日経デジタルコア・CANフォーラム共同企画「地域情報化の現場から」

第12回ITを活用した地域連携で安心医療を実現


 山形県鶴岡市を中心とする地域で、開業医、病院、訪問看護ステーションなどが電子ネットワークで必要な情報を共有し、連携しながら患者の治療に取り組んでいる。このプロジェクトの愛称「Net4U(ネットフォーユー)」は、New E-Teamwork by 4 Unitsの頭文字。4Unitsとは、病院、診療所、介護福祉施設、検査センターのこと。読めば「あなた(患者さん)のためのネットワーク」と聞こえるのがミソだ。
IT(情報技術)を活用した地域医療連携は、経済産業省などの補助金という追い風もあって全国各地で取り組みが始まった。しかし、様々な問題にぶつかり、志半ばに挫折している地域がほとんどだ。鶴岡地区の開業医らが中心になったこの取り組みは、どう機能し、患者が安心できる医療をどう実現できているのか? 現場に入ってその答を探した。

眼底写真を見る福原医師
眼底写真を見る福原医師
リーダーの三原医師
リーダーの三原医師
カルテを電子的に共有できれば、複数の医師の診断結果を交換できる。
カルテを電子的に共有できれば、複数の医師の診断結果を交換できる。
  2004年3月初旬のある日、鶴岡市内で呼吸器内科を開業する上野寿樹医師は診察室のコンピュータ端末に向かっていた。画面には、市内の眼科医の福原晶子医師が記載した所見と患者の眼底写真。喘息と高血圧を併発していた患者が眼のちらつきを訴えたため、「Net4U」参加医の福原医師に診察を依頼したのだ。福原医師の所見には「ステロイドの使用が眼に影響を与えている可能性があるので、使わずに経過を見た方が良いと思います」と書かれ、眼底写真が添えられていた。
それから約二ヵ月間、一人の患者を巡って診療科目の違う二人の医師はネットワーク上で何度も情報を交換し、やがて患者の容態は落ち着いた。
「以前に比べると患者さんのことがすごくよくわかるようになりました。ふつうの紹介状では紹介したきり、その後の経過が互いにわかりません。同じ医院内の医局で相談をするように軽い気持ちで他の医師の意見を聞けるのが最大のメリットです」と上野医師。
一方の福原医師も「実は連携する楽しさもあるんです。開業医は自分の専門以外を知る機会があまりないので、他の医師の所見を見るのは非常に勉強になります」と前向きに捉えている。



鶴岡地区医師会がカバーする医療圏は、山形県の日本海岸に位置する鶴岡市と周辺6町村、人口約15万人の地域だ。(山形県の地図は、こちら)。
この地域には鶴岡市立荘内病院を中核病院として、約100の医療機関がある。地域の医療情報ネットワークNet4Uに加盟している医療機関は、このうちの約3割にあたる25の診療所と5病院、1カ所の訪問看護ステーション、それに荘内地区健康管理センターなど4カ所の検査機関。
山形県内には12の医師会があるが、医師会が地域の病院を巻き込んで積極的に情報化と地域連携を推進している例は全国的にも稀だ。医師会は、開業医を中心とした医師の集まり。病院勤務の医師は医師会活動に無関心というのが通例だ。しかし、Net4Uには医師会が運営する湯田川温泉リハビリテーション病院のほかに、地域の中核病院である鶴岡市立荘内病院も参加している。市立荘内病院の医師の参加はまだごく一部だが、医師会メンバーは、荘内病院で説明会や操作講習会を開くなど積極的な働きかけをすることで、利用の輪を広げようとしている。
「もともとこの地域には協働の伝統があったんだと思います。30年前に私が東京から来たとき、病院と地元医師会の交流が盛んで驚きました。きっとお互いの顔が見えるから、それが大事なんだと思います」。Net4Uに参加する湯田川温泉リハビリテーション病院の竹田浩洋院長はそう話す。

  鶴岡地区の医師会はフェイス・ツー・フェイスの会合を大切にしている。メンバーは月に何度か医師会会館に集まり、様々な議論をし、その後酒も酌み交わす。
「顔が見える関係だからこそ大切な患者さんの情報をやり取りできる。Net4Uは今までの信頼の上に成り立っているシステムなんです」。こう話すのはNet4U開発の中心人物である三原一郎医師。鶴岡市内の皮膚科開業医だ。
電子的なネットワーク構築は、この三原医師を中心とする医師会の若手メンバーが担ってきた。三原医師は、10年前に東京都内の大学病院勤務をやめて故郷の鶴岡に戻り、医院を開業した。コンピュータに詳しく温厚な人柄が買われ、三原医師は医師会メンバーに担ぎ上げられ地域医療の情報化担当になった。
1997年に医師会内にイントラネットサーバーを設置し、医師会事務局、各医療機関、訪問看護ステーションなどを結ぶネットワークを構築した。同年に在宅患者情報をデータベース化し、複数の医師および訪問看護師で共有することで、在宅医療24時間連携体制を支援するシステムを稼動させたのが、Net4Uの前身だ。
Net4Uのシステムは、2002年、東京都新宿区の医師会が先行して取り組んでいたASP(Application Service Provider)型の地域共通電子カルテを基本に、経済産業省の平成13年度補正予算事業の補助を受けて、様々な機能を追加するなど改善を重ねて作り上げた。ASPとは、インターネット等のネットワークを介してコンピュータのアプリケーションソフトやコンテンツを利用するサービス形態のこと。皆が共通の設備を利用することでソフトやハードにかかる費用を低く抑えることができたり、各医院にITを管理する人材がいなくても運用できるといったメリットがある。
Net4Uの場合、鶴岡地区医師会会館にアプリケーションやデータベースのサーバーを置き、メンバーの医療機関はそこにある電子カルテのアプリケーションをインターネット上のVPN(仮想私設網)経由で各医院のコンピュータ端末から利用している(図1参照)。Net4Uに登録を希望した患者の診療データは、各医院の端末から入力され、医師会会館のデータベースサーバーに随時蓄積される。患者のデータは必要に応じて患者が受診している複数の医師や訪問看護ステーションが共有する。
大病院の院内情報システムと同様の仕組みを地域に拡大したと考えるとわかりやすい。しかし、医療機関を超えて患者の個人情報を扱うため、Net4Uには希望者のみの登録に限定している。また登録患者の診療情報はその患者が受診している医療機関以外では見られない仕組みになっており、プライバシーに配慮している。


Net4U鶴岡の仕組み
図1



訪問看護ステーションで端末に向かう長谷川さん
訪問看護ステーションで端末に向かう長谷川さん
電子カルテに添付された内視鏡写真を診る中村医師
電子カルテに添付された内視鏡写真を診る中村医師
 2004年5月18日現在Net4Uの登録患者は5,855名、このうち1,083名の患者について、実際に複数の医師や訪問看護ステーションで情報共有し、ケアを行っている。特に効果を発揮しているのは、医師の少ない郡部に住む在宅患者のケアだ。この地区には脳卒中が原因で寝たきりになってしまった高齢者の割合が高いのだ。
訪問看護ステーション「ハローナース」(鶴岡市)に所属する13人の看護師は、7市町村に住む約150人の在宅患者をカバーしている。所長で看護師の長谷川典子さんも一日6〜7件の在宅患者の家を回っている。脳卒中等で寝たきりになった在宅患者の多くは、複数の科をまたいで診察を受けなければならない。
この日、長谷川さんが訪問した在宅患者は皮膚疾患を併発していた。訪問看護先からステーションに戻った長谷川さんは端末に向かい、看護記録とともに自分が訪問先で撮影した患者の発疹のデジタル写真をアップし、どのような処置をしたらよいか三原皮膚科に問い合わせのコメントを送った。
彼女が看ている在宅患者のほとんどはNet4U(ネットフォーユー)登録患者なので既往症や薬歴など必要な情報はすべて共有データベースに入っている。三原医師は、患者の過去の治療歴と長谷川看護師がアップした写真を診て所見と指示を打ち込む。必要があれば往診し、時には採取した菌の写真などを貼り付けて共有することもある。
通常、訪問看護の診療報酬をもらうためには、毎月主治医が計画書を作成して送付、看護婦は報告書を毎月作成して主治医に送付しなければならない。Net4Uはその機能を持つので、従来は紙に書いて郵送していた手間が省ける。
「リアルタイムで先生方と、投薬歴や検査結果が共有できること、看護計画書や報告書を郵送しなくてすむことなど、メリットはとても大きいです」とハローナースの長谷川さんは高く評価している。
鶴岡市内で胃腸科の医院を営む中村秀幸医師も診ている患者の2割〜3割がNet4U登録患者だ。往診患者の場合、もし自分が不在の時に容態が急変しても、Net4Uで情報を共有している別の医師(連携医)が往診し、適切な処置ができる。訪問看護師とも常に情報を共有しているので、チームで手をつないで患者を見守っているようだという。
「何人かの医者にかかっている患者さんの場合、誰が主治医かわからないような場合もあります。非常に風通しのよい仕組みだと思います」と中村医師。
かつて情報の共有や交換が容易に出来なかった時は、患者がどんな薬を飲んでいるのか、他の医師からどんな処置を受けたのか、まったくわからなかった。Net4Uの場合は、カルテに模した同じ画面を、患者が受診する医師同士が参照し、記入していける。自分が紹介した患者がその後どうなったのか経過を見守ったり、治療方針を話し合ったりすることが容易にできる。
三原医師は、「開業医は本来は孤独なものですが、患者さんを通して他の医師のことを知ることができ、地域とつながっていると実感できます。こういうツールがあるから、面倒くさがらずに患者を紹介しあえるんだと思います」と付随的な面を評価している。



 現在のところ鶴岡地区の医療機関のほとんどは、紙のカルテを使っている。Net4Uの登録患者のデータは、診療時間の空いた時間を利用して医師が手作業で入力しなければならない。この入力作業があるので、Net4U登録患者は通常患者の3倍以上の時間がかかる。開業医からは、せめて月々の診療報酬請求を行うレセプトコンピュータ(レセコン)とNet4Uが連動することで二度入力の手間が緩和されるという声も聞かれる。
「一番の問題は手間がかかることでしょう。『他の医院と連携することが楽しい』という気持ちがなければとても続きません」と中村医師。
入力に手間と時間をかけているは医師だけではない。訪問看護師の看護記録も現在手書きが基本だ。Net4Uの登録患者の看護記録だけを後で端末から再度入力をする必要があるのだ。
「看護記録など日々の記録も統合されると処理作業が緩和されるので、嬉しいんですけれど…」と、長谷川さんも使い勝手の改善を希望している。
しかし、現在システムの改善は暗礁に乗り上げている。開発を担当したベンダーが地域電子カルテ市場から撤退を表明したのだ。開発ベンダーにとって地域カルテというのは院内情報システムに比べると利益が出にくいといわれている。実際、地域連携カルテシステムを手がけたほとんどのベンダーは、この分野から利益を上げていない。Net4Uも別のベンダーが引き継いでくれない限り、これ以上のシステム改善は期待できないという。情報システムは進化し続けることができなければ、すぐに使えない代物になってしまう。このことが三原医師らの最大の懸念だ。
心配事はそれだけではない。情報システム運用には費用がかかる。Net4Uの年間の運用費約430万円は、現在は鶴岡地区医師会が収入を地域に還元する形で全額負担している。しかしNet4Uに参加していない医師会員がまだ大多数なこともあり、「このままだと運用費用は参加医療機関の自己負担にすることを検討せざるをえないだろう」と、医師会事務局の遠藤貴恵さんも顔を曇らせる。
「良い医療をしようと頑張っている医療機関ほど、収入が減るような仕組みになってはやりきれない」。Net4Uのメンバーからこんな声があがっている。地域内にNet4Uに参加する医療機関を増やすことが急務だ。しかし未参加の医療機関の多くは、経済的に何のインセンティブもなく、むしろ余計な手間がかかるだけなら、今のままが良いと考えている。
「Net4Uの良さは使ってみないとわからない。使っている人は皆が良いといっています。良さをわかってもらうためにはまず使ってもらわないといけませんが、そのためには先陣を切る我々が、もっと使いやすく改善しなければなりません」と上野医師は力を込める。
中村医師も「今困っていない病院や開業医に使ってくれといっても使ってくれるはずがありません。なんらかのインセンティブがないとこれ以上は広がらないかもしれません」との意見だ。



 未参加の医療機関や医師達を動かすには? 地域にNet4Uの輪を広げていくにはどうしたらよいのか? ことあるごとにに三原医師らは集まって議論している。
今までは仲の良い医師たちに限られたコミュニケーションツールだったが、これからは行政や住民に広くNet4Uの良さを周知して、支援のネットワークを広げていく必要がある。何よりもメリットを理解した患者から医療機関に参加してもらうように声を上げてもらうことが効果的であろう。最近、三原医師ら中心になっている若手医師のグループは、患者にわかりやすくNet4Uをアピールするポスターを作成した。
「もっと行政や市民にNet4Uの存在を知ってもらい、その良さを理解してもらえる努力をしないといけない」(三原医師)
  せっかく芽生えた医療機関の連携の輪をどう維持していけるのか、様々な課題を克服してどう地域に広げていけるのか――鶴岡地区の医師達のチャレンジに注目したい。
      
 
(秋山 美紀=慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程)


評価と課題


  地域情報化の中で、地域医療の問題は「最後の暗黒大陸」かもしれない。その意味は、住民の暮らしに直結する大事な問題で、うまく運用されれば無駄が多いといわれる医療費の削減に繋がる可能性もある。そして何よりも、医療の本来の姿である「患者中心」を実現できるのがポイントだ。
  しかし、現実は大変厳しい。鶴岡の例は非常に先進的で、このレベルに達している地域は全国的にも珍しい。
  ただ、レポートに書かれているように、入力の手間がかかったり、システムの運用費用の問題、サポートするベンダーの問題などが山積している。
  それでも鶴岡で実際に運用されているのは、地域の医師たちのチームワークがいいことと、中核病院が参加していることだ。
  全国的には、病院と医師会が連携する形は難しいといわれる。日本には、いくつかの有名な大学医学部を根源とした学閥があり、医師の連携はどこもうまくいっていない。診療科目が違えばなおさらだ。
  ここにきて心配な問題が起きている。電子カルテの市場が立ち上がることを見込んで、情報システムベンダーが売り込み合戦を始めているからだ。同じ地域に複数のシステムが導入されれば、それが壁になってしまう。つまり、システム導入が「囲い込みの道具」として機能するからだ。
  こうした弊害をなくすために、他社のシステムとのデータのやりとりをフレキシブルに行えるように、適切な行政の介入が必要だろう。
  いずれにせよ、地域医療の連携問題は、「安心・安全な暮らし」を願う住民の生命を預かる問題であり、住民、行政、医療機関が一体となって取り組むことが求められる。

 
(坪田 知己=日経デジタルコア事務局)

本企画記事の背景について
 e-Japan計画でIT先進国を目指す日本だが、地域でのIT化は置きざりにされている。過疎地にブロードバンドを提供する、地域おこしにITを活用するなど、現場での取り組みが重要だ―――日経デジタルコア事務局と、CANフォーラムはこのような認識で一致し、地域情報化の先端事例を取材し、各地での実践の参考に供したいと考え、本企画を連載します。
月1回を原則に、現地取材を報告します。


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