おかわり 「南部牛追い唄」の里で「べこ」を食う〜デスク版岩手県実食編



岩手で肉を食らう
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岩手で肉を食らう

 岩手県は東北を代表する畜産県。本編でも、ホルモン、ジンギスカンなど肉料理が多く登場しました。その背景に、岩手県ならではの気候、風土、歴史があると知り、確かめるべく旅に出ました。

 旅程は4月27日から29日までの3日間。いわてまち焼きうどん連合歓隊のポンタさんが、全行程、案内役を買って出てくれました。

 例年、この時期の北東北は桜の見ごろ。観桜の名所、北上・展勝地を旅のスタート地点に選んだのですが、葉桜どころかすでに「葉」でした

マルカン百貨店
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マルカン百貨店

 すぐに花巻へ。おひつを持参するジンギスカン店を目指します。ところが、花巻のジンギスカン店のほとんどが夜のみの営業。いきなり2打席連続の空振り三振です。

 しかし、ここでポンタさんの「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」が飛び出します。

「花巻といえば、マルカン百貨店の大食堂ですね」

 月曜日のお昼どき、花巻の中心街は、まさに「閑散」そのもの。歩いている人は皆無に近い状態です。

親子そば
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親子そば

 レトロなデパートの中も、売り場には数えるほどの人しかいません。

 しかし、6階の食堂フロアでエレベーターの扉が開くと、レジ前の行列が待っていました。大盛況。

 洋食から寿司、中華、デザートに至るまで、昔ながらの「デパートの大食堂」です。でも、値段はものすごく庶民的。

 ステンレスパイプの椅子とテーブル、その上の大きな席番号の表示、割り箸立て…。フロアじゅうに「昭和」があふれています

ナポリかつ
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ナポリかつ

 親子そばは、親子丼の「アタマ」がかけそばにのったもの。東京ではありそうで見かけないメニューです。

 ポンタさん推奨のナポリかつは、この手の大食堂にはつきものの洋食セットメニューです。スパゲティナポリタンと薄めのとんかつ、サラダがワンプレートに盛りつけられています

 そしてマルカン大食堂の定番というジャンボなソフトクリーム、180円。かぶりついてはいけません。箸で食べるのが作法だそうです

白金豚
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白金豚

 さぁ、本筋の畜産の取材に入りましょう。

 まず話をうかがったのは、ブランド豚肉「白金豚」を手がける高源精麦の高橋誠社長です。社名からも分かる通り、元々は穀類加工が本業。飼料の配合から一貫体制で豚肉を生産しています。

 安全な飼料に加え、山の湧き水をミネラルがたっぷり含まれた鉱石で濾過して与えています。さらに、母乳に含まれる免疫力が途絶える離乳期の子豚を専用の「離乳舎」で肥育するなど、健康維持にこだわっています。

野外バーベキュー
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野外バーベキュー

 ロース、肩ロースそしてバラ肉のベーコンを試食。歯触りの柔らかさと臭みやべたつきのない良質な脂身に、豚の健康を感じました。

 そして岩泉へ。出迎えてくれたのは「食奇行」のころからの愛読者という早野商店の早野崇さん。地元の方たちと一緒に、店の向かいで野外バーベキューです。

 秋田県の鹿角と沼宮内(岩手町)、玉山(盛岡市)、小川(こがわ、岩泉町)には、それぞれ鉱山があり、朝鮮半島から渡ってきた鉱員が伝えたホルモン料理があります。

「玉山支所前食堂」のホルモン鍋
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「玉山支所前食堂」のホルモン鍋

 ジンギスカン鍋を使う鹿角のホルモン。生産地らしく豆腐などとともにキャベツが入る沼宮内のホルモン。具はホルモンとキャベツと豆腐だけ、大量のキャベツの水分で鉄板焼きがニンニク味の鍋物になってしまう「玉山支所前食堂」はすでに実食済みです。

 今回食べた「岩泉炭鉱ホルモン」は、1960年代半ばに朝鮮半島出身の方が、炭鉱近くにあった食堂で始めたホルモン鍋が始まりとされています。

 ホルモンは事前にボイルしてあり、その分あっさりしています。

岩泉炭鉱ホルモン
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岩泉炭鉱ホルモン

 今回いただいたのは「上あめや」さんのホルモン鍋です。豆腐やキャベツと煮込んであり、辛みを強調したほか、なんと魚介出しでした。

 岩泉のホルモンは、店によって味付けが違うのも特色で、道の駅で確認すると、味噌味のホルモンもありました。

 翌朝は、龍泉洞へ。

 龍泉洞は、日本3大鍾乳洞のひとつで、国の天然記念物に指定されています。洞は知られているだけでも3キロ以上、推定5キロ以上の長さです。

1ヘクタールあたり成牛2頭まで
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1ヘクタールあたり成牛2頭まで

 湧き出る清水が数カ所にわたって地底湖を形成していて、第3地底湖は98メートル、未公開の第4地底湖は120メートルと日本一の水深です。外部の環境に左右されない洞内ということもあり、世界でも有数の透明度を誇っています

 岩泉から田野畑へ。

 田野畑山地(やまち)酪農牛乳の吉塚公雄さんは、東京農業大学在学中に山地酪農を提唱する猶原恭爾博士と出会い、卒業後の1974年、田野畑に移住しその実践に着手します。

山地酪農牛乳
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山地酪農牛乳

 山地酪農は、ひとことでいえば「日本の風土に合わせた自然の酪農」。傾斜山地を切り開いて牧場にし、自然交配によって生まれた牛が、飼料などを一切与えられず、自然の草を食んで暮らし、その乳を搾って牛乳を生産します。

「牛って草食動物なんですよね」

 吉塚さんの何気ないひとことに、目から鱗が落ちました。牛はそもそも穀物を食べない動物だそうです。

 しかし、穀物を与えないと酪農の経済効率は極端に低下します。

田野畑山地酪農牛乳ソフトクリーム
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田野畑山地酪農牛乳ソフトクリーム

 乳牛は栄養を与えれば与えるほど乳の出が良くなり、動物性飼料を与えれば、さらに効率が上がるそうです。それでも、吉塚さんは山地酪農にこだわり続けました。

 1996年に牧場を会社組織に改めて直販を開始すると、次第に「牛乳本来の味」が評価されるようになりました。

 口に含むと、ぱあっと牛乳の味が広がり、のどに落ちた後も、ずっと舌に美味しさが残る、そんな牛乳です。

「産直プラザ尾肝要(おかんよう)」で食べたソフトクリームも、バニラの香りや甘みではなく「牛乳直球勝負」の味でした。

「道の駅のだ」にある「野田塩ベコの道」像
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「道の駅のだ」にある「野田塩ベコの道」像

 1ヘクタールあたり成牛2頭まで。見渡す限りの牧草地をのんびり歩いては草を食み、体を横たえて休む牛たち

「幸せだなあ おい、牛!」

 パンフレットのキャッチフレーズそのままの牧場でした。

道の駅のだ」へ、久慈広域観光協議会の貫牛利一さんを訪ねます。野田塩とそれを北上山地を越え、奥州街道を経て盛岡などへ運んだ「塩の道」についてうかがうためです。

 塩作りは一般に、入浜式や揚浜式など、塩田を使い、太陽光で海水の濃度を高めてから釜で炊き、塩を結晶させます。

直煮で結晶した塩
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直煮で結晶した塩

 しかし、野田をはじめ三陸海岸一帯は、海水をそのまま釜で炊く直煮(じきに)で塩を作ります。海水を長時間火にかけるため、大量の海水を炊く大きな釜や燃料が必要になります。

 なぜそんな効率の悪い塩づくりをしたのか。

 リアス式の地形で、塩田となる広い浜が乏しかった。春から夏にかけて気温が低下することが多く気候が米作に適さなかった。木炭の産地として知られるなど、燃料用の樹木に恵まれていた。南部鉄器に代表されるように砂鉄が豊富で釜を作りやすかった…などなど。

久慈といえば豆腐田楽
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久慈といえば豆腐田楽

 米ではなく塩で年貢を納めるために、たとえ効率の悪い直煮でも、製塩はこの地に欠かせない産業だったのです。

 製塩工房にも案内してもらいました。料理に使うバットのような浅い釜で海水を火にかけ、塩の結晶を取り出します。

 製塩の副産物がにがりです。ここでも目から鱗。

 久慈のあちこちで見かけるのが、豆腐を炭火焼きにして味噌を塗った豆腐田楽。ホルモン鍋にも豆腐が入っていたように、野瀬が取材した盛岡をはじめ、岩手県では、沿岸内陸を問わず豆腐を好んで食べます。

じぇじぇじぇ発祥の地
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じぇじぇじぇ発祥の地

 かつては現在のようにサラサラではなく、結晶した塩を水分を切っただけで俵につめて運んだそうです。牛の背で数日揺られるうちににがりが浸み出し、それが内陸部での豆腐作りに使われたそうです。

 そして肉食が定着すると、塩を運んだ使役牛の南部牛は、肉牛の短角牛へと姿を変えていきます。

 この日は、震災から蘇った小袖海岸海女センターを経由して、久慈泊。駅前の「まめぶの家」で、久慈まめぶ部屋の皆さんと久慈まめぶ汁短角牛に舌鼓を打ちながら、岩手の食談義に花が咲きました。

べこ汁
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べこ汁

 翌日、久慈まめぶ部屋の谷地彰さんに、短角牛について教えていただきました。

 まずはべこ汁で腹ごしらえ。具は短角牛と凍み豆腐、凍み大根。やはり豆腐は欠かせないようです。凍み豆腐は凍ったまま、水分が飛んでいないお豆腐です。出しは使わず、肉を煮込んだ汁に地味噌を入れて味を調えます。

 凍結乾燥の高野豆腐と違い、適度に汁を吸う凍み豆腐の食感がたまらない。

 柿木畜産で、肥育中の短角牛を見せてもらいました。

放牧を待つ子牛
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放牧を待つ子牛

 短角牛(日本短角種)は、民謡「南部牛追い唄」にも歌われた南部牛と明治になってから輸入されたショートホーン種を交配、品種改良を重ねた末に、1957年に日本固有の肉専用種として認定されました。

 肥育の特徴は、自然交配と放牧です。3月に生まれた牛は、5月になると母牛と一緒に放牧されます。放牧地は広大で、市内旧山形村地区にある久慈市営の放牧場は、総面積105.5へクタールもあります。

 寒さにも暑さにも強い短角牛は、このまま、11月まで山で過ごします。

盛岡市営牧場の放牧風景(2012年撮影)
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盛岡市営牧場の放牧風景(2012年撮影)

 今回は放牧が始まる直前でしたが、2012年夏に、盛岡市営の牧場で短角牛の放牧風景を見せてもらったことがあります。

 田野畑山地酪農と同様、牛たちがストレスなく過ごし、のびのび育っているのが分かります。

 雪が積もる間は牛舎で過ごし、繁殖用の母牛に選ばれると3月に再び放牧されます。一方、肥育が決まった牛はそのまま14カ月を牛舎で過ごし、3年目の1月に出荷を迎えます。

立派な体格の種牛
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立派な体格の種牛

 放牧され、牧草を食べていると、肉の味に独特の「くせ」が出てしまうそうです。14カ月の間、国産の乾草や飼料を配合しながら、食用に適した肉質にしていきます。

 元来塩などを運ぶ使役牛だった短角牛は、脂肪が少なくタンパク質が多い、つまり赤身が特徴です。一般に牛肉は「霜降りが美味しい」とされていますが、短角牛はイノシン酸やグルタミン酸が豊富で「赤身でも美味しい」のです。

 種牛の牛舎も見学してきました。

久慈の「ジンギスカン白樺」 豆腐付き
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久慈の「ジンギスカン白樺」 豆腐付き

 種牛は、品種維持のためすべて岩手県が所有し、厳重に管理されています。放牧時期になると生産者に貸し出され、多数の母牛とともに放牧、自然交配を行います。

 お昼は旧山形村のジンギスカン。やっぱり豆腐付きでした。

 最後に、牛が歩いた塩の道を、実際にたどってみました。

 スタート地点は、前日訪れた「道の駅のだ」のすぐ近くです。海辺に塩の道の起点を示す碑があったのだそうですが、残念なことに、津波で流失してしまいました

塩の道 旧道
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塩の道 旧道

 塩の道にはいくつかルートがあって、中には道とは呼べないような険しい所もあり、そのまま山に戻ってしまった場所も多数あります。

 整備された街道なら馬の方がスピードで勝ります。しかし、現在残されている旧道を見れば、踏ん張りのきく牛でないと上れないような急斜面の多いことが分かります。

 道のりの険しさから、奥州街道にたどり着く前に、反対側から来た農作物などの荷と、途中の峠で物々交換することも多かったそうです。

平庭高原闘牛場
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平庭高原闘牛場

 しかし中には、奥州街道を越え、さらに奥羽山脈を越えて塩を運んだ牛もいたそうです。戻ってくる体力はもうなかったのでしょう。牛ごと現地で売られたそうです。

 新潟県山古志村の闘牛で南部牛が活躍しているのは、その名残りです。

 闘牛は旧山形村でも盛んです。隣の葛巻町との境にある平庭高原には、東北唯一の闘牛場があります。牛は群れで行動する際、いちばん強い牛がリーダーになり、他の牛たちが従う習性があるそうです。

奥州街道(手前)から塩の道(右)への分岐点
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奥州街道(手前)から塩の道(右)への分岐点

 旧山形村の闘牛は祭礼などの儀式ではなく、何頭かを連ねて塩を運ぶために必要不可欠な牛の「しつけ」だったのです。

 塩の道は、キャベツのまち・岩手町で奥州街道にたどり着きました。

 帰京後、お土産に買って帰った短角牛に野田塩を振って焼いて食べました。岩手県北の気候・風土・歴史・文化が育み、生産者たちが丹精込めて作ったその味は、舌で感じる以上の感動をもたらしてくれるものでした。

*映像はflashビデオです。一部機種では再生できないことがあります。ご容赦ください。

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