第221回 岩手県実食編 シドケを食べて春が来る

特別編集委員 野瀬泰申


一関駅にはウスとキネ
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一関駅にはウスとキネ

 2015年5月15日から2泊3日の旅程で岩手県実食の旅に出た。県東部の太平洋側や県北はデスクの担当。私は東北新幹線沿線、といっても一関と盛岡を歩いた。

 岩手県は四国4県に匹敵するほど広い。2人で手分けしても「線」で押さえるのが精いっぱいだ。欲張らず、年齢のことも考えて絞ったのが一関と盛岡だった。

 一関は本編に登場したように「餅」の文化がある。ただ主として家庭内で食べるものなので、簡単にはのぞけない。そこで愛Bリーグ加盟団体「いちのせきハラミ焼なじょったべ隊」の山本郷・鶏総裁に案内してもらった。

 15日のお昼前に一関駅で山本さんと合流。その足で街中にある「世嬉の一」に向かった。

蔵レストランも登録文化財
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蔵レストランも登録文化財

 ここは江戸時代から続く蔵元「世嬉の一酒造」の工場だったところで、登録文化財になっている大正時代の建物を使って酒の民俗文化博物館、ビール工場、レストラン、売店などを持つ複合施設を運営している。

 訪れたのは蔵元レストラン「世嬉の一」。本式の「餅本膳」を食べさせてくれる数少ないレストランだ。

 天井が高く格調も高いレストランの隅のテーブルに席を取ると、会長の佐藤晄僖(こうき)さんがやって来た。

餅本膳
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餅本膳

「一関の田村藩3万石は伊達藩の支藩でしたが、独立藩並の格があったようで、餅の文化も伊達藩から伝わりました。本膳料理の一の膳を餅にアレンジしたのが餅本膳です。取り持ち人という司会者の口上で始まって、いくつかの作法を守らなければなりません」

 冠婚葬祭、農事暦。折々に人々が集まり、餅を食べてきた。「もち歳時記」を見ると、1月11日の「農はだて」、同14日の「道具もち」に始まって桃の節句、彼岸の中日、八十八夜、七夕、重陽の節句、恵比寿講、12月28日の「荒神さまの2年越し」まで、実に25回もの餅行事があった。

餅本膳の雑煮
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餅本膳の雑煮

 佐藤さんによれば、街中でも昭和40年代までこうした行事が営まれていたが次第に廃れ、いまは農村部に残っているとう。最近は本膳の代わりに結婚式やお葬式の場合、全員で「あんこ餅」を食べてから会場に行くことがある。

 その昔は、餅といっても餅米だけの白い餅を食べることはできず、混ぜ物をした「しいな餅」を食べた。だから口上で「本日はいたっても堅餅ですが」とあれば「今日は餅米だけの餅ですよ」と謙遜しながら言っていることになる。なぜなら、しいな餅は冷めても堅くならないからだ。

たくあんで拭きとった汁を飲む
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たくあんで拭きとった汁を飲む

 そんなことを教わって、餅本膳をいただいた。銘々膳の右上に「なます(甘酢大根おろし)」があり、時計回りに引菜餅(雑煮)、あんこ餅、料理餅。真ん中が2枚のたくあんという配置である。作法は以下の通り。

(1)司会者の指示に従って、最初に「なます」を一口食べてから「あんこ餅」をいただく。次いで料理餅、引菜餅の順。
(2)なますとたくあんはいつ食べてもよいが、たくあん1切れは最後まで残す。
(3)あんこ餅と引菜餅はお代わり自由だが、料理餅のお代わりは不可。
(4)空になった引菜餅の椀に湯を注ぎ、残ったたくあんで内部をきれいにする。そのお湯をあんこ餅、料理餅の順に移してたくあんで拭き、最後に全部飲んでたくあんを食べる。

餅9種
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餅9種

 この通りやってみた。歯の改造作業で仮歯だらけなので餅を警戒していたのだが、企業秘密の入った餅は時間がたってもつきたての柔らかさで、歯に絡むこともなくするするとのどを通った。

 山本さんが食べたのは「ざっと300種」と言われる餅バリエーションの中から、代表的な9種を並べた膳。

 右上から時計回りにゴマ、クルミ、大根おろし、あんこ、納豆、ずんだ(枝豆)、沼えび、じゅうね(エゴマ)。そして真ん中が甘酢大根である。

したたる新緑 ワンちゃんもよろこぶ
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したたる新緑 ワンちゃんもよろこぶ

 佐藤さんから自家製のビールを勧められたが、ぐっと我慢した。というのも午後2時から猊鼻渓(げいびけい)の川下りに行くことになっていたからだった。

 一関には厳美渓と睨鼻渓という2つの名勝がある。今回は川下りができる睨鼻渓を選んだ。舟乗り場に着くと間もなく出発の時間というので、観光客が集まっている。1600円を払って私たちもその列に連なった。川下りとはいうものの、流れがほとんどない。船頭さんは「上り下りとも棹1本の人力というのはここだけです」と話していた。

 舟にはワンちゃんも乗っている。200円でペット同乗可なのである。途中の風景は写真でご覧になっていただきたい。新緑が天から降ってくるようで、高さ100メートルに及ぶ岩の壁に咲く藤の花が美しい。舟は棹が届く浅いところを縫い、あるいは日差しが届かない木陰を求めてゆったりと上流を目指す。

すれちがう
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すれちがう

「いまは川下りではなく川上りです」

 船頭さんがちょこちょこと繰り出すジョークに笑いが広がる。川の反対側を下る舟にすれ違うときなど、全員がトシを忘れて手を振り合う。

 ああ観光しているなあ。

 乗船前に50円で買った餌を川にまくと、どこからか大きなコイやウグイが現れて餌を食べるのである。日差しは柔らかく、風も涼やかで、カモを見つけたワンちゃんがほえると、それだけでまた笑いを誘われる。

素焼きの玉を対岸の穴に向かって投げる
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素焼きの玉を対岸の穴に向かって投げる

 終点では素焼きの玉を5個100円で売っていて、それを対岸の穴にむかって投げるのである。最近は震災で途絶えていた修学旅行の団体も戻ってきた。彼らが穴にびゅんびゅん玉を投げるから、穴に入ることも珍しくないという。

 下りでは船頭さんが歌ってくれた。

「げいび追分を聞いてください。私が歌うと追分が言い訳に聞こえるかもしれませんが」という前置き。

 やがて音程にやや不安がある朗々たる歌声が、渓谷の岩肌に響き渡ったのだった。

「ベイシー」は「本日終了」
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「ベイシー」は「本日終了」

 さてこの後は街中に戻って、一部で「日本一のジャズ喫茶」と言われている「ベイシー」をのぞくことになっている。車を飛ばして店の前に。

 しかしシャッターが半分降りている。ドアに「本日終了」の札。

 実食の旅ではよくあることながら、ちょっと残念であった。

 ホテルにチェックインして風呂に入り、そぐそばの居酒屋「杏庵(あんあん)」へ。

「いちのせきハラミ焼」
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「いちのせきハラミ焼」

 なじょったべ隊の皆さんのほかに岩手町の府金さん、北上の岡島さんも加わって総勢9人の宴会になった。話の中身はまちおこしの苦労や10月の十和田B−1への意気込みなどなど愛B関連であった。

 当然のことながら、いちのせきハラミ焼が登場した。ハラミは鶏の横隔膜であるが、モツと肉の中間みたいな食感でなかなかステキな味である。

 これを3個か4個食べたとき舌先に硬いものが当たった。見れば仮歯の一部ではないか。仮歯が取れたら一大事。慌てて前歯だけで食べられるフライドポテトを注文して「地酒で点滴」に集中した。

盛岡駅のウエルカムダンス
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盛岡駅のウエルカムダンス

 夜更けて解散。ベッドに倒れ込む。

 翌朝、新幹線で盛岡に向かう。何度も行っている町なので、大方の地理は頭に入っている。荷物をホテルに預けて盛岡城跡公園まで歩く。ここもまたしたたる新緑に包まれている

 文学関連のコラムで浅田次郎の「壬生義士伝」を取り上げたときもここに来た。駅前のホテルで、地元の書家の手になるこの作品の一部が額装されて飾られているのを見たが、主人公は架空の人物ながら南部の、盛岡の士魂への誇りをかき立てるのであろう。私も涙して読んだものである。

開運橋から岩手山を望む
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開運橋から岩手山を望む

 昼近くになって駅からほど近い材木町まで歩く。ここでは毎週土曜の夕方から「よ市」という市が立ちにぎわっていると聞いていた。今回の盛岡取材の眼目はこれである。盛岡に何度も来たと書いたが、うかつなことに市については知らなかったのである。

 盛岡市民の間では神子田(みこた)の朝市を知らない人はいない。月曜以外の毎朝、市が立つ。ただし午前5時から8時半までなので、一関からでは間に合わなかった。その代わり、週1回の「よ市」が開かれる土曜日に訪れる幸運に恵まれた。

冷やし天ぷらそば
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冷やし天ぷらそば

 長さ400メートルの材木町商店街に多くの露店が並ぶというのだが、私がロケハンに行ったときには、まったくその気配もなかった。そこで食堂に入ってお昼を食べることにする。

「冷風麺」、つまり冷やし中華はまだ出していないというので「冷やし天ぷらそば」をいただく。よく行く東京のそば屋で「おろし天そば」と呼んでいるものと同じである。これにおいなりさんを1個追加して満腹になる。

 再び駅に戻ってお土産品売り場をのぞいたりしているうちに、ぼちぼち材木町で市が始まる時間が近づいてきた。スタートは午後3時10分から。6時半ごろ終了する。

開店準備始まる
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開店準備始まる

 行ってみると品物を並べ始めた店があるかと思うと、もう行列ができている店もある。さっきはほとんど人通りがなかった商店街の歩道を人が埋めている。

「3時になりました。交通規制が始まりました」
「手元の時計で3時10分になりました。販売を始めてください」

 スピーカーからのアナウンスで市が始まった。行き先を最初から決めてあった買い物客が目当ての店で品物を取ってはお金を払っている。

豆腐がでかい
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豆腐がでかい

 野菜、野菜の苗、揚げ物、豆腐コーヒー、総菜、弁当、地ビールなどなど。店といいながらほとんどが個人の商いである。

 揚げ物の店をのぞいたら豆腐のフライや田楽豆腐が目玉になっていた。盛岡は昔から日本一豆腐を食べる町だが、その大きさやバリエーションが格別である。豆腐のフライは1個で私の1食分になりそうなサイズ。どうやって食べるのであろうか。

 季節柄、山菜の店がにぎわっていた。

山でとってきた根曲がり竹(姫たけ)
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山でとってきた根曲がり竹(姫たけ)

 根曲がり竹(姫たけ)だけを売っている男性が言った。

「今朝、山で取ってきたものです」
「どうやって食べるんですか?」
「皮をむいて切れ目を入れて焼くんです。焼けたら醤油でもマヨネーズでも」

 別の店では「シドケ」を売っている。

「シドケって山菜ですか?」
「そうですよ。シドケ知らない?」

「しどけ(シドケ)」はおひたしで
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「しどけ(シドケ)」はおひたしで

「東京では売っていないもので」
「ああ、東京に持って行っても売れないからね」
「で、どうやって食べると美味しいんですか」
「おひたし。それしかない」

 というやり取りを聞いていた女性が話しかけてきた。

「シドケを食べないと盛岡に春が来ないんですよ。そう、シドケ食べたことがない? じゃあ、駅前に○○という居酒屋さんがあります。あそこでは食べられるかもしれませんよ。あした帰る? それなら今夜、ぜひ○○で食べてね」

産直の蒸しガキも
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産直の蒸しガキも

 女性はどうしても私にシドケを食べてもらいたい口ぶりであった。そうやって他国の人にすすめられる旬のものがあるのは幸せであろう。

 調べてみるとシドケの標準和名はモミジカサ。やはりおひたしが一番いいらしい。東北の高級山菜という。関西以西でもとれるらしいが、西日本は山菜やキノコに疎いせいか、私は全く知らなかった。

 買い物客であふれる市を何度も往復しながらコーヒーを飲んだり、岩手県産のワインを試飲したりしているうちに夕方になった。

にぎわっています
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にぎわっています

 観光客がいない市民のための市は、その町の、その地域の息吹きがじかに感じられていい。少しも飽きないのである。

 商店街振興組合の事務所で聞いたところ、市は昭和49年に始まった。きょうは88の露店に加え、軒先に特売商品を並べる常設の店も5、6店あるから100近い店が思い思いの品を商っていることになる。

 ホテルに戻るとどっと疲れが出た。先週から出張続きで、ろくに休んでいない。起きる時間、寝る時間が不規則になって疲れがたまったらしい。

豆腐で晩ご飯 とほほでした
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豆腐で晩ご飯 とほほでした

 夕食には肉が食べたかった。ホテルのすぐ近くに盛岡冷麺の元祖「食道園」があって、そこで焼き肉を食べ冷麺で締めたい気もしたが、歯の状況を考えると無理である。結局、老舗の食堂兼居酒屋のような店で仮歯に当たらないよう細心の注意を払いつつ、豆腐と茶わん蒸しと握り寿司少々を食べて済ませた。

 翌日、帰りの新幹線の中で駅弁を食べているとき、ついに仮歯が取れた。舌で探ると歯も何もない虚ろな空間があるだけであった。

デスク 来週からは京都府編です。たくさんのメール、お待ちしています。


(特別編集委員 野瀬泰申)

*映像はflashビデオです。一部機種では再生できないことがあります。ご容赦ください。


(特別編集委員 野瀬泰申)


★今週のおかわりは「『南部牛追い唄』の里で『べこ』を食う〜デスク版岩手県実食編」です。ぜひお読みください。

岩手県編(その1) 遠野から久慈へと続くジンギスカン

岩手県編(その2) 発見!! 南部藩ホルモン街道

岩手県編(その3) アナゴは岩手でハモになる

岩手県編(その4) そばにはゴンベが必需品


 


●筆者(特別編集委員 野瀬泰申)へのお気軽メールはこちら(tabeb@nex.nikkei.co.jp

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2015年5月22日

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