「産直の優等生」と呼ばれるようになった愛媛県内子町の「からり」だが、販売施設をスタートさせたころには、同町の農業を取り巻く環境は極めて厳しく、多難な船出だった。厳しい状況を乗り越える原動力となったのが農家の主婦のアイデアや元気、販売施設と農家を結んだ情報のネットワークだった。
内子町は江戸・明治時代に木蝋(もくろう)の集積地として栄えたものの、大正時代には洋蝋燭の普及で木蝋生産は急速に衰退した。その後、コメと葉タバコ生産を中心とした農業を展開してきた。
1970年代になって、内子町と町民有志は栄えていたころの遺産を生かそうと、古い町並みを利用した観光客誘致による地域おこしに力を注いだ。しかし、1980年代にコメの減反政策やタバコ消費の減少で町の活気が失われつつあった。内子町の農業は大きな曲がり角を迎え、野菜やブドウ、キウイなど果物といった商品作物の生産に転換を進めるなど、内子町は新しい姿を模索していた。
こうした状況の中で登場したのがからりで、地域おこしの運動で培った知恵を生かし、松山市をはじめ、香川県や広島県などからの観光客に販売する商品作物の販売を計画した。
農協の系統販売に頼っていた農家だっただけに、当初は産直販売に躊躇する農家が多かった。すると、それまで主役ではなかった農家の主婦や高齢者が積極的に産直販売に生きがいを見つけようという動きが出てきた。産直販売施設での接客を通して消費者ニーズを肌で知り、そのニーズに合わせて野菜や果物、工芸品を多品種少量生産するという生産・販売形態は農家の主婦に向いていた。こうして農家の主婦や高齢者が産直販売に生きがいを見出し、元気になっていった。
「からり」の運営を軌道に乗せたのは農家の主婦や高齢者だった。それを裏で支えたのが消費者のニーズと農産物の出荷量・販売価格を結びつけた農家と「からり」を結ぶ情報網の力だ。販売時点情報管理(POS)レジと農家に置いた情報端末という操作の簡単なシステムでスタートした。農家はどのような価格の商品がどれだけ売れているかがわかり、自分で販売戦略を練ることができる。自分で作った商品を自分で売るだけに、どのような価格・形態で売ろうかと真剣に工夫するようになり、農家が起業家の精神に目覚めた。
一昨年春から、情報のやりとりの方法も進み、農家は情報をFAX、メール、電話音声とさまざまな形で受け取ることができるようになった。農作業しながら携帯電話で情報を見ることができる。一段と情報を活用し、商品を工夫して出荷するようになった。
農産物の販売で重要になってきたのは、消費者が「安全・安心」と思えること。農家が消費者にメッセージをいかにうまく伝えられるかという面が大きい。からりでは商品のバーコードを機械に通せば、商品の生産者、電話番号などの情報を得られる。出荷者が販売所に顔を出すことで、まさに「顔の見える生産者」としての人気が高い。「からり」は消費者の信頼を得るにはいかに情報の力が重要かを教えてくれる。
(日経産業消費研究所調査研究部長 元日本経済新聞社松山支局長 松下哲夫)