第247回 東京都編「私の上り列車」(その3) おしまいです

特別編集委員 野瀬泰申


東京都

 2010年3月から始まった「食べB」も、残るは東京都実食編と最終回を残すのみ。都道府県別の本編は、今回で最終回になります。ちょっと長くなりましたが、ぜひ、最後までご覧ください。
 今週のおかわりは、来年2月から八戸で開催されるイベントの情報を、デスクがお伝えします
 食べBのFacebookページ(http://www.facebook.com/tabebforum)では、食べBの更新情報や裏話などをゆるやかに発信していますのでどうぞご利用ください(「食べB」へ初めて訪れた方は「食べB入門編」をご覧下さい記事の県別一覧はこちら

2004年のオフ会にて 若い!
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2004年のオフ会にて 若い!

 私が書く文章はこれが最後になった。次回の「みんなで東京実食の旅」は参加してくださる皆さんの合作。「さよならパーティー」リポートは私が書くわけにはいかないので、しかるべき当社社員が書くことになる。

 13年前の2002年11月、「食べ物 新日本奇行」の筆を起こしてから、ほぼ毎週更新してきた。休載したこともあるため、年40週(回)と少なく見積もって、×13年だから520回の連載であった。

 1回の原稿量は平均して400字詰め原稿用紙20枚とすると計10400枚ということになる。これにデスクや一芸クンの原稿も加わるので、11000枚ほどになったろうか。

積み上げると同じ高さ?
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積み上げると同じ高さ?

 それを積み上げるとほぼ富士山と同じ高さ……になるわけないだろう。でも、相当の高さになるのではないか。

 これもすべて皆さんのおかげである。皆さんからのメールがなかったら、1行も書けなかったのである。

 皆さんと同時代人であったこと。それが私の人生で最大の幸運であった。その幸せをかみしめている。

 さて最後の本編。長文のものばかりなので、ちょこっと編集。

【ご隠居プーさん】

紅ショウガの天ぷら
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紅ショウガの天ぷら

 紅ショウガの天ぷらの記事を信州に戻って最初に読みました。それは親父が末期がんで転勤を申し出て、岡谷の工場に赴任した11月か12月辺りでした。
 以来今日まで、欠かさず拝読致しました。私は信州生まれで、就職も地元。転勤で都下に数年居りましたが、皆様のような劇的な食文化のびっくりはありません。
 しかし、同期の友人は大学入学で都内に下宿しました。伊那谷で部活の帰り、毎晩大盛りローメンで腹ごしらえした成り行きで、下宿から食堂に向かい「ローメン」とオーダー。「それ何?」と言われて困ったとこぼしていました。
 本当は、糸魚川−静岡構造線特集でご一緒したかったのです。

伊那のローメン
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伊那のローメン

 東京にローメンはなかった。いまもほぼない。無理。

 久留米の知人が東京の焼き鳥屋に入って「バラ」と注文したら「うちは花屋ではありません」と言われた話とまったく同じである。

 十和田で「バラ」と注文すると、ほぼ間違いなく「ボンジュール」の声とともに十和田バラ焼きが出てくるであろう

 九州に住んでも驚くことは多い。

【小麦粉の違いのわかるおーじさん】

熊本といえば熊本城
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熊本といえば熊本城

 私の住んだことがある地域のなかで、知らないものが多くていちばん面白かったのは熊本です。袋入りかき氷、どぎつい色の(しかも大量の)寒天、ホッケの開きにも甘い醤油、干しタケノコなど。見つけるたびに周りの人に「これは熊本では普通ですか?」と確認して楽しんでいました。
 熊本は醤油だけでなくあんこなども薄味関西人にとってはやたら甘く、地理的には「長崎が近い」からと理解しています。

そしてくまモン
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そしてくまモン

 熊本県人が関西に住めば、まったく反対のベクトルで驚くであろう。

 熊本で思い出すのは夏の天草。タコに竹を通してタコ形の凧のようにし、ずらっと並べて干すのである。それが海風にそよいで美しい光景になっていた。

 タコ→たこ焼き。

【portsideさん】

兵庫県実食編ではたこ焼きの地域差を追った
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兵庫県実食編ではたこ焼きの地域差を追った

 現在57歳。原辰徳や秋元康と同い年です。
 高度経済成長が、生まれてから中学生まで続いた世代です。ジャイアンツのV9は、私の義務教育9年間と重なります。
 両親の出身地は山梨県。私は、当時父が働いていた大阪で生まれ、小学校5年生まで大阪で育ちました。その後、父の転勤で横浜に移り、今に至っています。自分では自分のことを「関西帰国子女」と呼んでいます。
 したがって、私の食の原点は関東由来のもの(例えば、雑煮は澄まし汁で焼いた餅、納豆を食べる)もあれば、関西由来のもの(例えば、そばは食べずにうどんを食べる)とが混ざっています。

明石の玉子焼き
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明石の玉子焼き

 1970年の春に横浜に引っ越してきたとき、食に関してあまり違和感がありませんでした。ある程度関東風になじんでいたからです。
 ただ横浜に来てどうしても違和感があったのは「丸くないたこ焼き」があったことです。
 横浜で見たたこ焼きは、やや深めの穴が開いた鉄板で作るもので、穴の中でひっくり返して丸くせずに半球型で、まるで「オバQ」の頭のような形をした代物でした。
 うまくひっくり返せないからかな? と思いますが、この半球型たこ焼きは1度も食べたことがありません。キャベツを入れるのも嫌ですね。お好み焼きじゃないんだから。
 基本的に、関東で焼いて売っているたこ焼きは、大阪のものとは別物だ、と感じて食べる気がしません。
 そういうこともあって、たまに無性に大阪の食べ物を食べたくなるときがあり、金と時間が許すと大阪まで食べに行きます。

大阪のたこ焼き
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大阪のたこ焼き

 いわゆる釣り鐘型のたこ焼きである。「食べ物 新日本地図」のうち2004年の夏の項に「釣り鐘型たこ焼きはある?」の分布図が載っている。神奈川県はほとんど存在しないことになっているが、レアケースを体験なさったのかも。

 これは焼き型の問題であろう。夜店の「ベビーカステラ」の型を転用したものと思われる。確かにひっくり返す手間は省ける。

 ただし、書いておられるように、関西のたこ焼きとその他地域のたこ焼きは別物である。「出し」が入らないし。

【イカ@丹波出身さん】

吉野家の牛丼
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吉野家の牛丼

 団塊世代の者です、昭和44年上京。
 関西の田舎者には大都会がすべて新鮮でしたが、新幹線東京駅の地下、階段下に「ピッチァ」(当時の表記)の店を発見。そのころ東京でもピザはさほど一般的でなく、もちろん宅配ピザもなく、初体験しました。軽くてチーズ好きの者にはたまらない一品でした。
 駅の改装に伴いお店はなくなりましたが、しばらく上京の際には必ずいただきました。あのころの青春の味です。
 もう一品は高田馬場駅の地下鉄を上がったところにあった牛丼の店。当時確か200円程度だったと思いますが、安アパート暮らしの者には牛にめぐりあえる、貴重な一品でした。それがかの有名な吉野家。これも青春の味でした。
 追記。
 常連の方々の投稿はもはや素人の域を脱しており、大阪の方の旺盛な取材力? には感嘆します。お気に入りは「いけずな京女」さん。この方もするどい文章で、少し「いけずな」印象もありますが、知的で、投稿原稿に感嘆し、楽しみでもありました。

チャブニチュードなピザも食べました
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チャブニチュードなピザも食べました

「ピッチァ」。正確な発音であるような、そうでもないような。

 私は学生時代にピザトーストが好きで、ピザとはあれだと固く信じていた。後に、いまのピザを口にして「あれは何だったのだ」と思ったのだった。

「追記」には同感。一応、文章は日経スタイルに基づいて手を入れさせてもらっているが、どなたのメールも原文は極めて個性的な書きぶりである。

【Jimmyさん】

つゆをそばにかけたら大騒ぎ?
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つゆをそばにかけたら大騒ぎ?

 東京生まれ東京育ちで、上りでもなく下りでもない私が何が東京の味なんだろうかの答えが「ざるそば」でした。
 落語にも多く登場するそば「今何刻(どき)だい」の時そば。噺家が扇子を持ってそばを手繰るところはこちらがゴクリとするくらい美味そうです。よく聞く話で、上りの方がざるそばを注文、出された器のつゆをそばにかけて大騒ぎになったとか。
 下町育ちの友人に言わせると七味はそばにかけるんだとか。とにかくうんちくが多い。そばはそばの味を楽しむためちょっとつけるのが粋ってもんだ、これが江戸っ子だいなんと意気がっていたが、病に倒れて「ああ、最後に汁の中にたっぷりとつけて食べたかった」という話も見栄っ張りの見本ですね。
 お後がよろしいようで。

うどんは出しが命
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うどんは出しが命

「時そば」は上方落語の「時うどん」が原型。東西麺文化の違いそのものを映している。ごくまれに、そばに七味をかけて食べる人を見かける。口に入ればみな同じか。

【hide21360さん】

秋田県実食編では砂糖が入った納豆を食べた
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秋田県実食編では砂糖が入った納豆を食べた

 37年前、私も黒く変色し太いミミズのようなうどんを学食で見たときには仰天しました。同じクラスの人と食事していて思わず「太いミミズ」と言ったら、食べていた女性が箸を置き、もう食べませんでした。
 さて同じ学食での納豆の話。さすがに私が高校のころは、納豆は食べる人こそ少なかったのですが、健康食品としてスーパーにも売られていました。ただ、納豆のパックについていたのは、カラシではなくわさび塩でした。
 うちの母が「かぶれ物」で、嫌がる家族に無理やり食べさせていたので、食せるようにはなっていましたが、上京して学食で食する友人のをみて「ほー」と驚いた記憶があります。
 東京に来たときは、博多ラーメンは六本木の「赤のれん」しかなく、新宿の「桂花ラーメン」で我慢しておりました。在学中に渋谷にリンガーハットができた時はどれだけ嬉しかったか。付き合っていた彼女と「日曜のデートの締めにちゃんぽん」が定番。同じことを考える同郷人も多く、よく同級生と会いました。
 啄木が上野にお国訛りを聞きに行いったようなものでしょうか。

リンガーハットのチャンポン
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リンガーハットのチャンポン

 北部九州出身者は大概、同じ体験をする。私もチャンポン欠乏症の症状が出ると、とりあえず近所のリンガーハットに行って応急処置をするのである。

 久留米は納豆の飛び地の熊本に近い。それもあってか父が好んでいたから、特に抵抗はなかった。しかし毎日食べようとは決して思わなかった。

 いまは発酵食品の力を信じているので、家にいるときはほぼ毎日食べる。薬味を白ネギにしたり青ネギにしたり、塩昆布やかつお節を入れたりと目先を変えている。

【ふこーかけんじんさん】

今はなきブルートレインの車内
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今はなきブルートレインの車内

 私も福岡出身です。大学から東京で、そのままずっと東京です。やはり、東京の黒いうまみのないうどんのつゆには驚愕しました。
 夏休みなど、東京と福岡の往復は「あさかぜ」とか「さくら」とか、いまでいうブルートレインです。東京から福岡に帰るときは夜に東京駅を出て、下関あたりで夜が明けます。下関駅のホームでのわずかな時間に、朝飯がわりにうどんを食べ、やっと九州に帰ってきたな、という感じがしました。
 もちろん下関は九州ではないけど、山口県は九州・山口といって九州の仲間みたいなところがありました。

「気をつけ」して寝台の天井を眺めると
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「気をつけ」して寝台の天井を眺めると

 私も初めて上京するとき寝台特急に乗った。B寝台の上段。「気をつけ」の姿勢でいないと落ちそうで怖かった。

 帰郷も寝台車だった。「あさー、あさー」というアナウンスで目が覚める。窓の外はまだ真っ暗である。山口県の厚狭(あさ)駅に着いたことを知らせるアナウンスであった。

【つかぽんさん】

デスクの得意技「みっつのせ」
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デスクの得意技「みっつのせ」

 佐渡の田舎から東京に出てきて、感動したのは牛丼でした。牛肉なんて大晦日の年越しでしか食べられないごちそうだったのに、それが400円以内で日常的に食べられることに驚きと感動を覚えました。
 立ち食いそばの話もいくつか出てきていますが、私は汁の色よりも出しの香りに衝撃を受けました。実家にいたころは、外でそばを食べることなどめったになく、家で食べるそばの出しは煮干しがほとんどで、たまにアゴの出しだったので、かつお節の薫る出しは珍しく、むさぼるように食べた記憶があります。

山形・河北の肉そばは鶏出し
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山形・河北の肉そばは鶏出し

 いい視点である。基礎調味料の一つ、「出し」には地域差がある。煮干し、かつお節、昆布、アゴなどなど。干しシイタケもあるし、山間部では鶏の場合もある。その差異に味覚と嗅覚が反応したのである。

 私はやはりいい煮干し(いりこ)出しに遭遇すると、懐かしさがこみ上げる。

 この連載を外国で読んでくださっていた方も多い。その中から。

【星のあいすさん】

神戸・南京町
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神戸・南京町

 退職したから「某」は不要になった、東京三菱銀行シンガポール支店(当時)での勤務はコンビニ状態で、シンデレラ帰宅が常態でした。
 真っ暗なオフィス。上司もすでに帰宅。静寂の中、「食べ物 新日本奇行」を読み、堪えきれず大声で笑う私……そんな金曜日でした。
 1人で着任し、激務時代を経て相方に出会い、結婚し、退職し、第2の職場も辞めて、2人で帰国したのが2014年。帰国先は神戸でした。
 父は大阪生まれの神戸育ち。母は鳥取生まれの茨城育ち。私は東京生まれ。父の転勤にくっついて、成人するまでに東京→神戸→東京→広島→京都→神戸と色んな場所に住みました。就職後は自身の転勤で神戸→アムステルダム→東京→シンガポールと移動し、神戸に居を定めたのが昨年のこと。
 食べ物で一番強烈な思い出は東京→広島(福山)在住時、「お歳暮」として鰤1本が届いたことです。私の背丈ほどもある大きい発泡スチロールの箱を開けると、そこにどっしりした魚が!!! 母と2人で市場に担いで行って(本当です)さばいてもらいました。年取り魚が鮭(塩鮭)じゃなくて、鰤だったんですかね。忘れられません。

京都まで東海道も歩いた 少し若い
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京都まで東海道も歩いた 少し若い

 広島→京都も鮮烈です。出てくる料理の量が器(皿や茶碗)に比して、不合理に少ない。パンが美味しくない。お好み焼きにマヨネーズがかかっている。冬になると「蒸し寿司」がある。
 大人になってから東京(←アムステルダム←神戸)で気づいたこと。
「ラーメン定食」「焼きそば定食」「うどん定食」がない。おでんで「ちくわぶ」が幅を効かせている。食べ物じゃないけど、格安チケット屋が少ない。関西では必ず各駅のそばにお店か、格安切符マシンがあります。
「○○電車(阪急電車・阪神電車)」じゃなくて「○○線(小田急線・京王線)」。長い間、「京王線」は「JR京王線」と思っていました。
 一足先に「無職の楽しさ」を知った私からのアドバイスです。
「働かないのって楽しいですよ〜♪」

JR京王線?
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JR京王線?

 転勤に次ぐ転勤である。私も転勤したが国内、それも西日本に限られていたので、足元にも及ばない。

 このように転勤、転居が続くと、異文化への適応力が付くのではないか。読んでいてそんな印象を持った。

 文中、「京王線はJR京王線だと思っていた」という部分、笑いました。気がつかなかったなあ。

 北海道から東京に来ると?

【3月うさぎさん】

ナルトとしなちくとネギと海苔、ほうれん草…
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ナルトとしなちくとネギと海苔、ほうれん草…

 南から上京した方が、ラーメンにびっくりしたようですが、札幌から上京した私もラーメンにびっくりしました。大学を卒業するまで札幌以外に住んだことがなく、社会人になって初めて関東に住みましたが、会社の同期に「ラーメン食べに行こう」と言われて連れて行かれたラーメン屋で、醤油ラーメンを食べてびっくりしました。
 札幌は味噌ラーメンと思われているかもしれませんが、醤油も塩もあります。
 その感覚で、「醤油下さい」と頼んで出て来たものは、素麺が伸びたような色が白めの腰がないふにゃふにゃ緬が、脂が浮いていない醤油味のきついスープに沈んでいて、上にナルトとしなちくとネギとのり(ラーメンに入れるものとは思わなかった)、ほうれん草(味噌汁じゃないのに、なぜほうれん草?)がトッピングされている、という、すまし汁にしては塩味が濃く、色が黒い、不思議な食べ物でした。

東京のタンメン
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東京のタンメン

 ラーメンの緬は黄色くて太めで縮れていて、歯ごたえがある、と思っていた私は、ラーメン屋のおじさんが緬をゆでる時間を間違った失敗作を食べさせられたんだな、と思ったくらいです。
 逆に、30年前の札幌にはなくて、これは美味しいと思ったのが「タンメン」。東京で食べた「タンメン」は炒めた野菜の味が塩味のスープに溶け込んでいて、シンプルでありながら奥行きが深く、こういうラーメンもあるのか……と、ラーメンの奥深さを思い知らされるものでした。
 その他に、東京に来てびっくりした食べ物は、もんじゃ焼き。見た目がお酒を飲みすぎた時のあれ、とか、車酔いした時のあれ、とかによく似ていて、かなり腰が引けた記憶があります。
 しかも小さなコテ(へら?)を持って、鉄板にこすりつけてパクッと食べるという、子ども時代から食べなれていないとできない「技」が必要で、田舎者には難しい食べ物、という印象でした。
 でも、恐る恐る食べてみると、美味しくて、やみつきになりました。

北海道のラーメン
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北海道のラーメン

 北海道のラーメンの麺に比べれば、東京のラーメンの麺は細く柔らかい。いわゆる中華そばである。

 札幌に行ったとき、本格中華料理の店を探したが、あの薄野でついに発見に至らなかった。中華料理は外国船が寄港する港町から入ってきた。中華街がある3都市はすべてそうであり、北海道では小樽がそうである。

 しかし札幌は港町ではないから、中華料理が盛んにならずにこれまで来た。その代わり、独特のラーメン文化が興った。ただしタンメンは中華麺の日本的アレンジなので、北海道で見かけることはほとんどない。東京や横浜のものであろう。

塩味で野菜たっぷり
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塩味で野菜たっぷり

 タンメンは湯麺のこと。つまりつゆそばと言っているに過ぎないが、塩味で野菜たっぷりという約束事ができている。

 名古屋関連を2件。

【門別@北海道さん】

きしめん
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きしめん

 先日、病院で59歳を迎え悲惨な誕生日でした。
 入社当時、横浜勤務と思っていたら、1カ月で愛知は衣浦へ転勤しました。そこで名古屋の思い出。金のないサラリーマンの味方のきしめんは当時1杯200円でした。平たいうどんに鰹節かければきしめん、名古屋の人には怒られるかな。味噌煮込みうどん、あの名古屋の味を再現出来る店は関東にはないですね。
 名古屋の銭湯の出口には必ずと言っていいほど一杯飲み屋があります。厚揚げ、冷奴、板わさ、枝豆くらいしか料理はないのだけど、安くて風呂上がりには最高でした。
 その後、サハラ砂漠に6年、中国、フリィピン、ボルネオ島、ドバイと渡り歩いてようやく上京。長い上り列車でした。

味噌煮込みうどん
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味噌煮込みうどん

 名古屋では銭湯を出たところに必ず一杯飲み屋があるのか。これはいい。

 私は銭湯にほぼ毎日行く。さっぱりして後、一杯やる居酒屋は銭湯ごとに決まっているのだが、いずれもちょっと歩く。先日、目先を変えて初めての店に入った。突き出しも注文した料理もすべて良かったのだが、勘定も5000円とすごく良かったのである。

 そんな訳で「出口近く」の安い一杯飲み屋がうらやましい。

【名古屋のす〜さん】

名古屋の喫茶店といえば
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名古屋の喫茶店といえば

 僕は、大学入学を機に一人暮らしをし始めました。関東(最初は藤沢)でびっくりしたのは、立ち食いそば。名古屋ではカウンターだけの店にもいすは付いてましたからね。
 後は、喫茶店に入っても、おつまみがないこと。18歳のころは、なくても何も言わなかったけど、今なら「何もないの?」って聞くのは間違いない!
 後は、うどんの上に、花かつおがのっていなかったことかな。三河ではにかけうどん。尾張でもきしめんには花かつおがのりますしね。
 次の異動は、岩手県の花巻市へ。このときは、工場付随の施設で仕事をしていたのですが、 現場では汗をかくからか、交代で味噌汁を作るのが習慣となっていました。

おでんも味噌で
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おでんも味噌で

 米味噌で味噌汁を作ると「おまえの味噌汁は、出しが濃すぎて味噌の味がわからない!」と、地元出身の現場の人に言われました。
 豆味噌文化圏では、味噌煮込みにしても、うどん、きしめんにしても、ムロアジ、宗田節など、濃く煮出す出しを使ってます。その影響かな?

にかけうどん(名古屋のす〜さん提供)
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にかけうどん(名古屋のす〜さん提供)

 豆味噌、たまり醤油、ムロアジ。中京圏の味を規定する要素である。温かい麺類に花かつおもそのひとつ。その辺りがしっかり認識されたメールである。

 花かつおはカビをつける前の「荒節」を削ったもの。カビ付けを繰り返してた「本枯れ」を削ったものが「削り節」である。

 東京には全国の食べ物が集まるが、それって本物?

【LazyFiddlerさん】

もんじゃ焼きマイスター? やや若い
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もんじゃ焼きマイスター? やや若い

 京都から初めて箱根の関を越え、東下り(「上京」でなく)したのは45年前のことです。なにか関西流のものが食べたくなったころ、下町をぶらついていたら1軒の食べ物屋ののれんに「関西風お好み焼き」と書いてあったのを見て狂喜し、早速入って注文したところ、アルミのカップに盛られたものは同じように見えても、いくら焼いても少しも固まらず、あまつさえひっくり返すコテがあまりに小さく、同行した友人と「やっぱり東京はお好み焼き後進国やなー」とぼやきあったものです。
 今にして思えばそれは「もんじゃ焼き」だったのでしょうが、のれんの文字も注文したものも「関西風お好み焼き」であったことは確かなんですけど……。
 その後10年ほどして転勤で赴任した東京は全国の「本物」が集まる町で、たこ焼きもお好み焼きも正真正銘の本物でした。今ではたぶん世界中の「本物」が集まる街になっているのでしょうが、食べ物のように「風土」と密接に結びついたものは、食べ物だけ本物でもやはり東京というショーケースの中に置かれた展示見本、ということになるのでしょうか。

久留米にて ラーメンもチャーハンもフルサイズ
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久留米にて ラーメンもチャーハンもフルサイズ

 45年前の東京で「関西風お好み焼き」の店を出した店主は、関西のお好み焼きを食べたことがなかったのではないか。「いろんな物を入れて混ぜて焼く」ことしか知らず「なんだ、もんじゃ焼きと同じだな」と思ったのであろう。けしからん話である。

 中野の駅前の店で「久留米ラーメン」ののれんを見て飛び込んだことがある。店主は目の前で袋麺を鍋に入れ、トッピングはなんと薩摩揚げ(天ぷら)であった。聞くと沖縄出身で「いつか久留米でラーメンをたべてみたい」と言い放ったのだった。

【MAYさん】

納豆に焼きのり ザ・朝食
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納豆に焼きのり ザ・朝食

 福岡を中心に北九州や広島へと転勤族の実家から離れ、スケートのため中学から久留米に、そして郡山へ集団移住した青春時代。
 4:30からの早朝練習を終えての朝食。パン食が多かったのですが、ご飯とのりが出たときに、なんと醤油をかける輩を目撃。しょっぱいのりにさらに醤油っていったい??と混乱する私の口に入ったのりは味がしないっ!そうです。普段食べ慣れているのは味付けのり。焼きのりを常食してなかった私には驚きの味でした。納豆もこのときに覚えた味ですね。
 就職して東京に住むようになって驚いたのは、スーパーの牛肉売場が少ないこと。友人にカレーを振る舞って「今日は豪華なカレーだね」と言われて意味がわからず、こちらは豚肉食であることを知りました。

東京では豚肉がデフォルト
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東京では豚肉がデフォルト

 肉じゃがが豚なんて信じられない! ヒレカツは牛に決まってるでしょ。と思っておりました。いえ今も思っております。
 そして豚まんに酢醤油が付いてこないこともビックリ仰天。練りからしもないのか、嗚呼、店員さん忘れてるんだきっと。ねぇそれとも豚まんの神が私を見放したの?と小心者の私は聞くこともできずに家で酢醤油を付けて食べておりました。しかも豚まんじゃなくて牛肉じゃないのに肉まんだし…。

「肉まん」には「ウスターソース」(デスク)
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「肉まん」には「ウスターソース」(デスク)

 そうなのである。九州というか西日本では味付けのりが主流で、家でつくるおにぎりも味付けのりで包む。東日本では味がついていない焼きのりが主役となる。

 私は味付けのりでも焼きのりでも醤油をつけるので、子どもたちから不思議がられていた。いまは子どもが全員独立したから、誰はばかることなく醤油を付けている。

 豚まんには酢醤油。これは譲れない。

 長くなったが、最終回のためもう少し。

【豊下製菓の豊下さん】

身延山久遠時
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身延山久遠時

 昭和36年の夏休みだったと思います。身延山から七面山へ、下山してそのまま東京は池上本門寺へ。
 同行していたのは祖母とその信仰仲間。恐らく東京へ向かう車中で食べたのは汽車弁でした。池上では大黒堂の内陣で雑魚寝したので、お江戸食の1食目はあんパンと牛乳ではなかったかと思われます。
 昼ご飯は、これは恐らく玉子丼。大阪でなら昼の外食はキツネうどんか玉子丼だったので、三越の「浪花美味いもの会」で何度もお江戸食を経験している祖母の選択としては、今から思えば妥当でしょう。そのまま東海道線で帰阪したので、夕食は浜松のうなぎ弁当(これは当時の決まりごと)。
 このお参り旅行での食の記憶は、身延線への乗換の合間に啜る富士宮駅の駅そば、身延と七面山での精進料理と、身延駅前の食堂で食べた「ほうとう」、うなぎ弁当に添えてあった「紫蘇巻きの甘味噌」なので、この折はお江戸食の洗礼は受けなかったことになります。
 下って昭和38年、中学校の修学旅行はおきまりの箱根・日光とお江戸。お江戸は九段会館に泊まったのだけれども、おかずの焼き魚が背が手前で皮が下だった事しか覚えていません。
 ませたヤツがジュークボックスでビートルズをかけ、30円か35円だった自動販売機のコカコーラを付き合わされました。その強烈な炭酸とビートルズが飴屋の世界への上り列車だったことになるか。

うなぎを食べるぞ
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うなぎを食べるぞ

 豊下さんは多分、私より1歳上。その方が昭和30年代に玉子丼とかうなぎ弁当を食べていたと知って、驚いたりうらやましかったり。

 そのころの私は父親が釣ってきた川魚ばかり食べていたのであるが、父親の釣果の中にうなぎは入っていなかったのである。もし入っていても母親はさばけず焼けずで、いったいどうしたであろうか。

 次のメールが最後である。長文のメールの冒頭に「ほとんど私信」とある。じっくり読んだ。居酒屋のカウンターで酒を酌み交わしながら「若いころは」などと話しているような文章である。後半部分の一部を紹介するが、筆者の視点が点から面へと広がる過程がよくわかる。

【半ライス大盛り/中林20系さん】

夜の銀座・中央通り
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夜の銀座・中央通り

 進学という、よくあるパターンで下関から上京したのは80年代後期。バブル経済へのスタートを切った当時は「地方イコールダサい」というか、ただそれだけで理由なく嘲りの対象となったものでした。
 稼いだ金で自分を飾り立てて、さも東京者であるかのように装っても、結局はあの粉モノには全く食指が動かず、あのおでん種に関しては謎が深まるばかりで…東京って何なんだ?と。「東京だけが全てなのか」という疑問は肥大し続け、それが後の放浪の旅へとつながりました。
 各地で出合う観光客向けではない地元文化は常に新鮮で感動もので、分割でしたが全国を回り終えるころには各地の文化とともに食の方言を痛感し、東京者になるとかならないとか、すでにどうでもよくなってました。

隅田川と永代橋
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隅田川と永代橋

 むしろ、長年帰省してなかった故郷も旅人目線で見れば面白く、それ以降は人並み以上に帰省するようになりましたし、東京もまた新たな視線で楽しめるようになりました。
「ニッポン者に俺はなる!」みたいなもので、東京どころかニッポンそのものが面白すぎる!と。
 そしてその時期、「食奇行」とオレンジ色の書籍に出合い、今に至ります。食の方言が気になってるのは俺だけじゃなかったんだ!と、ある種の孤独感から救われた気もしました。
 あの粉モノには食指が動くことなく、あのおでん種を買うことさえ止めて10年以上になりますが、それはそれで食文化なのでは…今はとりあえず、それを結末ということにします。
 ヒマと路銀が許す範囲で放浪の旅は今でも継続中です。これは止められませんよ。リタイア後の野瀬さんにもお薦めしたいです。
 会社員な皆さんとは違った人生を歩んでる私ですが、そういう人もこのサイトを楽しんでましたよ、ということで。

東京
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東京

 コメント不要。続きは商店街でばったり合った後、駅前の大国屋で(私信)。

 校了後もメールをいただいたが、更新時間目前で紹介しきれない。あまロスさん、YKヒルビリーさん、ちりとてちんさん、しっかり拝読しました。ごめんなさい。

 ももさん。英国からメールをありがとうございました。

 そんな訳で、本編を終了します。

 長い間、皆さんには本当に助けられました。お世話になりました。深く感謝しつつ、幕を閉じたいと思います。

(特別編集委員 野瀬泰申)


電子書籍「文学食べ物図鑑(上)」発売

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 本書(上)には、1〜11回を収録しています。お求めは、日経ストアから

 今後、(中)(下)も出版予定です。ご期待ください。


★今週のおかわりは「真冬の八戸でブイヤベースを」です。ぜひお読みください。

東京都編「私の上り列車」(その1) トンカツにカラシをつけますか?

東京都編「私の上り列車」(その2) 武蔵野うどんを「肉汁」で

東京都実食編 武蔵野でうどん、都心の老舗、下町は商店街


 


●筆者(特別編集委員 野瀬泰申)へのお気軽メールはこちら(tabeb@nex.nikkei.co.jp

2015年12月11日

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