第166回 茨城県実食編 納豆 vs 干しいも モニュメント対決!

特別編集委員 野瀬泰申


霞ケ浦から筑波山を望む

霞ケ浦から筑波山を望む

 2014年1月23日午前9時前、秋葉原駅にいた。茨城県実食の旅はここから始まる。

 つくばエクスプレス(TX)に乗ったことがない。つくば市に行ったことがない。そんな私のために茨城出身の一芸クンが立ててくれた旅程でそうなった。

 秋葉原駅総武線ホームでTXへの乗り換え口を探す。プレートの矢印と人の流れに従って歩いて行ったら、駅周辺のビジネス街に入り込んでしまった。人の流れは乗り換える人々ではなく、単なる出勤の群れだった。考えてみれば乗り換えの人が、途中でコンビニやマックに寄ったりしないよなあ。

 引き返して矢印を再確認すると、広場のような所に行き着いた。駅はどこだ? おー、地下に降りるのか。

 TXの駅は地下駅であることを初めて知った。事前の調査によると9時9分に快速が出る。これだと45分でつくば駅に着くのである。特急並み。

つくばエクスプレスでGo!

つくばエクスプレスでGo!

 改札を通ってホームに向かう。向かいながら一芸クンに電話した。

「9分の快速に乗るけんね」

「じゃあ、10時ちょっと前に着きますね。つくば駅の改札で待っています」

 電話を切ると同時に、通勤客の大群が階段を埋めて上ってくるのが見えた。上り電車が到着したらしい。向かってくる大群は階段の端から端まで広がっていて、私が降りる余地がない。身動きが取れず、大群が行きすぎるのを壁に身を寄せるようにして待った。

 階段が使えるようになったので急いで降りた。ところが「もうホームか」と思うと次の階段で、なかなかホームにたどり着かない。駅は大深度地下にあったのだった。

 やっとホームに到着。それを待っていたかのようにつくば行きの快速が発車した。

「あのさ、快速に乗り遅れた。次の快速で行く」

 一芸クンの鼻で笑うような、ただの鼻息のような音がスマホから聞こえてきた。

 ほぼ30分後の快速に乗車。電車はかなりのスピードで筑波山麓方面に向かっているのだが、トンネルが多くて景色が見えない。都市部の土地を買収する費用と時間を省くために、地下を走っているらしい。

 たまに地上に出ると真新しいマンションが目に付く。TXの開通で沿線が東京のベッドタウンとして開発が進んでいる。

守谷駅

守谷駅

 途中、同じような高さの瓦ぶきの家並みが集まる場所があった。茨城県守谷市である。一時期、城下町であったため町並みが形成され、周辺の田園地帯の中にぽっかりと浮かぶ島のような存在だった。

 しかしTXが開業し快速が止まるようになると「陸の孤島」ではなくなった。逆に都心への近さ、地価の安さなどが注目され、ここにも新しいマンションなどが建つようになった。

 守谷市に住む同僚は言う。

「以前は、駅前に飲み屋もなかったけど、最近はにぎやかになったよ。人口もTXが開通して急増し、いまは開業前の3倍、6万人を超えている」

 そこを過ぎるとまた田園地帯。やがて快速は終点のつくば駅に滑り込んだ。

 改札口に一芸クンが待っていた。

買っておきました。宇宙食「TAKOYAKI」と化石チョコレート

買っておきました。宇宙食「TAKOYAKI」と化石チョコレート

 一芸クンに関して言えば、彼の「AKB48全員の名前が言える」といったところは少しも羨ましくないのだが、髪の毛は羨ましい。真っ黒で真っすぐで大量である。それがもし本物ならば少しわけてくれ。

 何となく駅の売店に入る。宇宙食を売っている。地酒を売っている。

「宇宙食ね。これ売れるんですよ。JAXA(宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センター)に見学に来た人たちがお土産に買って帰るんです」

 売店の女性が言った。私もいまが帰りなら買ってもいいけど、これから旅が始まるところなので荷物は増やしたくない。買わずに見るだけにした。

つくばエキスポセンター

つくばエキスポセンター

 地上に出て向かったのがH2ロケットの模型が出迎える「つくばエキスポセンター」。

 1985年に開かれた国際科学技術博覧会(つくば科学万博)を記念して作られた施設で、当時の展示物の一部も並んでいる。

 中に入ると一芸クンが急に冗舌になった。

「このテクノロジーはですね……」

「ここに展示されているのは、当時としては……」

「一芸クン、つくば科学万博のとき、いくつだった?」

続きはおかわりで!

続きはおかわりで!

「高2です」

「何回来た?」

「さあ。少なくとも10回以上は」

 そうか、そんなに熱心に通ったのか。思い出も尽きないだろうから「おかわり」で書きたいだけ書きなさい

 つくば市は大きな町になったが、もともとは研究学園都市を中心とする人工の町である。従って歴史を秘めたご当地グルメはまだ育っていない。ということで土浦に向かった。

保立食堂

保立食堂

 土浦は水戸街道の宿場があったところなので、いまも旧街道沿いに蔵などが残っている。その辺をちょっと見て、天ぷらの「保立(ほたて)食堂」という店に入った。

 開店は明治2年。いわゆる断髪例や廃刀令が出る前だから、店の人も客もちょんまげだったろうし、武士は刀も差していただろう。風俗はまだ江戸時代であった。そのころの開店というから立派な老舗である。

上天丼。あら汁がつく
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上天丼。あら汁がつく

 私は朝ご飯を食べていなかったので、空腹であった。しかし一芸クンから「保立に行くまで食べてはだめ」と言われていた。ようやくお腹にご飯を詰め込むことができる。

 私は上天丼を、一芸クンは天ぷら定食を注文した。どちらにも「創業明治2年からの味、あら汁」が付く。

 丼からはみ出た2本のエビ。大きなかき揚げ。ぐんぐん食べる。

「最初の食事が揚げ物というのはいかがなものか」

 と思わなかったこともないが、油が軽いから抵抗はない。

天ぷら定食。ワカサギやレンコンも
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天ぷら定食。ワカサギやレンコンも

 店の人に聞くと、この店はもともと「魚屋でした」。それが鮮魚を中心にした食べ物屋になり、30年ほど前から天ぷらの店になったのだそうである。現在は6代目が継いでいる。

 霞ケ浦と河川を通じて土浦は太平洋とつながっていた。だからこそ鮮魚が年間を通じて入ってきていたのだろうし「保立食堂」が人気を博したのであろう。

 店の壁に説明文が張ってある。繭を売りに土浦に来た近隣の農家が、帰りに食事をしたところで、戦時中は予科練の指定食堂になっていて店の2階座敷が家族との面会場所だったという。

 近くには「七つボタンの予科練を偲ぶ」と銘打った羊羹の看板も残っていた。茨城県と旧軍の関係は深い。翌日、そのことを確認することになるが、いまは先を急ごう。

マックスコーヒー ペットボトル入り

マックスコーヒー ペットボトル入り

 JR土浦駅前の商業ビルの1階でマックスコーヒーの500ミリリットルペットボトルを買う。マックスコーヒーは千葉と茨城が主要販売圏であるので、東京のスーパーでは缶入りは売っていてもペットは珍しい。これ、好きなのである。

 そこから川に沿って少し行くと、看板が出ていない店があった。一芸クンが土浦出身者に聞いていた店である。

 今川焼きというか回転まんじゅうというか太鼓まんじゅうといいうか、要するに穴がいくつもある「鍋」でまんじゅうを焼いている。ただきちっと短い円筒形に成型しない。ドテッとかぶせただけなのである。

 まんじゅうの名は「どてきん」。

どてきん
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どてきん

 店の人が言った。

「川の土手で焼いているきんつばだから、どてきん」

「店の名前は?」

「どてきん」

 土浦市民のソールフードであるという。一芸クンが2個買って、店の外で味見する。

「美味いですね。土浦の人はどてきんがないと駄目らしいですよ」

 

レンコン畑

レンコン畑

 土浦から霞ケ浦に向かう途中、見渡す限り水を張った畑が広がる一帯を通った。本編に登場したレンコン畑である。

 立ち寄ったコンビニの向かいに大きな建物があったので行ってみると「JA土浦 れんこんセンター」であった。大きな工場の中で、何人もの男女がレンコンの泥を落とす作業をしていたが、事前の許可を取っていなかったから写真撮影は断念した。だんねんだった。

こいパックン
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こいパックン

 やがて霞ケ浦が見えてきた。琵琶湖に次ぐ広さを持つ湖ながら、有名な観光ポイントがあるわけではなく、どこか地味である。とは言え霞ケ浦大橋から見る湖面は、午後の光を淡くきらめかせて美しい。

 橋のたもとに建つ「道の駅 たまつくり」に入る。本編でも紹介した「行方バーガー」がある。増えすぎたアメリカナマズを食べてしまえということでできたのが「なめパックン」である。

なめパックン
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なめパックン

 ほかに「ぶたパックン」「こいパックン」「かもパックン」がある。

 一芸クンはここでも2種類買って試食した。私は見る人であった。

 直売所には霞ケ浦の魚を使ったものが並んでいる。「鯉甘露煮」がある。釜揚げの「白魚」は湖のシラスといった風情。焼いたワカサギは白くて見た目がいい。

 琵琶湖沿岸でアユ、モロコ、エビなどが幅を効かせていたのに比べると、かなりメンバーの顔ぶれが違う。

なぞの施設

なぞの施設

 そこを出て辺りを見回すと、道路を挟んだ向かい側に不思議な看板を見つけた。

「金魚すくい塾」

 何だこれは。

 ガラス戸越しに中の様子を伺っていると、横の出入り口から男性が出てきた。

「よかったら入って下さい」

金魚すくい塾の塾長、大河正人さん

金魚すくい塾の塾長、大河正人さん

 店内の陳列ケースでは野菜、米、釣り具のほかに菓子とか雑多なものを売っている上に、水槽で泳ぐ霞ケ浦の魚も売り物である。だから「何屋さん」と言い切れないところに加えて、金魚すくい塾なのである。

 店は「天然屋」。テレビ登場多数の店であった。

 経営者(多分)の大河正人さんに聞いた。

「どうして金魚すくい塾なんですか?」

「この近所に金魚を養殖している農家があるんです。バブルのころ金魚は大型熱帯魚の餌として売れたんですが、バブルが崩壊してからはさっぱり。そこで金魚すくいを普及させれば金魚の需要が増えるかなと思って始めたんです」

「壁に生徒さんの名前や成績が張ってありますね」

「毎年、奈良県郡山市で開かれる全国大会に出場しています。みんな頑張っていますよ。それと出張金魚すくいもやっています。車に金魚や水槽を積んで、呼ばれたところに出かけるんです。あしたから沖縄に行きます」

 金魚が大型熱帯魚の餌になっていたなんて知らなかったなあ。

 それと金魚をすくう団扇の孫みたいなやつは「ポイ」と呼ぶことも初めて知った。

「これ、見てください」

タナゴが泳ぐ船

タナゴが泳ぐ船

 大河さんの声で隣の部屋に置かれた舟に寄ってみた。

 舟の中には水が張られ、タナゴの稚魚の群れが泳いでいる。

「舟は強化プラスチック複合材でできているので処理費用がばかにならないんです。そこでこれをもらってきて釣り船にしました。釣り堀じゃなくて釣り船ですね」

 なかなかのアイデアマンらしい。

 何だかわからないが楽しい時間を過ごして茨城空港に向かった。どうして茨城空港? そこは一芸クンの深いお考えがあってのことでしょう。

 空港に着くと、空港ビルの隣に向かった。航空自衛隊で実際に運用されていた戦闘機と偵察機の実物が展示されている。本物ってこんなに大きかったのか。

映画「トップガン」っぽい(?)写真

映画「トップガン」っぽい(?)写真

 そう、茨城空港は官民共用空港で、同時に航空自衛隊百里基地である。

 一芸クンにくっついて空港ビルに入り、展望デッキに出る。

「このガラスの仕切りを見てください」

 言われるままにガラスの仕切り越しに滑走路の方を見ると、不思議なことに横長の仕切りのどこから見ても自衛隊の基地の方だけがかすむのである。

「偏光性のすりガラスです。基地が丸見えにならないようにしたもので、茨城空港ができたとき、このすりガラスの動画をYouTubeにアップしたらもの凄いアクセスがありました」

コレを買ってました。小美玉プリン(500円)

コレを買ってました。小美玉プリン(500円)

「誰がアップしたの?」

「僕です」

 一芸クンはそんなことをしておったのか。

 ところで一芸クン、売店で何か買っていたね。小美玉(おみたま)町の何かだったような。

 空港を後に向かったのが、何と一芸クンの両親が暮らす家であった。鉾田市の北部である。そこで一芸クンの父君と母君が待っていてくれた。

埴生の宿もわが宿です(一芸)

埴生の宿もわが宿です(一芸)

 旧家である。梁が太い。天井が高い。しかし東日本大震災のときに被害を受けて修繕が大変だったらしい。

 座敷に通され父君と話をしているうちに料理が出てきた。重箱の蓋を開けると、な、なんと、本編に登場した「丸めないぼた餅」が姿を現したではないか。重箱に隙間なく詰められたもち米を、これまた隙間なく粒あんが覆っている。わざわざこんな手間をかけて待っていてくれたなんて。

ぼた餅
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ぼた餅

 重箱に箸を入れる。

「もち米は潰しません。やわらかく炊いたものをそのまま詰めます」

 母君の説明である。

 あんこは甘さを抑えて、むしろ塩味さえする。質素というか倹約が常であった時代のごちそうである。

けんちん
<写真を拡大>

けんちん

 お椀に盛られているのは「けんちん」。各種野菜が入った醤油味のお澄ましである。これもかつてはハレの食べ物であった。

 茨城県内のそば・うどんのメニューにはかなりの確率で「けんちん」がある。けんちんそば・けんちんうどんは茨城のご当地グルメではないのか。

 一芸家の座敷に戻ろう。父君から一芸家の祖先は江戸時代の百姓一揆を率い、水戸まで直訴に行った折、初めて白いご飯を食べたというような話を伺っているうちに、本編に出た「正月の餅と鮭」の話題になった。

餅に鮭

餅に鮭

 正月は焼いた角餅と焼いた塩鮭だけだった、というあの話である。

 すると母君が「嫁いできた初めての正月には驚きました。お餅と塩鮭の後に何が出るかと思っていたら何も出なくて」と笑った。

 家では食べるが店には出ない郷土食。取材が最も難しいのであるが、一芸家のおかげでこうして味わい、写真に収めることができた。

ショーケースにたがねもち

ショーケースにたがねもち

 一芸家を辞し、夕闇迫る中、水戸市へと急ぐ。今夜は水戸泊まりである。駅前の大浴場付きホテルにチェックインし、お湯につかった。

 時間が来たので一芸クンとロビーで合流し、約束の場所に向かう。途中の店で「たがねもち」を確認する。丸のまま売っているのは珍しい。けんちんそば・うどんも確認した。

 で、一芸クンに連れられて居酒屋に入ると「いばらき KIZUNA プロジェクト」代表の木下智和さんと、メンバーの太田広子さんが待っていた。

いばらきKIZUNAプロジェクトが企画した「MITOカレーバトル」(2013年10月)

いばらきKIZUNAプロジェクトが企画した「MITOカレーバトル」(2013年10月)

 同プロジェクトは日本最大級の街コンである「MITOコン」を主催するなど、水戸市のまちおこしに取り組んでいる。もちろん、みなさん手弁当である。

 水戸のご当地グルメは何だろうという話題になった。

「けんちんかな」

「いや、そぼろ納豆かも」

 そぼろ納豆というのは納豆と切り干し大根を醤油系の調味料で漬けたもので、元々は家庭料理であった。地元のメーカー数社が「そぼろ納豆」の名前で出しており、東京ではなじみがないせいか「切り干し納豆」という名で売っている。

 南魚沼市の「きりざい」に似た食べ物である。ただし水戸は切り干し大根で、南魚沼はたくあんという違いがあるが。

そぼろ納豆

そぼろ納豆

 これなどはまちおこしの材料になりそうな物件である。

 そんな話をしながら地酒を盛んに口に運んでいると、カウンターにスタッフジャンパーを着た男性の後ろ姿があった。

 一芸クンが気づいて挨拶に行った。明日、行こうかと思っている施設を運営する人であった。私も名刺交換した。

 そこそこ夜も更けて、私の自主門限の時間が近づいてきた。ホテルに戻りテレビでニュースを確認後、ベッドに倒れこんだ。

金色に輝く水戸納豆
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金色に輝く水戸納豆

 翌朝、ホテルのロビーで一芸クンと待ち合わせ。ホテルの玄関を出ると、そこは水戸駅へと続くデッキで、一芸クンが指さす彼方に金色の物体があった。

 近づけばそれは朝の日を浴びて輝く納豆のモニュメントであった。宇都宮駅のギョウザのモニュメントを予算と重量において圧倒していると思われる。

「でも、わらづとに比べると納豆が小さすぎない?」

「いいんです、水戸納豆は小粒納豆ですから」

 朝が早いせいか、納豆の像の前で待ち合わせしている人の姿はない。でも待ち合わせ場所としてはどうであろうか。

「納豆のところで10時に」

 とか言うのかなあ。相手が遅れても、現れるまでネバるのかなあ。

 本日は那珂湊というかひたちなか市方面に行く。具体的な行き先は一芸クンの頭の中にあって、私はついていくだけである。

イモが干されている

イモが干されている

「ここです」

 ひたちなか市内の、昔は中心街だったらしい所で一芸クンが先に歩き出した。前方に大きなガラス張りの建物がある。そこは干しいも会社の工場であった。

 日光が盛大に差し込む工場内に様々な色のサツマイモが干してある。黄色いの茶色いの赤いのとカラフルで、丸のままのものもあれば、スライスしたものもある。

 茨城県のアンテナショップ「茨城マルシェ」のニュースレターが手元にある。題して「ほしいもカタログ」。

青空に映える干しいも
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青空に映える干しいも

「いばらきのほしいもは全国生産額のほぼ100%を占め、日本一を誇ります。中でも、ひたちなか市、那珂市、東海村は、ほしいもの一大産地……冬のこの時期、ほしいも生産は最盛期を迎え、まさに今が旬!」

「ほしいもは江戸時代に現在の静岡県で生まれました。保存食として、また軍隊の野戦食として活躍するなど、その製法は全国へと広がっていきました……茨城県に伝わったのは明治時代後半のこと。那珂湊で生産がはじまり、農家や漁家の副業として定着していきました」

「ほしいもの原料の多くは『玉豊(たまゆたか)』というさつまいもです……もっともポピュラーで人気があります……スーパーでよく見かける『紅あずま』などと異なり、表面が白っぽいのが特徴です……黄色味と強い甘味が特徴の『いずみ』や、繊維が少なくとっても柔らかく仕上がる『玉乙女(たまおとめ)』など、いろいろな種類のほしいもがつくられています」

那珂湊おさかな市場

那珂湊おさかな市場

 私たちがお邪魔したのは明治期創業の「大丸屋」という会社であった。立派な店舗兼社屋の前に、見上げるほど巨大な石像があった。干しいもの像である。しかも包丁が入ってスライスされている。お金かかってるぞー。

 水戸駅前の黄金の納豆像。ひたちなか市の干しいもの巨像。

 果たしてどっちがつおいのであろうか。5分の戦いと言っていい。

 てなことを考えながら旧那珂湊市のお魚市場へと向かう。東日本大震災から1年後に訪れたときは、まだ岸壁が壊れたままだったが、それも修復されていた。平日にもかかわらず、観光バスやマイカーがひきもきらず出入りして、にぎわいもかなり戻っている様子であった。

那珂湊焼きそば大学院の渡辺栄作さん

那珂湊焼きそば大学院の渡辺栄作さん

 目的地はここではなく、近くの春日ホテルのレストラン「浜辺」である。「那珂湊焼きそば大学院」の事務局長、渡辺栄作さんと会うことになっている。

 那珂湊焼きそばは50年の歴史がある。渡辺さんの祖父が浅草でソース焼きそばを知り、何度も通って製麺法や調理法を習ってきた。

 地元で製麺業を始め、試行錯誤の末に独特の麺を考案した。「手延べせいろ蒸し麺」と呼ばれるものである。

 せいろで麺を蒸すとかんすいによって黄色く発色する。それに扇風機の風を当てながら手で混ぜて乾燥させる。こうすると麺はかちかちに固まり、冬場は常温で1カ月も保存できる。水気がなくなっているから、熱した鉄板の上でスープを吸ってもちもちに膨らむ。

「浜辺」の那珂湊焼きそば
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「浜辺」の那珂湊焼きそば

 那珂湊焼きそばの特徴というのは、実はこの麺が全てと言っていい。店によってスープも具もそれぞれである。ただし、この麺は富士宮やきそばの麺に匹敵する強烈な食感を持つ。しっかりとかまなければ飲み下せないほどの強度があり、うどんでいえば讃岐うどんである。うどんと違うのは、麺がスープのうま味を中まで吸っているところ。食べれば一発でわかる。

 この麺を使った焼きそばは那珂湊から大洗にわたって食べられている。

 レストラン「浜辺」の焼きそばは牛肉が入った高級バージョンであった。わしわしかんでゴックン。またまたかんでゴックン。しかしながら、その量の多さに一芸クンを除いて撃退された。

「食べ歩いてみようかな」

 箸を置いた一芸クンが余裕の表情でつぶやいた。

 渡辺さんと別れ、最終目的地へ。今回の旅は笠間市で終わる予定である。

笠間稲荷

笠間稲荷

 私は茨城県実食の旅に出る4日前、愛Bリーグ関東・甲信越支部総会に出席するため笠間市を訪れていた。会議が目的だったので観光の時間はあまりなかったが、それでも笠間稲荷に詣で、付近を散策した。

 笠間に来た以上、笠間稲荷すしを食べないわけになはいかない。門前に並ぶそば屋の1軒に入った。事前に昼食は天ぷらそばとお稲荷さんと決めていたが、一応テーブルの上のメニューや壁の貼り紙を眺めていたら「稲里辛口」と書いてある。

「いなりからくち」

 稲荷を稲里と字体を変えて表現したらしい。

 辛口ということは、茎わさびでも入っているのか。よし、これにしよう。

 注文するため口を開こうとして思いとどまった。貼り紙にはこうも書かれているのに気がついたからだった。

「300ミリ七五〇円」

 げ、お酒じゃん。

 ということで、天ぷらそばと普通のお稲荷さんのセットを頼んだ。

笠間いなり寿司は変り種が特徴
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笠間いなり寿司は変り種が特徴

 お稲荷さんにはマイタケが入っていて、実に美味かった。

 この店には酢飯のお稲荷さんと、そばを詰めたそば稲荷があった。そばがかぶるので酢飯にしたが、十分満腹したのであった。

「稲里」は笠間の地酒「いなさと」であることを、その夜に知った。危うく昼間から酒を飲むところであった。あぶないあぶない。

 そんなことがあった笠間に再び向かう。しかし今度は市の中心部ではなく、旧友部町である。県立病院の敷地に入ると古い建物があって、盛んに人が出入りしている。

「ここです」

筑波海軍航空隊記念館

筑波海軍航空隊記念館

 一芸クンが案内してくれたのは「筑波海軍航空隊記念館」であった。予科練で知られる霞ケ浦海軍航空隊の友部分遣隊として発足し、後に筑波海軍航空隊となった。敗色濃くなると特攻隊がここからも飛び立った。

 建物は元の司令部庁舎で、戦後は県立病院などの施設として使われていたため、奇跡的に当時のままの姿で残った経緯がある。

 小説「永遠の0」の主人公、宮部久蔵が、ここ筑波隊で教官をしていたことになっており、同名の映画では宮部を演じた岡田准一が記念館でいくつかのシーンを撮影していた。その映画の公開を記念して、特別公開されている。

ロケセットを再現した部屋も

ロケセットを再現した部屋も

 前夜、水戸の居酒屋で会ったのは記念館を運営するNPO法人、プロジェクト茨城の代表、金澤大介さんだった。

 金澤さんたちの努力によって集まった遺品や古い写真などが展示されている。金澤さんは言った。

「周辺には地下司令部の跡や供養塔なども残っています。戦争遺跡としては貴重なもので、戦争とは何かを問うきっかけにしたい」

 プロジェクト茨城はフィルムコミッションなど映像文化で地域を元気にしようと頑張っている。

当時の模様を映し出す記録写真

当時の模様を映し出す記録写真

 茨城は印象が薄い県などとも言われるけれど、行った先々で話した皆さんは、懸命に地元を何とかしようと知恵と汗を絞っていた。

 一芸クンとは友部で別れ、私は常磐線の特急、フレッシュひたちの車中の人となった。

 窓外の風景を眺めていると、水戸駅前の納豆像とひたちなか市の干しいもの石像が交互に浮かんだ。

「納豆と干しいもは、どっちがつおいのだろうか」

 再び、そんな疑問がわいたのだった。

(特別編集委員 野瀬泰申)

デスク 来週から石川県編のスタートです。投稿お待ちしています。

★今週のおかわりは「つけけんちんそばで地域に自信 常陸太田市地域おこし協力隊」「わが青春の科学万博」の2本です。ぜひお読みください。

茨城県編(その1) 「いかの煮付け」ではなく「煮いか」

茨城県編(その2) 納豆カレーをどう思う?

茨城県編(その3) 地上100メートルの納豆パフェ

茨城県編(その4) お餅のまん中で「鮭」と叫ぶ


 


●筆者(特別編集委員 野瀬泰申)へのお気軽メールはこちら(tabeb@nex.nikkei.co.jp

2014年2月14日

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