日経デジタルコア・CANフォーラム共同企画「地域情報化の現場から」

第17回  「農家のかあちゃん」が経営者に


 松山からワンマン電車に揺られて1時間の山間に、時代の空気が閉じ込められたような町がある。愛媛県喜多郡内子町。大江健三郎の小説に描かれた渓谷や、ドラマ「花へんろ」のロケ地にもなった白壁の街並み、大正ロマンの雰囲気を残す劇場「内子座」で知られるこの町には、もう一つの舞台がある。主役は農家の女性たち。全国の人を引き寄せる内子フレッシュパーク「からり」特産物直売所では、農家と消費者を結ぶ情報システム「からりネット」が活用されていた。
 
国道56号線から見た「からり」
国道56号線から見た「からり」
特産物直売所の様子
特産物直売所の様子
携帯メールに配信される売上情報
 
人気商品のドライフラワー
人気商品のドライフラワー
 

 内子駅から1500mの地点、小田川と中山川が合流した中州に「からり」はある。土曜日の午前11時。100台の駐車場は車でいっぱいになる。特産物直売所の屋根の下は、スーパーの特売日さながらの賑わいを見せている。
  訪れたのは9月の初旬、ちょうど夏と秋の味覚が入れ替わる頃だ。平台に置かれたケースには、当日生産者の手で持ちこまれた野菜や果物が並ぶ。とりわけぶどう、梨、栗、桃、いちじくといった果樹類は品種も多様で充実している。みるみる商品が売れ、台の上が空になる。すると、朝採れよりも新鮮な、ついさっき採れたばかりの作物が供給される。買い物客の間を割って入るように「拾いたて」というポップ付きの栗が置かれると、次から次へと手が伸びる。
  「この間も買ったよ、おいしかった」
  消費者と生産者が顔を合わせて、会話が弾む。生産者同士も声をかけ合う。
「あんた、朝も来とった?」
「今日はよう売れたけん、もう2回目」
  こんな「からり」の光景を支えているのが、「からりネット」という情報システムだ。直売所に設置された4台のPOSレジは、LAN、と電話回線、インターネットで農家と結ばれている。生産者は出荷した商品の売り上げデータをFAX、電話音声、電子メールなど自分に合った方法で取り出すことができる。内子の農地は山腹や高台に点在している傾斜畑がほとんどだが、携帯電話を使えば家に帰らなくとも売れ行きや予約状況がわかる。最近では、畑から追加出荷をする農家が増えているという。
  いわば農産物の「かんばん方式」。
  畑が倉庫になった。



 青果以外にも、手作りのクッキーに漬物、お茶に炭、ドライフラワーなど、「からり」の商品は多種多様だ。町内に住む会員農家の手で運びこまれる品々は、どれも内子産にこだわった、ここでしか買えないものばかり。少量多品目の品揃えは、利用者を飽きさせない魅力になっている。
  「からりネット」が「かんばん方式」と違うのは、情報に応じて出荷するかどうかの判断が生産者に委ねられている点だ。「からり」では、決められた日、決められた時間に出荷しなければならないという決まりはない。値段も数量も生産者が自由に設定する。生産者は控室に置かれた端末に品目、数量、単価、生産者コードを入力してバーコードシールを印刷、品物に貼って売場に並べる。自律分散型の出荷形態は、完熟果物、規格外品、少量の野菜など、従来の流通に乗らなかったようなものまで取り扱うことを可能にした。
  売場を歩き回ると、思いがけないものにも出会う。例えば、顔に見立てた「おかめかぼちゃ」。農作業の合間のちょっとした遊びだ。木の蔓で編んだ籠、ラベンダーを詰めた枕、和紙や端布を使った手芸品など、農村の暮らしそのものが「からり」には売られている。身近にある資源をどう使うか、アイデアが試される。畦や土手に咲いた花や山にごろごろしている切り株、蜂の巣まで、農家にとっては何でもないものが、バーコードを貼りさえすれば立派な商品になる。
  地域の資源を掘り起こして商品にするという考え方は、内子町の目指す「グリーンツーリズム」にも通じる。農村の日常風景が、都会に暮らす人の心をとらえる貴重な観光資源になる。消費地から遠いことも、この場合にはプラス要因だ。
「からり」は「道の駅」でもあるが、中継地ではなく目的地として訪れるリピーターが6割以上だという。清流に抱かれた「からり」の敷地内には、内子産の材料を使ったパンやソーセージの工房、農産品の加工場、シャーベット屋やレストランもある。つり橋を渡った先にある公園を散策することもできる。年間40万人の「からり」利用者のうち、内子町民は1割程度。松山市や伊予市、遠くは県外からも、農村の体験を求めてやってくる。



  「からり」にやってくるのは利用者ばかりではない。成功の秘密を探ろうと、企業や自治体関係者など毎年3千人以上が視察や研修のために「からり」を訪れる。現「からり」支配人の久保義雄さんは、視察者には役場の説明を聞くよりも開店前の出荷風景を一目見ることを奨めている。
「皆楽しんでいるけど、ライバルだから真剣だ。いい顔してるんだから」と。
  「からりネット」によって一番変わったのは農家の意識だという。出荷する時間も値段も数量も自由な「からり」だが、売れ残ったものは生産者が引き取るというルールがある。効率良く売り切るためには、パッケージなど売り方にも知恵を絞らなければならない。家庭用には規格外商品を袋に入れて手ごろな値段で、贈答品用には粒の揃ったものを箱に入れて、と工夫する。
  工夫次第で反響があり、数字にも反映される。生産者は販売データから消費者のニーズを汲み取り、どうしたら喜んでもらえるのか考えるようになった。バーコードシールには、生産者の名前と電話番号も印字される。消費者は一度商品を買って気に入ると、次からは「誰々さんのピオーネ」という風に名前を見て買うようになる。直接消費者からの注文が入ることもあれば、クレームがつくこともある。クレームをきっかけに固定客ができることも少なくない。個人がブランドだという意識が芽生えた。
  2003年度の直売所販売額は4億1000万円。会員数360人、平均すると1会員あたり115万円を売り上げる。その中には毎日出荷して1000万円以上売り上げる会員もあれば、時折お裾分けをする感覚で出荷する高齢者もいる。「からり」は、誰もが自分のペースで参加できる市場だ。たとえ小額であっても、月2回の現金収入は大きな張りあいになる。売り上げの14.2%が「からり」の運営主体である第三セクター「(株)内子フレッシュパークからり」へ、0.8%が直売所運営協議会へ支払われ、残りが会員の指定口座に振り込まれる。中間マージンがない分、大規模流通よりも利益率は断然高い。「からりネット」の導入で生産効率も上がり、兼ねてから産直販売の課題だった振り込みの遅れも解消された。
  努力が実れば、人はやりがいを感じる。農業は「楽しい」「面白い」「儲かる」。生産者一人一人が農業労働者から農業経営者の顔に変わっていった。

バーコードシールを貼る松田文子さん
バーコードシールを貼る松田文子さん
「あぐり亭」で一休みする中塚アヤコさん
「あぐり亭」で一休みする中塚アヤコさん
野田文子さんと孫の亮子ちゃん、真純ちゃん
野田文子さんと孫の亮子ちゃん、真純ちゃん
 


  なかでも活き活きしはじめたのは、女性たちだ。
  松田文子さんは、エプロン選びにも気を抜かない。「からり」を特集したテレビに出て以来、知らない人からもよく声をかけられる。売場での出会いが嬉しくて仕方がないという。
  出荷を終えると、生産者、販売員も交えて井戸端会議に花が咲く。
「ええよう、これも生きがいじゃ」と中塚アヤコさん。
  畑に向かっていた毎日に、仲間ができた。

 野田文子さんは、「からり」の会員第一号であり、からり直売所運営協議会の会長でもある。普段は離れて暮らす2人の孫だが、面倒をみる日は、必ず「からり」で一緒におやつを食べる。国土交通省認定の「観光カリスマ」も、この時ばかりは普通のおばあちゃんだ。
  今でこそ「からり」の顔として全国を飛びまわる野田さんだが、「農家の嫁」は自由のきかない日々だったと振り返る。内子は伝統的な男性社会、夫を差し置いて女性が表に出る機会はなかった。子育てを終えて一息ついた1994年、ある日の回覧版を見て「これだ」と思った。町役場が産直販売に取り組む農家を募集するという知らせだった。同じような思いを持つ74人が集まり、「からり」の前身となる直売所「内の子市場」がはじまった。
「今まで農業をやってきてこんなに楽しかったことはない」
  たちまち夢中になった。
  夢中になりすぎて夫と喧嘩もしたが、着々と販売実績を上げて納得させた。

 1996年に現在の「からり」が誕生、「からりネット」も産声を上げた。女性たちは、外部の声も柔軟にとり入れて新しいことに挑戦してきた。
「私らは農業のプロだけど、お店で売るのは素人。皆が教えてくれたからここまで来たんよ」
  生産者の間でもドライフラワーやカゴ作りなどの技術を教え合った。品揃えが充実して評判を呼び、一人の専売特許にしておくよりも売り上げが伸びた。皆の知恵が集まって良い循環が生まれることが、「からり」の発展につながっていると野田さんは語る。
  2001年には女性が中心となって加工品の開発と飲食店「あぐり亭」の営業を行う「アグリベンチャー21」が発足。2003年には野田さんと「アグリベンチャー21」の名本良子会長がタイに招かれ、産業の活性化と女性起業について経験から助言した。2005年、内子町は近隣の五十崎町、小田町と合併する。生産者の新規参入で一人あたりの売り上げが減ることを心配する会員もいるが、野田さんは「仲間で競争すれば刺激になるし、お客様も増える」と笑い飛ばす。
  「からり」という名前には、果物を楽しむ里、花を楽しむ里、香りを楽しむ里、加工を楽しむ里、カラリと晴れ晴れした気分や、爽やかな出会いを楽しむ場を作ろうという願いが込められている。いくつもの「からり」を体現する「農家のかあちゃん」たちの勢いは止まらない。



 「からりネット」は、畑を倉庫に、農村の暮らしを商品に、農家の女性を農業経営者に変えた。 ただし情報化は「魔法の杖」ではない。「からりネット」は成功の決め手ではなく、地道な取り組みの追い風になっているだけだ。 売場の賑わいを一歩抜けると、川のほとりにアーチの屋根とガラス張りの建物がある。ここは「からり」を運営する「(株)内子フレッシュパークからり」の事務所兼情報センター、情報が一手に集まる舞台裏だ。部屋の奥では心臓部のサーバーが静かに動いている。情報センターを切り盛りするのは山本真二さん。所属は内子町役場だが、勤務先はここ「からり」だ。肩書きは「情報相談係長」、常に現場で農家や第三セクター社員の相談に乗り、一体となって汗を流してきた。 山本さんは、「農家が主役、役場は黒子」という立場に徹する。「からり」の施設設備や「からりネット」のシステム構築は、国の補助事業として行われた。しかし、いくら恵まれた補助金でインフラを整備しても、行政からのトップダウンでは根付かない。内子町役場は20年間にわたって勉強会「知的農村塾」を主催し、農家が自発的に参加する土台を作ってきた。産直販売に乗り出す際も、地区ごとに農家を集めて2年間のべ50回にわたる座談会を開き、合意形成をした。裏方がしっかりしてこそ主役が活躍できるし、その活気が人を呼び寄せる。

データを取り出す近井ナルエさん
データを取り出す近井ナルエさん

 
 「からりネット」も、使いやすさを重視して配慮を重ねた。
バーコードシールの印刷には、画面の質問に答えながら入力していくウィザード方式を採用した。生産者の情報は生産者コードと紐付けされているので、入力するのは数字のみ。7割が女性、平均年齢60歳を越える会員たちは、道具として当たり前のようにパソコンを使いこなす。
  当初は農家に設置された専用の農業情報端末(多機能FAX)のみで行っていたデータの配信も、2003年に一般FAX、電話音声、電子メールにも対応するように拡充。今ではすっかり生活に溶け込んでいる。
  「情報ツールよりも、情報をどう利用するかが大事」と山本さんは強調する。
  POSレジを入れた産直販売所自体は決して珍しくないが、全てが「からり」のように売上増につながっているわけではない。「からり」では、必ず販売データを分析し、一手間加えて生産者に返すようにしている。売れる品物や価格帯、集客ピークなどのデータは、作付計画や販売戦略を立てる時の重要な手がかりになる。各種のデータは、売場脇の「生産者の部屋」の端末でいつでも取り出すことができる。
  近井ナルエさんは、出荷に来たついでにデータをプリントアウトする。パソコンの操作は難しくないかという問いには、
  「これが楽しみなの。見て見て、今出てくるから。今日は9月に入ってからの売り上げを出してみたんだけどね…」との答え。
  関心はその先にある情報に向いている。
  情報を使うのは人。情報センターでは会員農家を対象にパソコン講習も行っているが、「ポップは下手でも良いから手書きで書いてください」と指導する。消費者が「からり」に求めているのは素朴な味わいだからだ。相手にとって最適な方法を考えれば、あえて情報ツールを使わないという選択肢もある。オンラインショップも、現在のところは販路開拓というより「からり」ファンへの贈り物といった位置付けにとどめている。

データを取り出す近井ナルエさん
内子町役場 産業振興課 情報相談係長 山本真二さん


   情報センターが目下取り組んでいるのは「畑と消費者を結ぶこと」、すなわちトレーサビリティーシステムの導入だ。内子町には有機栽培や自然農法に取り組む生産者も多い。食品の「安心、安全」を買う時代、生産者のこだわりを明確に伝えることによって、「安くて新鮮」という以上の価値を提供できるのではないかと山本さんは考えている。
  方針は「高度なことより、できることから」。ICタグなどの新技術はコストやリサイクルの問題があるので使わない。既存のバーコードシールを用いて、購入前に消費者が売場に置いた端末で生産履歴を参照できる仕組みだ。独自の認証制度も開発している。生産者の間では「認証マークをつけたからといって売れるようになるのか」という疑問の声もあるが、効果を出しながら浸透させていくしかない。「継続しない実験はしません。はじめます」と山本さん。「からりネット」の進化は続く。

やっと買えた「からりブレッド」を手に
やっと買えた「からりブレッド」を手に
ドライブで来た3人
ドライブで来た3人
 


 今、「からり」の会員は内子町の全農家の28%を占める。女性と高齢者を中心にはじまった「からり」だが、最近では専業農家の参入も増えてきた。「からり」の影響でUターンして農家を継ぐ人、内子に移住して農業をはじめる人も現れるようになった。第三セクターの社員は40人を数え、若年層の雇用確保にもつながった。一つの取り組みが、じわじわと町全体を変えつつある。

 人口1万1000人の内子町を訪れる人は、年間100万人。内子町を特別な存在にした観光資源は、どれも元々は普通のものばかりだ。「からり」では農家の女性たちが表舞台に立ち、農村の暮らしが商品になった。大江健三郎は、子どもの頃から見てきた風景に意味を与えた。生活の場であった街並みや、大衆歌舞伎の劇場も、そこに目をつけた人の手で残されることによって文化財になった。

 内子町の体験を持ち帰って、私たちに何ができるだろう。地域格差を埋める情報化から、地域の色を際立たせる情報化へ。身の回りにある見過ごしがちなものにスポットライトを当ててみることから、地域の活性化がはじまるのではないか。



( 根立俊恵=一橋大学大学院社会学研究科修士課程 )

評価と課題



 「産直の優等生」と呼ばれるようになった愛媛県内子町の「からり」だが、販売施設をスタートさせたころには、同町の農業を取り巻く環境は極めて厳しく、多難な船出だった。厳しい状況を乗り越える原動力となったのが農家の主婦のアイデアや元気、販売施設と農家を結んだ情報のネットワークだった。
内子町は江戸・明治時代に木蝋(もくろう)の集積地として栄えたものの、大正時代には洋蝋燭の普及で木蝋生産は急速に衰退した。その後、コメと葉タバコ生産を中心とした農業を展開してきた。
1970年代になって、内子町と町民有志は栄えていたころの遺産を生かそうと、古い町並みを利用した観光客誘致による地域おこしに力を注いだ。しかし、1980年代にコメの減反政策やタバコ消費の減少で町の活気が失われつつあった。内子町の農業は大きな曲がり角を迎え、野菜やブドウ、キウイなど果物といった商品作物の生産に転換を進めるなど、内子町は新しい姿を模索していた。
  こうした状況の中で登場したのがからりで、地域おこしの運動で培った知恵を生かし、松山市をはじめ、香川県や広島県などからの観光客に販売する商品作物の販売を計画した。
農協の系統販売に頼っていた農家だっただけに、当初は産直販売に躊躇する農家が多かった。すると、それまで主役ではなかった農家の主婦や高齢者が積極的に産直販売に生きがいを見つけようという動きが出てきた。産直販売施設での接客を通して消費者ニーズを肌で知り、そのニーズに合わせて野菜や果物、工芸品を多品種少量生産するという生産・販売形態は農家の主婦に向いていた。こうして農家の主婦や高齢者が産直販売に生きがいを見出し、元気になっていった。
「からり」の運営を軌道に乗せたのは農家の主婦や高齢者だった。それを裏で支えたのが消費者のニーズと農産物の出荷量・販売価格を結びつけた農家と「からり」を結ぶ情報網の力だ。販売時点情報管理(POS)レジと農家に置いた情報端末という操作の簡単なシステムでスタートした。農家はどのような価格の商品がどれだけ売れているかがわかり、自分で販売戦略を練ることができる。自分で作った商品を自分で売るだけに、どのような価格・形態で売ろうかと真剣に工夫するようになり、農家が起業家の精神に目覚めた。
一昨年春から、情報のやりとりの方法も進み、農家は情報をFAX、メール、電話音声とさまざまな形で受け取ることができるようになった。農作業しながら携帯電話で情報を見ることができる。一段と情報を活用し、商品を工夫して出荷するようになった。
  農産物の販売で重要になってきたのは、消費者が「安全・安心」と思えること。農家が消費者にメッセージをいかにうまく伝えられるかという面が大きい。からりでは商品のバーコードを機械に通せば、商品の生産者、電話番号などの情報を得られる。出荷者が販売所に顔を出すことで、まさに「顔の見える生産者」としての人気が高い。「からり」は消費者の信頼を得るにはいかに情報の力が重要かを教えてくれる。

 
(日経産業消費研究所調査研究部長 元日本経済新聞社松山支局長 松下哲夫)


Data

<参考>
内子フレッシュパークからり


本企画記事の背景について
 e-Japan計画でIT先進国を目指す日本だが、地域でのIT化は置きざりにされている。過疎地にブロードバンドを提供する、地域おこしにITを活用するなど、現場での取り組みが重要だ―――日経デジタルコア事務局と、CANフォーラムはこのような認識で一致し、地域情報化の先端事例を取材し、各地での実践の参考に供したいと考え、本企画を連載します。
月1回を原則に、現地取材を報告します。


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