有する人の開発能力を再教育することも必要であり、また、 高度な専門教育の学生にITの教育を合わせて徹底するなどがすぐにでもはじめられることですが、 ITが教育手法をどのようにかえるのがよいかとなると、ステディーな研究と調査がさらに必要で、時間が必要だと思います。
私は、教育用に限らずあらゆるコンテンツは、皆が創る時代が本当の意味の情報社会だと考えております。 ネットワークの良い点は、ある分野に限られた専門家しかいなくても、世界中の人がそれを利用することができることだと思います。 数学はあの先生が良いということになれば、その先生の教材が一番利用され、売れるということになり、 現在の学校や塾のように同じことを教えるにも、ピンからキリまで様々なレベルの先生が居るような状況は変わるだろうと思います。

従って、誰でも使えるツール、誰でもコンテンツを創ることができるという環境を作ることが重要で、コンテンツそのものは、 自由競争の末の自然淘汰で良いと思います。

そういう意味では、ケイタイさえあれば何でもできる、日本は世界一だ、といった考え方は間違いであって、 少なくともパソコンは誰でも使いこなせるようにして行かないといけないと思います。 そうは言っても今のパソコンは利用者に不親切というご意見もあろうかと思われますが、 それはパソコン業界がそうした利用者や未利用者の声を真剣に取り上げて対応して来なかったことが問題なのだと思います。 (少なくとも私が参加していた頃は、インテルの開発者会議ではそうしたことが議論されておりましたが、 ハード・ソフトのメーカーは結局目先の売上やシェアにばかり対応していて、こうしたことは後回し、 先送りして来た結果が今のパソコン伸び悩みやケイタイ依存の状況になっていると思われます。)

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 From : 飯坂 譲二 2003/02/04 13:41  
 Subj : 【063】教育用のコンテンツ〜次世代に伝える技術
【056】唐澤
この辺りについては、教育に携わる方々に研究して頂きたいと思っております。
もう10年以上も前のことですが、マルチメディア国際会議というのに参加した時、アメリカの高校の先生が、 マルチメディアが教育にどう応用できるか、効果があるか、といったことを研究され、発表されていました。 <後略>
米国にずいぶん前から、Society of Learning Technologyという学会がありましたが、これに類した学会は日本にあるのでしょうか?
私は、Slow Learningの学生を扱ったことがありませんが、日本にいるとき、10年ほど一流大学から駅弁大学の学生、 しかも専門学科のことなった学生を毎年10-15人ほど集めて研究をしていました。結論は学校差はないということです。

差があるとすると、英語、これは北米ではだれでも英語ですから、勉強時間だけの差です。
学校によらず、差が見出されるのは、受験にない教養だけです。例えば、絵に詳しい、音楽がわかる、歴史に詳しい、 シェークスピアを英語で読破した、蝶のコレクションと知識は辞書なみといった学生でした。

日本のTVでご覧になる機会があったかも知れませんが、最近動物の学習能力というTVをみました。
からすにしろ、昆虫にしろ、いろいろな例をしめしてくれました。
そこで感じたのは、動物の場合学習したものを保存できないので、 結局子孫にそれを伝えるには同じ場面を再現して子供をそこに連れていく現場訓練しかない。

この意味で人間のみがIT技術を持ち情報の保存、伝達、表現などの手段をもつているということを改めて感じた次第です。
【056】唐澤
また、ピーター・ドラッカーはその著書に書いていますが、通常の人間でも、テキスト型と音声型に得意性があるとのことです。 <後略>
仰せの通りと思います。
一人一人が自分が考えたこと、勉強したことなどをまとめてどう他人に分かりやすく提示できるかを発露できればいいのでしょうね。

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 From : 本荘 修二 2003/02/09 08:04  
 Subj : 【107】教育のコンテンツ〜チーム方式
【052】飯坂
じつはこの表題は、教育用に限らず、IT時代のコンテンツは誰が開発するのか?誰が開発できるのか、 そのコンテンツの質をどのように検証できるのかといった問題を提起したかったわけです。
若干 話題がそれるかもしれませんが、昨年ストリーミングの教育への応用の現場で、
●ネット教育のコンテンツは、教室を撮ったビデオ等のものとは基本的に異なる
●コンテンツ・デリバリーだけでは不十分であり、本質的なニーズへの対応について、教育機関はIT業者に不満を持っている
といったことを感じました。

PC(これからはPDAも)でネット学習となると、コンテンツの使われ方や学習者の期待が一変します。 ビデオテープで60分だまって見ていた(資格専門学校などは沢山ビデオを送ってきたりします)のが、 ネットだとガマンできなくなります。
時間短縮もさることながら、ストラクチャーを設計し、インデックスを切って各パートに分解して飛ばし見や検索性に配慮し、 静止画・テキストでの情報提供を加えたりとなります。さらに、コンテンツの前後に、どのコンテンツを見たらいいか、 学習の進捗はどうか、といったガイドを加え、さらにテストをつけたりと、トータルの学習体験をプロデュースすることになります。 これに、チューターがついたり、たまに集合したりと、学習者をケアすることが期待されます。
これは、ストリーミングの動画、フラッシュの音声+静止画+アニメ、テキスト+静止画といったさまざまなフォーマットでも共通と思います。

このように、コンテンツ制作では、教育、編集、映像・音声、ITといった複合したスキルが必要となります。 ひとりでこれをと期待してもスーパーマンはほとんどいません。
するとチームで取り組むということになり、そこに各分野への理解のあるディレクターをたてるということになるかと思います。 教育コンテンツについては、そのスキルを持った人材を育成することが不可欠でしょう。
もっとも、これはビジネスにする本格的なコンテンツのケースで、草の根的なコンテンツは簡素につくればよいかと思います。

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 From : 中野 潔 2003/02/09 10:20  
 Subj : 【108】教育のコンテンツ〜インターネット市民塾
要旨:教育用コンテンツの制作には、すぐれたプロデューサー、ディレクターが確かに必要です。
ペイは要らないという人たち、ペイがほしいという人たちの両方に適合できる、費用徴収と報酬のメカニズムも必要です。
【107】本荘
するとチームで取り組むということになり、そこに各分野への理解のあるディレクターをたてるということになるかと思います。 教育コンテンツについては、そのスキルを持った人材を育成することが不可欠でしょう。
教育用コンテンツ制作をめぐる職種の問題については、02年5月、日経デジタルコアでも何人かの方が関係している、 あるメーリングリストで話題になり、太田秀一さんの書き込みに触発され、小生が、末尾▼▼▼以下の書き込みをしています。 再録します。

このように、何人もがチームを組まなくても、教育用コンテンツを、生徒がみざるを得ない、あるいは、 みるように仕向けられるケースが、小生が聞いた範囲内では、2つあります。(後述の市民塾を除いて)

(1)予備校の全国レベルで有名な講師の講義を、衛星中継で、遠隔地の提携予備校に送る。
(2)会計士の予備校などでは、編集をほどこしていない講義のビデオ録画 60分、90分といったものでも、生徒は、 予備校に来て、ビデオ再生のブースに入ってじっと見ているそうです。

わずかの例外を除いて、すぐれた教育用コンテンツの制作には、何人もが、それもプロレベルの人がかかわる必要があり、 そうなると、その教材をよそで使うのなら金をよこせ−−ということになります。これは、大切な点です。

よほどの不祥事でも起こさないかぎり、教壇を引き摺り下ろされることなく、 税金で定額の月給をもらっている人たち(4月からの小生も含めてですが)の感覚で、「教材はできるだけ自由に」の論議に、 そうしたプロを一律に巻き込むのはまずい。もちろん後述のように、ボランティアに近いベースでうまくいく例もあります。

日経デジタルコア+三重県 の合宿で、富山のインターネット市民塾の主宰の方が講演してくださいました。

自費出版の本までもいかない、ちょっとした講座のウェブページを、市民が書き、それがリンクされ、 インターネット市民塾として結集されていく、それを教材に、公民館などで集合の勉強会を開いてももちろんよし、 それで習った人が、自分でもこんなテーマなら書けるといって書くようになる−−といったものです。

しかし、この場合でも、インターネット市民塾の主宰の方が、まさにそうであるように、 すぐれたプロデューサー役(それで飯を食うかどうかは別にして)は、必要です。

▼▼▼
小生が、eLearningの端くれ を占める会社との付き合いの中で、自己流で学んだ問題点
■インストラクショナル・デザインの必要性=教材コンテンツは、単独では存在できない
期待される人間像→
 そのモデルが習得しておくべき知識、スキル、ノウハウ、学術能力→
  そのために必要な学科群→
   個々の学科で習得すべき内容→
    ふさわしい講義形態→
     習得度を確認する評価手段→
      教材とテストの詳細な形式と内容→
       それを教えることのできる(遠隔の)講師の採用、養成

■考えられる職種(職務)
(1)映画のプロデューサとラフなシナリオライターに相当するインストラクショナルデザイナ
(2)シナリオライターと現場監督に相当するコースエディター
(3)教材やテストの文章や図版を、講師と相談しながら実際に詳細に作るマテリアルコレクタ(テクニカルライター)
(4)講師
(5)教材の更新や受講者からの定番の質問への応答を引き受けて講師の負担を減らす講師アシスタント
(6)受講者の先輩のようにして進捗状況をみたり、スランプに陥っている受講者を励ましたりするクラスアドバイザ(メンター)

(上記、(4)、(5)は、eLearningでありながら、「講師を立てる」ことを前提としています。 講義風景のビデオ録画のようなものがなくても「國領教授の顧客間インタラクション活用マーケティング 応用編」のように、 売り出すわけです)
(なお、すべてのケースで(1)から(6)に別の人間を当てるというものでは、ありません。2人、3人で、 複数の役をこなす例の方が多いかもしれません)

■01/12〜'02/01に掛けて、慶應のビジネススクールのエクステンションスクールのような形で、 小生が講義した経験 (それは、リアルタイムのディスカッション型講義)では、(2)、(3)、(5)の役回りを、 サポート会社のディレクタ兼司会兼オペレータの方がこなしてくれて、 講師(小生)は、ニュース番組の(キャスターではない)解説者のように、司会の指示に従って話すだけでよいのです。

講義のシナリオは、講師と、ディレクタ兼司会兼オペレータとが相談して決めるのですが。

【これに慣れると、全部を独りでこなしている 学校(大学を含む)の集合教育(普通の授業)が、 異様なことのように思えてきます】

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 From : 白石 清 2003/02/10 11:27  
 Subj : 【114】教育を受けることと教材を見ることの違い
私もストリーミングビジネスに従事しているものとして、いつも何故イーラーンニングが思ったより伸びないのか不思議でしょうが無かったわけです。 しかし、ある日、早稲田大学の富永先生とお話しをしていて、ヒントをいただきました。どうも我々IT業界の人間は、 教育=コンテンツと考えていたのかもしれない。ということです。
良いコンテンツ、わかり安い説明、いつでも見られるオンデマンド機能、テキストも動画も音も完璧。 これらはコンテンツに求められる要素です。しかし、これは教育の場で言うと、「教材」に過ぎないわけです。
講義を聴く(リアルで)事は教育を受けることですが、講義のビデオを見ることは教材を見ているに過ぎないということなんだと思います。 もちろん、この二つの差は相当あいまいであり、私には明確な答えは出来ないのですが、 おそらくこの差を意識することが重要なことなのだと考えています。

我々IT業界の人間はコンテンツ(教材)を充実させることに注力をしてきていますが、 ITで教育をすること自身にもっと目を向けることが重要なのでしょう。それには皆さんのご意見通り、 おそらくプロデューサ(どういう名称がいいのでしょうかね)とか、講師にリアルの現場でとIT教育の差のようなものをもっともっと明確に理解し、 区別することのできる人が必要なのではないかと考えています。

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 From : 磯崎 哲也 2003/02/10 22:03  
 Subj : 【118】ハードディスクレコーダの衝撃
−−−要旨(本文が長いので・・)−−−

●今の「オンデマンド」の動画像コンテンツは、真の「オンデマンド」ではない。 コンテンツのタイトル毎には「オンデマンド」だが、肝心の「コンテンツの コンテンツ(中身)」が「オンデマンド」ではないからだ。 「ラーニング」においてテクノロジーだけが重要でないのは当然だが、「早送り」など、 現在実現されていないシンプルな「要件」が追加されるだけで、動画像コンテンツの可能性が一気に高まることが予想される。

●「早送りできる動画像コンテンツ」は、テレビや映画の代替というだけでなく、新聞・雑誌を含む、 あらゆるコンテンツを代替する潜在力が感じられる。 CDや雑誌の売上が携帯に吸い上げられたように、携帯や新聞の売上が、 オンデマンド動画像に吸い上げられることになる日が来るかも知れない。

●「eラーニングの社会的衝撃が大きい」ということと、「eラーニングの市場に(おいしい)ビジネスチャンスがある」ということは全く異なる。 特に、教育は、市場原理から最も遠いところにあった産業の一つであり、その従来型コンテンツをデジタルに移しただけで儲かるのは期待薄。 eラーニングに対する日本や世界の認識は、「バブ」っている可能性大。

●「多数の視聴者を集めるビジネスモデル」の上に乗れるかどうかが、eラーニング(のみならずブロードバンド)のコンテンツの成否を大きく分けることになる。 視聴者数の大きいコンテンツは制作費がかけられ、制作費をかけたコンテンツはそれなりにおもしろくなる、 という大まかな「勝ち組の構造」ができあがるだろう。

−−−本文(以下、長文恐縮です。)−−−

■「CoCoon」で垣間見る情報産業の未来
eラーニングから話がそれるようですが、2ヶ月ほど前にSONYの「CoCoon」という機械 ( http://www.sony.jp/products/Consumer/cocoon/)を買いまして、eラーニングやテレビ産業、 その他の情報産業についてかなり示唆がありましたので、ご紹介させてください。

CoCoonというのは、平たく言うとハードディスクビデオですが、キーワード (例えば、「ゴルフ」とか「ニュース」とか)を登録すると、そのキーワードにひっかかる番組をすべて自動的に録画してくれるところがミソです。

このため、これは「ビデオの延長線上の機械」というよりは、未来の「究極のオンデマンドの動画像コンテンツ・サービス」を 「ローカルのハードディスク上で擬似的に体験できる製品」になってます。つまり、 自分で個々の番組をいちいち予約するのではなく、見たい番組はすべてディスクの上にあって、その中から、 オンデマンドで情報を取り出せるわけです。
【114】白石
どうも我々IT業界の人間は、教育=コンテンツと考えていたのかもしれない。ということです。
良いコンテンツ、わかり安い説明、いつでも見られるオンデマンド機能、テキストも動画も音も完璧。 これらはコンテンツに求められる要素です。しかし、これは教育の場で言うと、「教材」に過ぎないわけです。

もちろん、そういう問題もあるかと思いますが、そもそもこのCoCoonで「究極」を体験してしてしまうと、 今のWeb上のeラーニングのコンテンツが本当に「良」くて、「オンデマンド」なのか、という気がします。

「究極」と「現状」の最も決定的な違いは、
●本当の「早送り・巻戻し」(オンデマンド)ができる
●コンテンツのおもしろさ(裏返しで「多数の視聴者を獲得できるビジネスモデル」)
の2つではないかと思います。

■真の「オンデマンド」
CoCoonでは最大120倍速で早送りや巻戻しができます。これは、極めて単純な機能のようでいて、 ストリーミングコンテンツの意味を決定的に変える要件ではないかと思います。

ご案内の通り、現在のWebのストリーミングコンテンツだと、ちょっと早送りしたいと思っても、そのたび、 「バッファリング10%、20%、30%、40%・・・」という表示が出て、次の映像に飛ぶまでに10秒近くも待たされます。

つまり、コンテンツのタイトル毎には確かに「オンデマンド」であるかも知れませんが、 コンテンツの「中身(コンテンツ)」については、まったくオンデマンドではないわけです。 動画像のでかいファイルのどこに自分の欲しい情報があるのかが全くわからない。

これに対して、120倍速でのサーチは、(コンテンツはそのままでも)まったくコンテンツの性質を変えます。

特に、「番組のアホ化」の代名詞のように言われる、トーク番組などの「字幕」が効果的です。 120倍速はさすがに無理ですが、10倍、30倍程度のスピードなら、字幕でその番組の流れや要旨を把握しつつ、 自分の興味のある場所だけじっくり見ることが可能です。 動画像というコンテンツが、新聞や雑誌のような「パラパラ見られるコンテンツ」に変わるという「質的転換」を遂げたわけです。 今までのWebやストリーミングに決定的に不足していたのは、この「パラパラ感」ではなかったでしょうか。

また、この「オンデマンド化」によって、今までのテレビの、リアルタイム&フルタイムの「呪縛」に改めて気づかされました。 基本的にリアルタイムでテレビを見ることが皆無になり、
「時計代わりの朝の番組を見なくなった」
「夕食時にもテレビを見なくなった」
「家族の会話が増えた」
「好きな時にトイレにいける」
「いつでも(ゴールデンタイムでなくても)おもしろい番組が見られる」
「見たい部分は何回でも見られる」
というように、生活面にもかなり変化がありました。

■コンテンツの「一人勝ち」化へ
改めて思うのは「テレビの番組って、やっぱりおもしろい」ということです。 おもしろさの根源は、やはり「好感度の高いタレントが出ており」「才能あるプロデューサーやディレクターが才能あるスタッフと」 「金をかけて」作っているところかと思います。

今までは、テレビをつけた時にたまたま自分の興味のあることをやっている確率が限りなく低かったわけで、 テレビを付けたときにアホな番組をやってると「テレビの低俗化が進んでいる」てなことを思ってしまっていたわけですが、 「すべての」番組の中から一番面白い番組の一番面白いところだけ選べれば、大変面白い。 関東圏で見られる地上波だけでも、一日に130時間以上のコンテンツがあります。一方、見られる時間は、 普通の社会人なら1〜2時間程度でしょう。

こういうコンテンツが作れるのも、数千万人の目を引き付けることのできる、 「テレビ」という「ビジネスモデル」の構造的要因が大きいかと思います。 Webやeラーニングのコンテンツで、1コンテンツ1千万円かけられるケースはなかなかないかと思います。

「教育の場合、"中身"が問題であり、かける金とか、好感度タレントとかは関係ない」というのが、 既存の教育業界の方々の感想の多数を占めるかも知れませんが、 それはもしかしたら「需要者」の側に立ったマーケティングをやったことのない教育という市場の特殊性から来る感覚かも知れませんね。 勉強する方は、さえない顔をしてノートを読み上げる教授の顔を延々と流すコンテンツよりは、 タレントがボケたりツッコんだりするコンテンツの方が勉強する気になるかも知れません。

ただし、金をかけたコンテンツなら高い金を払う、というほど市場は甘くないので、おのずと、金をかけられるのは、 一部の「勝ち組」コンテンツだけ、ということになるでしょう。

■収益のシフト
CDや雑誌の売上高の減少は、マーケットが「携帯」に吸引されていることが原因ということが言われます。 プロが作った音声や画像情報より、知り合いと他愛も無いことをくっちゃべるほうが実は楽しかったのだ、 ということかと思います。が、ここに、この「早送りできる動画コンテンツ」が登場すると、状況は一変する可能性があります。

今まで、携帯でメールをしていた人たちも、「やっぱりプロがつくったものの方がおもしろいじゃん」ということで、 「テレビ」にどっぷり漬かることになるかも知れません。(「テレビ」は「タダ」ですし。) 携帯電話会社の売上の伸びが止まって、Web上の「コンテンツ・アグリゲータ」にどどっと収入がシフトしたりするかも知れません・・。

実際、あまりにテレビのコンテンツがおもしろいので、CoCoonを購入してからというもの、 ほとんどレンタルビデオを見なくなりました。

■「番組の作り方」は変わるか?
変わっていくでしょう。
●「単なる早送り」ができるだけで、「オンデマンド度」は10倍アップすると思います。ゆくゆくは、チャプターや、 on/offできる字幕、ハイパーリンクなども付いたりするんでしょうけど、120倍速があればかなり十分です。
●時間で切ってCMを挿入すると、すべてカットされて、広告モデルを維持できなくなるので、 バナー的に画面の一部に入りっぱなしになるなど、別の工夫がなされるようになるのでしょう。
●CMの前に入る「A子さんの過去に隠された意外な真実とは?!」などのアオリ文句や、 CMの後に入る繰り返しなどの「冗長性」は減るんでしょう。

また、番組の「特徴」が、より強調された造りになるんでしょう。どちらかというと、エンターティメントというよりは、 「eラーニングコンテンツ」的に見る傾向が強いかも知れませんが、私の個人的な番組の見方の変化からすると、 下記の例のように変わっていくのではないでしょうか。
●時間を超越した勝負に
モーニングサテライトhttp://www.tv-tokyo.co.jp/biz/nms/index.htm
朝5:45分というのは、常人が見れる時間帯ではないです。が、毎日見られるようになると、 中身的には各局の全ニュース番組の中でもかなりイケてます。
当然ではありますが、ゴールデンとかプライムといった時間帯別の勝負から、「全時間帯の勝負」になると、より中身で勝負、 ということになるでしょう。
●見なかった番組でも「触り」の部分だけは見るように
「ビューティーコロシアム」http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/beautyc/ という番組は、今まで全く見てなかったのですが、 CoCoonに、たまたま引っかかっていたので見るようになりました。 「この顔のせいで、子供の頃からこんなにつらい思いをした」という涙ながらの部分とか、 CM前後の繰り返しシーンを飛ばしますが、「元の顔が変身後どのくらい変わったのか」 「どのような手法が使われたのか」という部分だけになり、1時間番組が5分で見られます。 5分で説明できることを1時間にひっぱってるとも言えますが、この「変身」部分だけは衝撃的です。 おかげで、プチ整形とかメイクとかに非常に詳しくなりました。(笑)
●「結果」重視に
クイズ番組というのは、最もeラーニングコンテンツに近いわけですが、そう思うと、「赤の他人がどう答えるか」というのは、 最もどうでもいい情報になってしまいます。
「クイズ$ミリオネア」http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/quiz/ で、みのもんた氏と解答者がにらみ合う時間も飛ばされる運命となりました。
「世界ふしぎ発見」http://www.tbs.co.jp/f-hakken/ でも、リアルタイムのときに見ていた「野々村君がスーパーひとし君を賭けるかどうか」とか、 坂東さんと黒柳さんの掛け合いはどうでも良くなりまして、出題から、いきなり答のVTRに飛ぶようになってしまいました。 ただし、再現フィルムで構成されるような番組だと、早まわしでも内容が理解できてしまうのですが、 当番組の海外ロケ部分は、早送りボタンを押させないものがありますので、「圧縮率」は低いです。

■eラーニング・ビジネスとは何か?
インターネットも、当初「誰でもが商売をできるようになる」てなことがよく言われました。これはご案内の通り、 当たりでもあり外れでもありました。 eラーニングにおいても多様なコンテンツが出てくる余地も高まると同時に、ここでビジネスになる度合いは限りなく小さくなる。 特に、教育界というのは、今まで教育機関のキャパシティによって一定の「枠」が存在する「fragmented」な産業で、しかも、 市場メカニズムにさらされる度合いが極めて低い業界だった、ということが言えるかと思います。 これが、テレビと同様の全国区の競争になり、競争の構造が全く変わるわけなので、そこで、 今までやっていた「コンテンツ」をそのまま電子化したところで、ビジネスになるわけがない。

一方で、従来の放送などより格段にコストが下がることにより、Webと同様、 各企業内やコミュニティ内での情報共有やナレッジ・マネジメント的な意味で、 eラーニングのプラットフォームが使われるようになるでしょう。 ただし、そこで必要とされるのは「早送りのできる動画像配信技術」のような、極めて低いレイヤのものが中心で、 中途半端なeラーニングのプラットフォームやLMSの価値は減っていくでしょう。

eラーニング関連の企業のほとんどが儲かってない現状を見ても、「2000年時点でのeラーニング潜在市場規模は1兆円で、 遅くても2010年までには需要が全て顕在化する」というような某総研さんの予測や、「あのドラッカーも、 eラーニングの潜在力を高く評価している」という話は、極めて慎重に見る必要があります。

報道によると、アメリカでは、証券取引法違反で服役していたあのジャンク債の帝王マイケル・ミルケン氏が、 オラクルのラリー・エリソン氏などと共に、教育産業に数百億円単位の投資をしています。 インターネットバブルでも学んだように、お金をかければ必ず勝てる市場ではないものの、 そういう単位のお金が動く世界であることも確かであり、 今までの「教育」というイメージ以上に日本あるいは世界の中で垣根の無い競争が繰り広げられる市場になっていくことは間違いないでしょう。

一方で、一般の人のeラーニング市場に対する認識は、おそらく、現在「バブ」った状態にあると思います。 「インターネットバブル」のときと同様、その「社会的インパクト」と「誰でも儲かる」というのを混同している可能性大です。

社会的インパクトの観点からeラーニングという言葉が使われる時、それは、 「スカっと使える動画像を含む総合メディアによる情報の交換」というような、 極めて広範でレイヤーの低い技術の影響を暗に想定している可能性が高いのではないかと思います。

というわけで、私は最近、自宅にビデオデッキが何十台あるデーブスペクター氏とか1日中テレビをつけっぱなしだった故ナンシー関氏並の量のテレビ番組 (1日10時間分以上)を見ているのではないかと思います。 もちろん、実際の視聴時間は1日1〜2時間程度に圧縮されてます。

世界で初めて登場した「eラーニング・マシン」は、映画「禁断の惑星」に出てきた知能の高くなる機械じゃないかと思いますが、 ああいうのを手に入れた気分です。 今のところ、「イドの怪物」が夜中に歩き回っている兆候はありませんので、ご心配なく。

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 From : 中野 潔 2003/02/11 11:40  
 Subj : 【121】ハードディスクレコーダの衝撃
【118】磯崎
■真の「オンデマンド」
これに対して、120倍速でのサーチは、(コンテンツはそのままでも)まったくコンテンツの性質を変えます。
特に、「番組のアホ化」の代名詞のように言われる、トーク番組などの「字幕」が効果的です。 120倍速はさすがに無理ですが、10倍、30倍程度のスピードなら、字幕でその番組の流れや要旨を把握しつつ、 自分の興味のある場所だけじっくり見ることが可能です。
動画像というコンテンツが、新聞や雑誌のような「パラパラ見られるコンテンツ」に変わるという「質的転換」を遂げたわけです。
今までのWebやストリーミングに決定的に不足していたのは、この「パラパラ感」ではなかったでしょうか。
小生の家には、ハードディスク内蔵のテレビレコーダーがないので実感できないのが大変残念です。

これ、多分、すごい変化ですね。「本」の歴史では、巻物形態から冊子形態になったことが、 本の全歴史の中で1、2を争う大事件だったとされています。多分、それに匹敵するかもしれないインパクトですね。

本では、冊子形態になったことで、ページノンブル、目次、索引−−の概念が発明されました。 これで典拠を明記した「引用」という概念も明確化したわけです。

(シーンの切れ目を自動検出して、切り出したサムネール静止画を並べるなど) 動画のインデックスを作る技術が発達してきていますし、動画に出てくる字幕をOCRでテキスト化したり、 映っている人の顔を認識したりする技術が発達してきていますから、目次、索引は、自動処理でけっこう何とかなりそうですね。

パラパラめくり、目次、索引、その他検索がそろえば、動画の「パラパラ本化」が可能になりますね。

そうすると、後、本からの類推で便利と思われるのは、背表紙にあたる、物理的な感覚とコンテンツ内容とを結びつけて (背表紙は論理的に赤でも青でもよいのですが、たまたま背表紙が青いと青い本として覚えるわけです) 思い出しながら高速に探す手掛かり創出技術ですね。

まあ、自分の書いたテキストファイルを探すときには、ファイル名(たまに本文中の文字列検索)だけで探しており、 背表紙の物理的記憶がなくてもいいのですから、何とかなるといえばなりそうですが。

ユーザーがキーワードや検索条件をいくつか入れると、(自動付与でいいのですが) 動画コンテンツに付いたキーワードと照らし合わせて重要そうな順に、動画の背表紙が並んでくれる・・・。

あるいは、キーワード数個を頂きとした、連峰のような地図の上に、山小屋が散らばるがごとく、関係深いものは頂き近く、 そうでないものは遠く、動画の背表紙が散らばる・・・。

情報処理技術の世界では、ずっと研究されてきたのでしょうし、ウェブの検索技術の中でも提案されていたのでしょうが、 テレビ動画のように、数秒でも目を離さないように大金を掛けたコンテンツに対し、そうしたことが可能になるとしたら、 ユーザーの裾野が広いので、インパクトが大きいですよね。

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 From : 坪田 知己 2003/02/11 23:15  
 Subj : 【123】教育のコンテンツ〜動画の早送りモデル
◎要旨:衛星放送をバイパスにして、動画の早送りを可能にするのが現実的か。

早送りビデオの件ですが、私は、ゴルフの四大メジャーの試合はほとんど見るのですが、米英で行われるので、 ヤマ場は深夜か早朝です。このため、ビデオをセットして眠り、早起きして、早送りで見る習慣が、七-八年前からついています。 贔屓の選手、優勝に絡む選手のところだけは普通のスピードで、あとは早送りです。
これをまねたのか、大学生の長男は、ほとんどのテレビを(ニュースもバラエティーも)この方式で見て、 時間圧縮をしています。

でも、ネットでつないで早送りというのは、ほとんど無理だと思います。相当のバンド幅がないとダメです。

私は、5-6年前、日経がBSデジタルやCSに投資するときに、社長に「成功すると思うか」と問われて、 「成功するとしたら『見ないテレビ』だけです」といいました。詳しく説明したのですが、社長はピンとこなかったようです。

「見ないテレビ」とは「非同期テレビ」です。放送局の送信を生で見るパターンを脱却しようということです。
こんなにチャンネルが多くなれば、1チャンネルあたりの視聴率はどんどん下がります。 そこで、教育用とか、趣味の講座など、視聴者はすくないけれど、一部の人には強いニーズがあり、 ニュースのように同期性が薄いコンテンツを、頭にキーワード(内容のタグ)を振って、24時間、どんどん送るのです。

インターネットで番組案内を流して、そこからハードディスクレコーダーを起動して蓄積した動画を見るというパターンで、 視聴データをもとにペイパービューで課金するというものです。

つまり、衛星放送を動画用のバイパスとして使うのです。動画の配信コストは、放送の方が圧倒的に安いので、 適切な編成ができれば、これはかなり実用的なビジネスになると思います。

ベストエフォートのインターネットに動画を通すのは、まだ現実的ではないと思います。

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 From : 白石 清 2003/02/12 09:23  
 Subj : 【130】教育のコンテンツ〜動画の早送りの技術
早送り、巻き戻しについてのお話しですが。確かに今までのストリーミングソフトでの提供では全然ダメでした。 ただ、今回発表された、マイクロソフトのWindows Media9においては、ファストストリーミングという今までのような、 クリックしてから映像が出るまでの間のタイムラグがほぼ0になる機能と、まともに、早送り、 巻き戻しができる機能が搭載されています。

おそらく、ニーズがあれば技術は追いついてくれます。

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 From : 磯崎 哲也 2003/02/12 10:04  
 Subj : 【131】動画像がネットでサクサク見られる未来
■要旨:本当に、「動画像がネットでサクサク見られる未来」は来ないの?
【123】坪田
でも、ネットでつないで早送りというのは、ほとんど無理だと思います。相当のバンド幅がないとダメです。
●そうとも言えないんじゃないでしょうか?
早送りの動画像のファイル容量をすべて送受信しないといけないわけではなく、早送りに見えればいいわけですから。
静止画で例えると、セラーテムテクノロジー http://www.celartem.com/home.html や image pump http://www.xippix.com/demos/uffizi/index.htm のように、重い画像の情報を最初から全部送らなくても、 利用者側が必要としている部分の情報だけを送るという手もあるんじゃないでしょうか。

「相当のバンド幅」というのも、どのくらいでしょうか。加入者線が100Mでバックボーンだけ広がればいいのか、 加入者線まで何十Gというような時代にならないと無理なのか?
【123】坪田
ベストエフォートのインターネットに動画を通すのは、まだ現実的ではないと思います。
「まだ」とすると「いつ」なのか。
3年待てばいいのか、今のIPの上に乗ったネットのままでは10年待っても無理なのか。

●今回、わたしが最も申し上げたかったのは、まさに、ここでして。
90年代後半には、「サイファーパンク小説とか"JM"に出てくるような"サクサクしたネット"のある未来が現実になるんだ!」、 という期待に胸がふくらんだんですが、そういう未来は実は来ないんでしょうか?
今のネットの姿が、ほぼインターネットの技術的限界なんでしょうか?
10年後も、今のWebに毛が生えた程度のものしかなく、動画を見ようとすると「バッファリング10%、20%、30%、40%・・・」 てなことになるのでしょうか?(解像度が多少上がってるだけで)

ネットバブル崩壊後、ネットに対する期待は「どーせ」という感じになって、各界のプレーヤーの方々も、 今ある技術の組み合わせで手軽に儲けられないかなあ、というモードに変わっちゃったように見受けられます。
ここにいらっしゃるような専門家のみなさんを一堂に集めて考える意義のあることは、 ネットの未来のビジョンをきちっと描き出すことかと思います。

例えば、私が子供の頃に想像していたのと違って、アメリカに3万円で行けるようにはなったものの、21世紀になっても、 みんなが超音速旅客機に乗っているわけでも、透明のチューブの中を空飛ぶ車が飛んでるわけでも、 宇宙旅行がメジャーになっているわけでも、ない。
みんなの期待と違って、そういう未来しか来ないのであれば、そう教えてあげるのも親切です。
ただし、これも子供の頃の予想に反して、コンピュータは家の中に数台ありますし、携帯電話も世界で数億台普及している。
情報通信というのは、交通機関に比べて物理的容積やエネルギーを使う度合いが格段に小さく、 需要さえあればコストが劇的に小さくなり、爆発的に普及する、というところが特徴かと思います。

「動画像をサクサク見たい」というのは、極めてシンプルで膨大な潜在的需要量がある話ではないかと思うのですが、 そういう需要を満たしてくれる未来が来るというのは「空飛ぶ車が普及する」のと同じような錯覚なのでしょうか?

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 From : 磯崎 哲也 2003/02/12 11:08  
 Subj : 【132】教育のコンテンツ〜動画の早送り技術
白石さん、ご紹介ありがとうございました。
早速、http://wm9.jp/ で、いろいろ見てみました。

私の利用環境は、加入者線はBフレッツでプロバイダさんも大手ですが、やはり2〜3秒のタイムラグはあります。 早送りや巻き戻しもレスポンスにラグがあるので、ビデオのようにピタっと見たいところで止められるというわけではないですが、 全体として、従来のより、格段に良くなってますね。
着実に技術は進歩しているという気がいたしました。

この「動画サクサク」という課題は、プレーヤー、送出側、加入者線、バックボーン、コンテンツ等、 全体が平行して良くなっていく必要があるので、一朝一夕には行かないかと思いますが、 ブロードバンド利用者数の伸びなどからすると、1年後くらいには誰の目にも「おっ」というような、 「キラー」サービスがブレイクしてもおかしくはないんではないか、という気がします。(しかも、日本発、で。)

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 From : 白石 清 2003/02/12 11:55  
 Subj : 【133】動画の早送り技術
そうですね。完全なWMT9の提供はまでなんですが、少なくともデモを見る限り、 6Mの実効回線速度があれば、かつPCの性能がもう少し上がれば、ほぼTVのザッピング感覚で見ることも可能です。
(MSのデモ環境では素晴らしい結果が見れました)

もう少しだと思います。

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 From : 校條 諭 2003/02/12 23:16  
 Subj : 【145】教育のコンテンツ〜ギガビット社会は?
■「ギガビット社会」はどうなったのか?
技術の大きな夢をもう一度。
【131】磯崎
90年代後半には、「サイファーパンク小説とか"JM"に出てくるような"サクサクしたネット"のある未来が現実になるんだ!」、 という期待に胸がふくらんだんですが、そういう未来は実は来ないんでしょうか?
今のネットの姿が、ほぼインターネットの技術的限界なんでしょうか?
<中略>
ネットバブル崩壊後、ネットに対する期待は「どーせ」という感じになって、各界のプレーヤーの方々も、 今ある技術の組み合わせで手軽に儲けられないかなあ、というモードに変わっちゃったように見受けられます。
ご指摘のムードを私も感じます。インターネットという言葉よりもマルチメディアという言葉の方がのしていた時期に月男さん (今度のサミットに出られますね)が「ギガビット社会」というスローガンで新しい社会のビジョン(夢)を提起されていました。 しかし、28800bps程度とはいえ、実際にインターネットが普及を始めて、64kのISDN、 そしてメガ級のADSLや光まで来たわけです。
しかし、こうして夢の一歩が現実になったとたん、大きな夢自体が語られなくなったという気がします。実際、 月男さんご自身もその後「ギガビット社会」論の続編を語られなくなってしまいました。(誤解だったらすみません)

「美の文明・落ち着いた社会」の実現に、ギガビット・インタラクティブ・メディアは役に立つような気がするのですが、 みなさんいかがでしょうか。

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 From : 中村 伊知哉 2003/02/13 00:29  
 Subj : 【147】ギガビット社会の実現は?
「ギガビット社会」は郵政省メディア・ソフト研究会の報告書名で、月尾東大教授が座長を務め、私が事務局でした。 十年前になります。
デジタルが経済産業や社会構造やライフスタイルを塗り替えるという興奮から、熱い未来像を識者がぶつけ合っていました。 そのあと技術や産業セクターは、そんな世界を次々と実現してきました。 しかし、それが社会に溶け込んで、慣れ親しんで、使いこなされて、人の認識や美意識が塗り変わるようになるまで、 二世代も三世代もかかります。
まだまだこれから。
実は夢に向かって驀進中のはずなのに、それは技術や産業の夢だったと勘違いして縮こまり、また次の夢を探す。 そうした次々と追う運動は元気の元で、悪いことじゃないんでしょうけど、 そうすると大きな革命ってのはいつまでも実現しないのかもしれません。
大変だー

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 From : 磯崎 哲也 2003/02/13 10:37  
 Subj : 【155】ハードディスクレコーダーの衝撃
【121】中野
小生の家には、ハードディスク内蔵のテレビレコーダーがないので実感できないのが大変残念です。
これ、多分、すごい変化ですね。「本」の歴史では、巻物形態から冊子形態になったことが、 本の全歴史の中で1、2を争う大事件だったとされています。多分、それに匹敵するかもしれないインパクトですね。
ソニーさんは「ビデオ以来の大発明」とぶちあげてらっしゃいますが、確かに そうだと思います。これ、使ってみないとスゴさがわからないので、革命的な割には、 マスコミ等でも意外なほど取り上げられていないのが不思議なくらいでして。
これが広まると、テレビの広告媒体としての価値も大きく変わってしまいかねないので、政治的な配慮かなあ、 と勘ぐりたくなります。(たぶん、違うと思いますが。)

私もビデオを使い始めて20年近くになりますが、最初の数年はいろいろ一生懸命録画したものの、 ここ十数年は「レンタルビデオを見る」以外の用途には全く使ってませんでした。かように「録画」という行為はめんどくさい。 未だに「ビデオの録画ができない人」というのはたくさんいるので、「録画しなくていい」 (擬似オンデマンドな)のはすごいことです。

もともと、同機を購入しようと思ったのは、おそらく史上初の「本格的に常時接続でネットに繋がっている家電」で、 ネットのサービスモデルと連動しているから、だったのですが、肝心のその「家の外からでも録画できる」機能は、 勝手にほとんど録画してくれて「擬似オンデマンド」になっているので、ほとんど使わなくなってしまいました。
【121】中野
本では、冊子形態になったことで、ページノンブル、目次、索引−−の概念が発明されました。 これで典拠を明記した「引用」という概念も明確化したわけです。
私も買うまで、地上波は「アナログ」的なモノと思い込んでいたのですが、実は、 関東圏だとTBSの電波の隙間にEPGのデータが流れていて(ダウンロードに1日かかるのですが)、 買った翌日からは「デジタル」的に、録画した番組に、自動的に日時、局、タイトル等の情報が入ります。

録画したビデオのタイトル付けほど面倒なものもないですが、索引が自動的に作成されるというのも「ハードディスク」ならでは、です。
将来はもちろんおっしゃるようにチャプター付けやサムネイル付等の機能がついていくのでしょうけど、 自動的に録画してタイトルが自動的に付き早送りできるだけで、もう、「理想像」の9割は達成しているんじゃないかと思います。

ソニー製品を褒めすぎかも知れませんので、やや割り引いておきますと、これは、ソニーさんがすごいというよりも (すごいのもさることながら)、ハードディスクが低価格化して、10万円の製品で画像データが100時間も録画データが保存できるような時代になると、 遅かれ早かれ訪れる必然的変化ということなのではないかと思います。

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 From : 上出 卓 2003/02/13 16:39  
 Subj : 【162】リニアなコンテンツとインタラクティブな鑑賞
「早送り・巻き戻し」の話をうかがって、10数年前にした「インタラクティブコンテンツ」に関する議論を思い出しました。
そもそも映像や音楽コンテンツは、「リニアなコンテンツ」であって、クリエーターは、 消費者(観衆やリスナー)が最初から最後まで通して消費(=観る、聴く、鑑賞する)してくれることを意図しているものだということです。 好きな箇所だけのつまみ食い的鑑賞(これを「インタラクティブ」と呼んでもいいのでしょうか)ははなから想定していないのです。
つまり「オンデマンド」という機能は、コンテンツの種類や性格によって異なるものだと思います。 「好きなコンテンツを・好きな時に・好きな場所から」というのがオンデマンドの本質だとすれば、 リニアコンテンツにとっての必要なオンデマンド機能は「頭出し」であって、 「好きな箇所を」(インタラクティビティ)というのは不可欠な機能ではないのではと思います。リニアコンテンツでは、 そのようなオンデマンド要求を充たすため、パッケージでも例えばトラック(CD)やチヤプター(DVD)といった便宜的な機能は付加されています。
好きな箇所だけを繰り返し観る/聴くといった行為(ブックマーク、早送り・巻き戻し、 サーチ)は消費者としては有用な機能でしょうが、それは再生機器など消費者の環境整備に委せることにして、 既存の音楽や映画のようなリニアコンテンツに関する限り、 クリエーターがそのようなコンテンツは提供しにくいでしょう(著作権の問題もからんでくるので説明は長くなりますが)。
もちろん、オンラインゲームやデータベース検索など「インタラクティブ」性が本質的に要求されるコンテンツもありますし、 インタラクティビティが当然の電子社会には、それなりに適応・進化した新しいアートが生まれるかもしれませんね。
そのアナロジーで考えると、「教科書」や「視聴覚教材」と「e−ラーニングコンテンツ」の違い・あり方が見えるような気がします。

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 From : 磯崎 哲也 2003/02/13 18:52  
 Subj : 【166】コンテンツを取り巻く状況の推移
■要旨:
●従来のネットでのコンテンツの議論は「供給者側の論理」が中心ではなかったか?
●音楽や映画といったコンテンツも「相対化」される時代に入っている。実際、 利用者は「音楽CD」から「(芸も無い)携帯での会話」というコンテンツに流れてしまった。
●映画コンテンツも、これから同じ運命をたどる可能性がある。
●従来の音楽や映画を「昭和40年代の高級レストラン」だとすると、今後の成長分野は、 そうしたレストランのシェフが想定してない(嫌悪感さえ覚える) 「ファミレス」や「ファストフード」に相当するものなんではないか。
【164】上出
「早送り・巻き戻し」の話をうかがって、10数年前にした「インタラクティブコンテンツ」に関する議論を思い出しました。
そもそも映像や音楽コンテンツは、「リニアなコンテンツ」であって、クリエーターは、 消費者(観衆やリスナー)が最初から最後まで通して消費(=観る、聴く、鑑賞する)してくれることを意図しているものだということです。 好きな箇所だけのつまみ食い的鑑賞(これを「インタラクティブ」と呼んでもいいのでしょうか)ははなから想定していないのです。
そうだと思います。
だからこそ、今まで「早送り・巻き戻し」というようなサーチ機能は重視されなかったのだと思いますし、 金が取れそうかどうかという「供給者側の論理」から考えると、「コンテンツ翠ケ楽や映画」 という前提でネットの議論が進むことが多かったのではないかと思います。

しかし、よく考えてみると、実は、「コンテンツ=世の中の事象全て」であって、音楽や映画というのは、 (例えばGDPと音楽映画産業の規模の比で比べてみても)、世の中の事象のごく一部でしかない。日常会話も、 企業における会議も、教育も、食事も、遊びも、宇宙観測も、海中遊泳も、森羅万象はすべて「動画像(他)」の情報交換の上で行われるもの、といえます。
「オンデマンド」というのは、文字通り、「需要者側の論理」の話です。

情報交換のコストが高いうちは、音楽や映画(など「金の取れそうな」)コンテンツというのは優位にあるわけですが、 情報交換のコストが低くなってくると、「著作権保護をどうする?」「課金をどうする?」 というようなややこしいことを議論している間に、一般大衆は横を素通りして、よりお手軽で楽しいコンテンツ、 例えば「(芸も無い携帯での)会話」などに、流れていってしまっているというのが、 「CD売上減、携帯利用料増」という現状ではないでしょうか。

「かっこいいけど赤の他人の歌手が愛を歌い上げるのを聞く」のと、 「若干ブサイクだけど今実際に付き合ってる彼氏と愛のメールを交わす」のと、 どちらがその人にとって「意味」があるか、の勝負、とも言えるかと思います。

つまり、音楽や映画というのは、それ自体に不動の「なわばり」や「マーケット規模」があるわけではなく、 森羅万象の「コンテンツ」と勝負しなければならない「相対的な」存在になってしまった、ということかと。
「敵」は「ムービー写メール」だけではなくて、(クイズやバラエティに近い)学習コンテンツ、 企業内のナレッジシェアリングなど、多岐にわたるかと思います。

日本の映画は、シネコンなどの増加で利用者から見た「インタラクティブ性」も高まって興行収入が好調のようです。 利用者側に「歩み寄って」成功しているわけですが、今回、ハードディスクビデオを使い始めて感じたのが、 「映画ってやっぱり、ちょっとクドくて胃もたれするなあ」ということです。

数ヶ月前までは、レンタルビデオ大好きだったのですが、映画が人間の(ややわざとらしい)「創作」であるのに対して、 テレビというのは、(ドラマ以外)ニュースとかトーク番組とか比較的「素」に近い(ように見せてる)ものが多くて、 映画がフレンチのフルコースだとすると、「毎日食べるならやっぱりごはんと味噌汁だよな」という感じで、 すっかりレンタルビデオを見なくなってしまいました。

外食産業に例えると、従来の映画は昭和40年代の外食のように「ハレの日のイベント」だったのが、 今後は「ファミレス」とか「ファストフード」とかが出てくるということかと。必ずしも、 上出さんがおっしゃる「新しいアート」というような高尚な響きのもの(だけ)ではない気がします。

フレンチのシェフからしてみると、「そんなのは、はなから想定してないよ」ということでしょうけど、 プライドがあって味が中途半端なレストランよりは、ファミレスの方が好まれるようになるんではないかと思います。
(もちろん、ホンモノのフレンチも残るでしょう。)

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 From : 唐澤 豊 2003/02/14 15:43  
 Subj : 【182】コンテンツの性質の変化
【166】磯崎
●従来のネットでのコンテンツの議論は「供給者側の論理」が中心ではなかったか?
●音楽や映画といったコンテンツも「相対化」される時代に入っている。実際、 利用者は「音楽CD」から「(芸も無い)携帯での会話」というコンテンツに流れてしまった。
●映画コンテンツも、これから同じ運命をたどる可能性がある。
●従来の音楽や映画を「昭和40年代の高級レストラン」だとすると、今後の成長分野は、 そうしたレストランのシェフが想定してない(嫌悪感さえ覚える) 「ファミレス」や「ファストフード」に相当するものなんではないか。
基本的には、磯崎さんの考え方に賛成です。
JASRACなどの著作権を守る人達やレコード流通業界の人達等は、CDの売上が減っているのは、 ネット上での無法コピーのせいだといった論調ですが、ご指摘の点や、 着メロの売上がシングルCDの売上を超えたことなどもあり、リスナーが音楽を利用する形態が変化したのであって、 コンサートや、その他音楽関連産業全般の売上で比較しないと意味がないと思います。
アメリカのロック・グループのグレートフル・デッドは、有料コンサートに多くのファンが来てくれれば、十分な収入があるので、 CDはそのPR用として無料配布で良いという方針であると聞いています。
こう言うと、我々はアーティストのために言っているのだという反論がJASRAC等からあるわけですが、 アーティストの収入ではなく、既得権収入の減少を問題視していることは明白で、アーティストの印税は微々たるものですし、 彼等の望みは、より多くの人に聴いて貰いたい、認めて貰いたい、ということが根本にあり、 それで収入が増えれば尚更嬉しいということだろうと思います。
将来、著作権の流通で儲けているような業界は、いずれ他の業界同様、中抜きされて、生産者 (アーティスト)から消費者(リスナー)へ直接販売する方向に向かって行くだろうと思います。 そして誰でもが生産者になれる、プロシューマーの時代になって行くと思っております。
また書籍やCDなどの再販制度も問題で、需給のバランスで価格は決まる自由市場にならないといけないと思っております。
利用者が購入したリニアー・コンテンツをどう使おうと、個人レベルで使うのは勝手なわけでそうしたニーズに提供側が対応しなければ、 利用者は別のコンテンツに移るだけの話だと思います。そして、いつの時代も、どのメディアにもアングラ市場が存在し、 影でアーティストの予備軍を支えて来たことも事実だと思います。そうした予備軍に敷居を低くして「場」を提供して行くのが、 我々大人達の責任でもあると思います。

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