第231回 福井県ご当地グルメ(その1) 「かまぼこ定食」あります

特別編集委員 野瀬泰申


福井県

 お待たせいたしました。いよいよ福井県編のスタートです。
 米はもちろん、山海の幸に恵まれたにも恵まれた土地柄です。冬には雪が積もり、夏は関西圏の海水浴場でもありと、四季を通じて魅力がいっぱいの福井県。
 今週は、果たしてどんな「ご当地の味」が登場するのでしょうか?
 今週のおかわりは、恒例の在京アンテナショップガイド。デスクが青山と銀座のお店をリポートします
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現存する「新保陣屋」
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現存する「新保陣屋」

 小紙土曜夕刊に「文学周遊」というコラムがある。文学作品の舞台を訪ね、その情景から作品を逆照射するものだ。昨年の夏、私は吉村昭の「天狗争乱」という作品をテーマに福井県の敦賀に行った。

 幕末、外国船の来航を機に、尊皇攘夷の機運が盛り上がる。「攘夷」の旗を立てて決起した天狗党は水戸をたって日光に向かい、その後、上州各地で軍資金を集める。そのとき一部の跳ね上がりが今の栃木市に放火、町は焼き払われる。その後に火災に備えて建てられたのが蔵造りの家々で、今日の「蔵の町栃木」はこうして誕生した。

蔵の町栃木
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蔵の町栃木

 天狗党はあっちこっち行った果てに、京を目指して木ノ芽峠を越え敦賀の新保という集落に至る。ここに陣屋を構えて幕府側と交渉を続け、ついに投降する。1000人に迫る人数の天狗党は敦賀のニシン蔵に幽閉され、とうとう353人もが処刑されるのである。

「ニシン蔵」という言葉に留意して、次のメールを読んでいただきたい。

昆布館(大阪の原さん提供)
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昆布館(大阪の原さん提供)

MNo.1-1

 敦賀の駅からちょっと離れたところに昆布館があります。昆布尽くし、昆布ラブ、昆布好きにはたまらない(かもしれない)空間です。とろろ昆布の製造工程を見ることができるのは珍しい。とりあえず、昆布ソフトクリームをパクパク(大阪の原さん)

パクパク(大阪の原さん提供)
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パクパク(大阪の原さん提供)

「ニシン」に次いで「昆布」である。となると北前船である。敦賀は北前船の寄港地として栄えた。北海道や東北の日本海側で積まれた各種の荷は敦賀で下ろされ京に向かう。

 敦賀の昆布問屋「奥井海生堂」4代目、奥井隆氏が書いた「昆布と日本人」にこうある。

「ふくい南青山291」にも昆布がずらり
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「ふくい南青山291」にも昆布がずらり

「近江商人が敦賀の港を拠点にしたことから、敦賀は日本海沿岸の諸地域をつなぐ中継点として栄え、蝦夷地から運ばれる昆布の集散地として隆盛を極めました」

「海路で敦賀に到着し、荷物を馬に積み替えて、琵琶湖の塩津や海津まで山越えをし、その後再び船に荷を積み替えて琵琶湖を渡り、大津からまた馬に乗せて都に送るという、陸運と水運を何度も利用して運ぶ、大変に煩雑な手間とコストがかかるものでした」

「昆布の加工技術が早くから発達しました。つまり船便から陸便へ移すときに、加工することで、重量を減らし、より運びやすくしたからです」

昆布は北海道からやってきた(大阪の原さん提供)
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昆布は北海道からやってきた(大阪の原さん提供)

 北前船が下関から瀬戸内海経由、大坂へという西回りルートを取るようになっても敦賀は依然として昆布加工やニシンの扱いでにぎわった。幕末まで残ったニシン蔵や京のニシンそばはその名残である。

 ということで福井県編は敦賀から始める。冒頭にあーでもないこーでもないという文章を置かなかったのは「暑くていやだ」ということぐらいしか書くことがなかったからである。

 その敦賀で私もある種の感動を覚えたメニューがあった。原さんも発見し、実食している。

かまぼこ定食(大阪の原さん提供)
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かまぼこ定食(大阪の原さん提供)

MNo.1-2

 敦賀駅前の食堂で見かける「かまぼこ定食」、気になっておりました。で、注文すると……んんん……板にのって出てきたのですが、例え高級かまぼこでも、コレ一品ではちょっとなあ、という感じでした(同)

小鯛のささ漬けやお造りと同列(大阪の原さん提供)
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小鯛のささ漬けやお造りと同列(大阪の原さん提供)

 駅前ロータリーに面した食堂のものであろう。私はここ以外でも確認しているので、個店のメニューではない。

 かまぼこはかって貴重かつぜいたくな食べ物であった。しかも海に面した敦賀では古くから作られていた。そこで登場したのがかまぼこ定食。理由はあるのである。それに敦賀は豊かであったから、需要もあった。

 原さんも書いておられるように、かまぼこが日常の食べ物になった現代では「ちょっとなあ」という気分にもなる。しかしこの定食は「食の記憶遺産」みたいなものと考えれば納得できるし、その価値もわかる。

 敦賀の西の小浜に目を転じる。

鯖街道の起点(いけずな京女さん提供)
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鯖街道の起点(いけずな京女さん提供)

MNo.2

 福井言うたら、若狭小浜です、京都人には。
 平安時代は「御食国(みけつくに)」として、朝廷(皇室)への食料が運ばれ、江戸時代は「鯖街道」により、京の町衆に貴重な海産物が届けられた、高級食材を供給する国。現代でも「若狭もの」のお魚はブランドもんです。
 一方、京都人にとっては海水浴場、庶民のリゾート地として親しみのある土地でもあります。なんせ京都からJRとバスで2時間くらいで行けますから、大人になってもしょっちゅう遊びに行ってました。
 さて、そんな小浜を代表する食材は、やはり「鯖」。「若狭の焼鯖寿司」は空弁で全国的に有名になりましたし、鯖缶は言うまでもなく。

焼きへしこ(いけずな京女さん提供)
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焼きへしこ(いけずな京女さん提供)

 中でもこれは言うとかなあかん!のが「鯖へしこ」ですね。鯖の糠漬けです。
 昔、若狭の沿岸で大量に獲れた鯖を保存するために考案された伝統食品です。鯖以外にもイワシ、フグ、ハタハタなどの「へしこ」がありますが、ふだん「へしこ」て言うたら鯖のこと。
 鯖を丸ごと一匹糠床に漬け込んで熟成させ、うま味・風味を凝縮させます。そのまま水洗いし、薄皮をはいで薄切りにし酢醤油でいただくのが「生へしこ」。パスタにも絶品。
 切り身にして焼いて食べるのが「焼きへしこ」。お茶漬けにすると悶絶。最近は写真のように食べやすい大きさにして焼いた、便利な製品も出ております(いけずな京女さん)

浜焼き鯖
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浜焼き鯖

MNo.3

 福井県では、浜焼き鯖とへしこが一番です。へしこは現在では鯖とイワシがほとんどで一部フグがあります。
 最近では作られていないのか探しても見当たりませんが、ハタハタのへしこが最高です。白い身がほのかにピンクになり薄く切ってそのままのよし、またそれを大根おろしに混ぜてもよく、そのまま(糠を取らずに)軽くあぶって、温かいご飯のおかずや、茶漬けは最高でした。
 浜焼き鯖も今のようにメジャーではなく晩のおかずに1匹つけてもらいました。脂がのっていて、1匹でどんぶり飯3杯ほど食べた記憶があります。今から40年前ごろの福井の親せきに行ったときのことです(助さん)

これでどんぶり飯3杯?
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これでどんぶり飯3杯?

 小浜は鯖の町。鯖のへしこも、浜焼きも実にいい。

 へしこは魚の漬物であり、保存食であった。塩がきついように思えるのだが、食べてみるとそれほどでもなく、薄く切ったものをご飯にのせてお茶漬けにすると悶絶する。

デスク へしこの作り方については「おかわり 若狭の味、へしこの魅力を学校で」で詳しくご紹介しています。

 浜焼き鯖はショウガ醤油でさっぱりと。

 私にそんな食べ方を現地で教えてくださったのが次の方であった。

若狭ガレイとぐじ
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若狭ガレイとぐじ

MNo.4

 福井県の南部地方には、甘鯛(ぐじ)、若狭ガレイなど有名な魚が多いですが「エチオピア」と呼ばれる魚があります。シマガツオです。
 なんでも、数10年前にエチオピアの皇太子が来日された際に豊漁だったことからその名がついたそう。小浜市内では一部の居酒屋で塩焼きや唐揚げなどで時に提供されています。
 小浜市で春を告げる魚と呼ばれる白魚系の小魚が「いさざ」です。川下の汽水域に住むハゼ科の魚で、躍り食いをするお椀にいれて飲み干します。小浜の方も苦手な方は苦手なのですが、小浜市に受けいられるための通過儀礼としても躍り食い(飲み)は使われます。

小浜・赤尾のカレー焼き
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小浜・赤尾のカレー焼き

 焼き鯖をパンではさんだ鯖サンドが密かなブームです。鯖サンドをこの10年作り続けているのが小浜市のスローフードレストラン「濱の四季」です。
 小浜市には「赤尾のカレー焼き」というのがあって、子どものころからお八つとして食べられてきた、誰もが知るソウルフードです。回転焼きの素材を用い、独特のバナナ型形状の中には、毎日4時間かけてたき上げ特製カレーが入っています。
 最後に紹介するのは「若狭おばま鯖おでん」です。若手事業者らのグループ「KISMO」(来たい、住みたい、戻りたい)が開発したもので、小浜市内8店舗で販売中。
 出しには鯖醤油、おでんダネには鯖きんちゃく+地元食材2品以上、小浜のお箸で食すことなどがスペックです(高島さん)

デスクが食べた鯖サンド
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デスクが食べた鯖サンド

 シマガツオは各地でエチオピアと呼ばれているが、起源は諸説あって不明という。しかしほかに名前の付け方はなかったのであろうか。

 豚足を「ハイヒール」と名付けてメニューにのせている店があったが、こっちの方がまだわかる気がする。

 高島さんに教えられて鯖サンドを「濱の四季」で買って食べた。イスタンブールには行ったことがないけれど、まあこんな味なのだろうなと想像しながら食べたのであった。

「カレー焼き」はここにもあったか。

ほら、カレー
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ほら、カレー

 円筒形の回転焼き生地の中にカレーのルー。あちこちに点在しているところをみると、ある時期、各地ではやったのであろう。前にも書いたが、私は三重県の津で食べた。実食編にも書いたかな?

「若狭おばま鯖おでん」については次のメールに詳しい。

若狭おばま鯖おでん(松井さん提供)
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若狭おばま鯖おでん(松井さん提供)

MNo.5

 浜焼き鯖、へしこ、なれずしなど小浜には鯖の加工品がたくさんあります。
 その昔、画期的な巻き網漁法「きんちゃく網漁」で全国随一の漁獲高を誇った時期もあったほど小浜のまちには鯖があふれていました。
 鯖を頻繁に京都に運んでいたことから、鯖街道(日本遺産に認定される)と呼ばれる道がいくつも残されています。
 そんな鯖とともに歩んできた小浜で、鯖を使った「若狭おばま鯖おでん」は誕生しました。

【特徴1】 うま味の秘密は「鯖しょうゆ」
 福井県立大学が開発した特殊加工技術「速醸法」により生み出された特製「鯖しょうゆ」。鯖のうま味成分がギュッと詰まって、おでんに絶妙な味わいをもたらします。
 その「鯖しょうゆ」が入った、情熱の赤(トマトベース)と癒しの白(昆布ベース)の2種類を開発しました。

【特徴2】独特の味わい「鯖きんちゃく」
 豊かな漁場の小浜湾と小浜で始まった「田烏きんちゃく網」をイメージした鯖きんちゃくの中身は、焼き鯖のフレークを練り込んだ「つみれ」。
おでんの出しと一緒に鯖の味わいが口の中にひろがり、初めての味体験が楽しめます(小浜商工会議所の松井さん)

イベントで活気づく小浜はまかぜ通り商店街
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イベントで活気づく小浜はまかぜ通り商店街

 書きにくいことではあるけれど、かつて訪れた小浜市の中心商店街は、かなりな状態になっていた。地元の危機感は強いであろう。

この町をなんとかしたい」という思いから生まれたのが「若狭おばま鯖おでん」であるという。

 繰り返すが、創作料理が「ご当地グルメ」として定着する必須要件は「地元の人が食べている」こと。小浜の皆さん、鯖おでんをずっと食べ続けてくださいね。

 福井県は丼に熱心である。

ヨーロッパ軒のソースカツ丼(福丼県プロジェクト実行委員会提供)
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ヨーロッパ軒のソースカツ丼(福丼県プロジェクト実行委員会提供)

MNo.6

 2014年9月29日(空腹の日)、福井県が丼の聖地として認められました。その名も福丼県です。
 もともと福井県はソースカツ丼発祥の地と言われ、ブランド米であるコシヒカリの誕生の地でもあります。
 また作家の開高健氏が「開高丼」と名付けたせいこガニの丼をはじめ海鮮も豊富にそろっています。
 丼の聖地にふさわしいこの福井県に日本中から、いや世界中から人が訪れてくれることをめざして福丼県プロジェクトは活動中です。
 福丼県プロジェクトでは毎週1回のテレビ番組「福丼TV」で福井県内の丼情報を発信しているほか、274店舗の県内丼情報を網羅した「福丼本」を9月末発刊予定で準備をすすめています。また冬には丼の福井県NO1を決定する「福丼カップ」を企画しています。

開高丼(福丼県プロジェクト実行委員会提供)
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開高丼(福丼県プロジェクト実行委員会提供)

 ぜひ丼の聖地福井に足を運んでください!
 ちなみにプロジェクトメンバーは互いを「ドン○○」と呼称をつけてフェイスブックの中で情報交換を行っています(福井テレビの朝井さん)

福丼県プロジェクト実行委員会のホームページへ

福丼県プロジェクトのホームページへ

「福丼県」で検索してみた。その「あゆみ」の項では、果たして丼ものとつながりがあるかどうかわからないゆかりの有名人を総動員している。なかでも同じ「ドン」だからという理由だけで恐竜のイグアノドンまで登場させているところなどは、大変に強引グマイウエーである。

 しかし新しいプロジェクトを発進させるためには、この程度は許されるのである。もっとドンドンやるべきである。

 最後はこのメール。福井県は越前と若狭からなるが、どちらも古来、京とのつながりが深かった。そのことを示す行事がいまも残る。

行きと帰りで琵琶湖を一周?
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行きと帰りで琵琶湖を一周?

MNo.7

 現在の福井県から京都、というと一般には通称「鯖街道」が知られていますが、越前からだと春の恒例行事「御影道中」があります。蓮如が京都から吉崎に行った道をたどるというもので、毎年京都からの往復の道中が行われています。
 行きは琵琶湖の西側〜敦賀経由。帰りは琵琶湖の東側。電車道とだいたい同じ。
 最初から最後まで歩いている人は基本的に本山から推挙された末寺の関係者のようですが、道中の途中途中で参加する人は老…ムム、若はいないな…いや、善男善女結構いるらしいです。
 歩いている人は道中で拝まれたり、食事やお茶の接待を受けたりするようですが、残念ながら、テレビで見たときは「ヤマザキパンの菓子パンとお茶」をもらっていました。昔はもっと郷土色があったのかなあー。
 余談ながら、吉崎地区は地区の中に県境が通っているので、福井と石川に両方あって、福井のほうに吉崎別院があるようですが、福井の吉崎小の児童の進学先は加賀市錦城中学校がほとんどという地域です(YKヒルビリーさん)

 私はこの件についてまったく知らないので、コメントのしようがないが、東本願寺のHPにこんな説明を見つけた。

「蓮如上人御影道中」

 御影道中は、蓮如上人の没後、北陸での教化のご苦労とその徳を偲んで吉崎御坊(吉崎別院)で厳修される御忌法要に、上人の御影を本山よりお迎えして勤められたのが始まりであると伝えられています。以来、上人が歩いたといわれる約240キロの道程を、随行教導や、宰領(さいりょう)をはじめとする供奉人(くぶにん)方が御影と共に歩む御仏事として300年以上の間連綿と続けられています。
 道中は、真宗本廟における御下向式(4月17日)に始まり、約140箇所の会所に立ち寄り上人の御教化にあわれながら、御帰山式(5月9日)をもって終了します。

ヤマザキパンの菓子パンとお茶
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ヤマザキパンの菓子パンとお茶

「300年以上の間連綿と」とある。凄いな。「ヤマザキパンの菓子パンとお茶」というのは極めて今日的情景だが、続いていること自体が、やはり凄い。

 有名な水ようかんや、恐ろしく硬いパンなどは次回。

 では引き続き福井メールを待つ。

(特別編集委員 野瀬泰申)



★今週のおかわりは「銀座で、青山で、福井の味を満喫」です。ぜひお読みください。

福井県編(その2) 「油揚げ定食」もあります

福井県編(その3) 「山うに」をご飯の上にちょっとのせ

福井県編(その4) 思い出したぞ! きな粉飯

実食編 とりあえず、焼き鳥110本!


 


●筆者(特別編集委員 野瀬泰申)へのお気軽メールはこちら(tabeb@nex.nikkei.co.jp

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2015年7月31日

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