おかわり すいとんに映る炭鉱の暮らしと歴史〜デスク版福岡県実食編



戸畑ちゃんぽん
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戸畑ちゃんぽん

 今回、僕の担当は筑豊がメインです。

 北九州空港から小倉を経て、戸畑へ。戸畑区は、面積の約45%を新日鉄住金八幡製鉄所が占める「鉄のまち」。そこで働く人たちに愛されているのが戸畑ちゃんぽんです。

 地元の人気店という「貫太郎」を訪れました。

 戸畑ちゃんぽんの最大の特徴は蒸し麺です。太いちゃんぽん麺ではなく、蒸してちょっと茶色くなった、やきそばのような細くて腰のある麺です。

蒸し麺の替え玉を投入
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蒸し麺の替え玉を投入

 蒸してあるため、食べる前に湯通しするだけ。工場の休み時間にもさっと食べられるというわけです。

 スープは、強いにおいを放つとんこつテーブルには山盛りの紅ショウガ。替え玉まであります。ちゃんぽんで替え玉って初めてかも。

 トッピングには魚介の入った炒め野菜とともにゲソ天がのっています。さらにごぼう天をのせるのも人気だそうです。製鉄所の熱さとたたかいながら働く人たちの食といえるでしょう。

直方市石炭記念館
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直方市石炭記念館

 八幡西区の中心都市・黒崎で、筑豊電鉄に乗り換えます。かつては小倉へとつながっていた市内電車仕様の路線です。

 産炭地から折尾を経て、積み出し港の若松に石炭を運んでいたJR筑豊本線に対し、小倉〜黒崎〜直方とまちとまちをショートカットで結ぶ「人を運ぶ鉄道」です。

 終点の直方は、大産炭地の飯塚と田川からそれぞれやってきた石炭貨車が、ここで一つになって若松へ向かっていく交通の要衝でした。なので、筑豊三都といいながら市内に大きな炭鉱はありません。

練習坑道
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練習坑道

 地理的な条件もあって、炭鉱の業界団体はここ直方に作られました。

 遠賀川をはさんで広がる各炭鉱が「筑前国豊前国石炭坑業人組合」を設立、その後両国の名を1字ずつとって「筑豊石炭鉱業組合」と改称しました。実は「筑豊」という呼び方はこのとき初めて誕生したものです。

 組合の事務所は、直方市石炭記念館になっています。

 建物の裏には「練習坑道」が眠っています。

ここもかつては病院だった
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ここもかつては病院だった

 これは「炭鉱レスキュー隊」の訓練施設で、断面積3.5平方メートルのトンネルが長さ117.6メートルにわたって作られています。中にはほふく前進訓練用の架橋から、事故を再現するガス発生装置や暖房装置も備えられていました。

 そして直方のまちなかには、びっくりするほど多くの病院跡がありました。これも、各地のけが人や病人を受け入れるためのものです。

 飯塚や田川をはじめ各炭鉱から多くのヒトとモノ、カネが直方に集まっていたことがうかがい知れます。

成金饅頭
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成金饅頭

 食べ物では、特にお菓子に炭鉱の歴史が映されていました。

 直方名物に「成金饅頭」という大きななどら焼きがあります。田川には「黒いダイヤ」という大きな羊羹もあります。チロリアンでも知られる千鳥屋は現在も飯塚に拠点を置いていますし、東京でも有名な「名菓ひよ子」も飯塚発祥です。

 飯塚から直方を経て黒崎に向かう道は、佐賀県編でもご紹介した長崎街道=シュガーロード。長崎で上陸した砂糖が、都へと運ばれた道筋です。

田川ホルモン鍋、でき上がり
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田川ホルモン鍋、でき上がり

 糖分は手っ取り早いエネルギー源です。

 過酷な炭鉱労働に向かう人たちは、腰に大きな羊羹や饅頭をぶら下げて坑道に入り、休憩時にそれを口に入れて疲れを癒やしていたそうです。

 日も暮れてきました。田川に移動して夕食です。

 田川といえば田川ホルモン鍋。真ん中が窪んだユニークな鉄板の上で、焼き肉のタレで下味をつけたホルモンを、タマネギ、キャベツ、モヤシ、ニラなど大量の野菜に含まれる水分で炒め煮にします。脂がたっぷりとついた白モツからも分かるように、これも炭鉱マンたちのエネルギー源でした。

田川といえば刺身?
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田川といえば刺身?

 でも、田川ホルモン鍋はこれまでに何度も食べに来ています。何か目新しいものを、と田川ホルモン喰楽歩(クラブ)の皆さんにお願いしたところ、連れて行かれたのは何と寿司屋でした。

 こんな海から遠い所で、なぜ寿司屋?

 半信半疑で出された刺身に箸を伸ばすと…。あれっ、美味いじゃないの!

 これまた炭鉱まちの名残りだそうです。

東筑軒のかしわめし
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東筑軒のかしわめし

 坑内労働は危険なだけに身入りは多い。となれば「宵越しの金は持たない」という気質になるのは世の常です。

 田川をはじめ筑豊の炭鉱まちには、そんな人たちの舌を満足させるため、博多湾などからいちはやく鮮魚を運ぶ流通ルートが整っていたのです。朝セリ落とされた魚が真っ先に向かうのは筑豊だったとか…。

 しこたま飲んで、翌朝は、前の日に食べきれず、田川まで持って来ていた北九州の名物駅弁・東筑軒のかしわめしを食べました。

田川市石炭・歴史博物館
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田川市石炭・歴史博物館

 田川は「月が出た出た」の炭坑節発祥の地といわれています。

 田川市石炭・歴史博物館には、炭坑節発祥の碑とともに、炭鉱業の歴史から生産技術、炭鉱まちのくらしに至るまで様々な展示があり、石炭と炭鉱について幅広く知ることができます。

 ユネスコの世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭坑記録画も多数収蔵しています。

 そして、直方・飯塚・田川の筑豊三都のまん中にある福智町へ、やはり炭鉱が残した食を探しに行きます。

方城すいとん
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方城すいとん

 福智町のご当地グルメは、方城すいとん。旧三菱方城炭鉱で愛された、鶏肉と季節の野菜をふんだんに入れたすいとんです。

「炭住」という長屋に暮らしていた人々にとって、ご近所づきあい、相互扶助はとても大切でした。

 各家庭から食材を持ち寄って大鍋でさっと作れるすいとんは、交代勤務ですれ違いがちだった炭鉱マンたちにぴったりの「コミュニケーション食」だったのです。

 1914年、日本近代史上最悪の炭鉱事故といわれる「方城大非常」が発生、多くの犠牲者が出ました。

方城炭坑罹災者招魂之碑
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方城炭坑罹災者招魂之碑

 その際に遺児たちに振る舞われたのもまた、この方城すいとんでした。

 調べると慰霊碑があるといいます。

 しかし、慰霊碑の建てられた神社はすでに廃絶していて「方城炭坑罹災者招魂之碑」に続く参道は草生していました。これもまた、悲しい炭鉱まちの現実なのかもしれません。

 筑豊三都最大のまち、飯塚へ。

旧伊藤伝右衛門邸 2階が白蓮の居室
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旧伊藤伝右衛門邸 2階が白蓮の居室

 炭鉱マンとその家族を和ませた芝居小屋・嘉穂劇場を見ればその繁栄ぶりがしのばれます。木造ながら2階席もある、最大1200人を収容できる大劇場です。

 人力で動かす回り舞台や縄で動かす緞帳などは一見の価値ありです。松田聖子やベンチャーズまで、この靴を脱いで上がる劇場で公演していたというんですから驚きです。

 そしてドラマ「花子とアン」でも話題になった旧伊藤伝右衛門邸。飯塚では、麻生家に次いで財を成した炭鉱王のお屋敷は、広大にして豪華。特に柳原白蓮を迎えるにあたって増築した居室がすばらしい。

味覚焼
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味覚焼

 2階の窓からはきれいに手入れされた庭が一望でき、トイレは何と水洗です。

 先に紹介した千鳥屋飯塚本店のそばで「味覚焼」なる看板が目にとまりました。いったい何?

 狭いお店に入ると、そこにあったのはたこ焼き器。これってたこ焼きと違うんですか?

 実は味覚焼、飯塚ならではのたこの入っていないたこ焼きなんです。ネギと天かすを具に丸く焼いた粉に大量の削り粉をかけて食べます。

行橋味噌だれおでん
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行橋味噌だれおでん

 子どもやお年寄りが食べやすいように、タコは入れていないのだとか。こりゃ、野瀬向きですね。

 飯塚からいったん田川に戻り、そこから平成筑豊鉄道で終点の行橋へ。

 行橋ではご当地グルメの味噌だれおでんを食べました。甘辛い味は、名古屋のおでんにそっくりでした。

 行橋で日豊本線に乗り換えて、夜は小倉で関門海峡たこをいただきました。

関門海峡たこの陶板焼き
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関門海峡たこの陶板焼き

 関門海峡の速い潮の流れのため、足が太くて短く、吸盤が足の先までついていて、身が引き締まっているのが特徴です。えさが豊富な海域のため、味もいい。お刺身もいいのですが、陶板焼きが特に美味しかった。

 2軒目は日本酒バー「和酒ばる田村本店」へ。若女将特選の「福岡の地酒飲みくらべセット」をいただきました。

 いやぁ、美味しくて、飲み過ぎて、困っちゃう!

 いい加減酔っ払って、最後は旦過市場前の屋台ラーメンへ。おでん鍋の脇には確かにおはぎが鎮座していました

若松のぺったん焼き
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若松のぺったん焼き

 翌朝は戸畑から市営渡船で洞海湾を渡って若松へ。

 若松の展望スポット・高塔山公園は、ちょうど「あじさい祭」の真っ最中でした。山頂の公園には6万株を超えるあじさいが咲き誇り、展望台から、若松のまちと対岸の戸畑、八幡の工場群、そして両岸を結ぶ巨大な若戸大橋を一望できます。

 会場内では、若松の伝統的な「一銭洋食」という「ぺったん焼き」を食べました。刻みネギが入った粉を薄く、クレープのように鉄板の上で伸ばして、そこに天かすや干した桜海老をまぶしただけのシンプルなコナモンです。くるくると巻いて、歩き食いです

サバのぬかみそ炊き
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サバのぬかみそ炊き

 北九州名物のぬかみそ炊きも発見。

 サバやイワシを甘いぬかみそで煮たものです。これ、白いご飯に抜群によく合うんです。

 若松は筑豊の石炭の積出港として発展したまちです。

 近代化以前、石炭は遠賀川の水運で洞海湾まで運ばれていました。当時の洞海湾は水深が非常に浅く、干潮時には海底が露出するほどで、若松沖に停泊した大型船までピストン輸送で対応していたそうです。

若松藪のスタミナそば
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若松藪のスタミナそば

 その後、今のJR筑豊本線が開通、石炭の大量輸送に合わせて、大型船が停泊可能な港に整備されました。時を同じくして、対岸の八幡に官営製鉄所が建設され、洞海湾沿岸は一気に繁栄します。

 洞海湾一帯の中心都市だった若松には、旧古河鉱業若松ビル上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館石炭会館など貴重な建造物が多く残されています。

 まちなかにも古い料亭巨大な居酒屋などが残っていて、繁栄ぶりがうかがえました。

ヤード跡は公園、マンションに
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ヤード跡は公園、マンションに

 お昼は明治3年創業という老舗「藪そば」に入りました。

 ボリューム満点の、一番人気という「スタミナそば」が美味しかった。

 若松駅にも行ってみました。かつての写真を見ると、貨物ヤードが広がる巨大駅でしたが、現在は、ホーム1面だけの小さな駅です。

 地形の関係で、石炭貨車は、若松駅からいったん逆戻りするように海沿いを走って積み出し場所に到達していました。

発見
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発見

 遊歩道に整備された海沿いをしばらく歩くと、ありました。崩落し、一部は水没している石積みのふ頭と、錆びた係留ロープをくくりつける金具です。

 そんなに遠い昔ではないはずなのに、すでに消えかけている筑豊炭鉱の歴史…。

 石炭の全盛時代を知らない僕にとって、とても勉強になる旅でした。

*映像はflashビデオです。一部機種では再生できないことがあります。ご容赦ください。

(デスク)

7月10日

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