| From :
飯坂 譲二
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2003/02/03 13:03
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| Subj :
【052】教育のコンテンツは誰がかくのか?書けるのか?
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相変わらず、昨今の日本経済の低迷、勢い込んだ構造改革の成果もこれといったものが見えないままに今年も明けてしまい、 2月を迎えてしまいました。日経新聞がこの会議を開催して数年の月日が経ち、
開催初期に指摘された問題点なかで解決したものも多い中で、社会自体のIT化には、新たな問題の発生も加え、 ITの社会への定着となると、私には今一つという感を持たざるをえません。
日本のネット接続環境、特に通信速度の向上やコストの低減、ディジカメ付きの携帯普及などをみると、 確かにそれなりのIT環境の進展がみられます。しかし、ITが社会のいろいろな面で、本当に本来の目的達成に寄与したのか、日本経済に復興に寄与したか、
構造改革がITを踏まえてできたのかというと、いささか疑問を感じています。
これからの日本をどうしていくか、いろいろな側面の中で、教育に関する課題が重要であることは異論がないと思います。
教育改革も学習指導要綱の改定や新しい教育基本法の改定など改革化するの動きはあるものの、 ITとの係わり合いの上で改善なのか後退なのか判然としません。
教育とITの関係は単に学校にコンピュータを導入したりインターネットの使い方の問題でないことは自明です。 特に教育用のコンテンツが重要ではありながら、望ましい形で進んでいるのかどうか疑問を感じている次第です。
国際大学の中野さんが、教育用コンテンツの予算処置などについて述べられておられますが、 購入に値するコンテンツの存在からして疑問に思っています。
ITを駆使した教育には、大きな可能性を秘めながら、人間の学習パターン、心理的な要素、社会的な需要、対象など、 まだまだ未知のものが多いにも拘わらず手があまりつけられていません。また既存の機能でも、
日本で早急に導入を検討するものもあります。例えば、中学高校、また大学の教養程度で学ぶ数学、 特に数式処理プログラムの普及などはその一例です。
じつはこの表題は、教育用に限らず、IT時代のコンテンツは誰が開発するのか?誰が開発できるのか、 そのコンテンツの質をどのように検証できるのかといった問題を提起したかったわけです。
日本のゲーム用ソフト開発能力は否定しませんが、日本製のソフトで世界に通用する専門分野でソフトが極めて少ないままであることは、 夫々の専門的な応用ソフトの開発能力に問題があり、教育用のコンテンツ開発も同じような環境にあるのではないでしょうか。
これは、プログラムを書く人、それぞれの分野の知識を持つ人と使いたい人たちの間に大きなギャップがあることで、 このギャップを埋めないことには使い物になるコンテンツは生まれてこないといいきってよいと思います。
そのためにどうするか、それぞれの専門知識を有する人の開発能力を再教育することも必要であり、また、 高度な専門教育の学生にITの教育を合わせて徹底するなどがすぐにでもはじめられることですが、
ITが教育手法をどのようにかえるのがよいかとなると、ステディーな研究と調査がさらに必要で、時間が必要だと思います。
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