第46回 兵庫ご当地グルメ(その3) チワー、宅釘煮便です!


佐用、水害からの復興とホルモン焼きうどん(一芸)

佐用ホルモン焼きうどん
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佐用ホルモン焼きうどん

 兵庫県西部、岡山との県境にある佐用町。澄んだ空気に包まれた山間の静かな町を大規模水害が襲ったのは2009年8月のことでした。死者18名、行方不明者2名、全壊138棟、床上浸水156棟。およそ1年半が経過した今も、町のあちこちに家屋を撤去した空き地が目立ち、痛ましい記憶をとどめています。

 佐用のご当地グルメといえば「ホルモン焼きうどん」。ホルモンとうどんを鉄板で炒め、つけダレにつけながらいただきます。戦後間もないころから親しまれてきたこの一品は、水害のときも佐用の人々を、変わらぬ味で励まし続けていました。


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依田吉充さん

依田吉充さん

 「被害甚大」――2009年8月9日23時10分。佐用の獣医師で、西播磨一帯における地域活動のリーダー的存在である依田吉充さんは、地域のSNS(交流サイト)「さよっち」にそう書き込みました。


堤防が決壊した佐用川。この150mほど下流で千種川と合流している(2009年11月撮影)
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堤防が決壊した佐用川。この150mほど下流で千種川と合流している(2009年11月撮影)

 この夜、依田さんは家族と自宅で過ごしていました。猫が雨の中で鳴き続けているのを不思議に思い外に出てみると、側溝の水がせき止められて吹き上がり、周辺の住居に浸水する寸前。これはまずい、と依田さんはまちおこしの仲間を集め、溝を塞いでいるブロックの塊などをひとつひとつ取り除いていきました。

 作業を終え、自宅に戻った依田さんはSNSで被害状況を報告。「今は小康状態 このまま終わってくれたらいいが……」という祈るような言葉で結びました。


浸水した保育園、倒れたカーブミラー(2009年11月撮影)
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浸水した保育園、倒れたカーブミラー(2009年11月撮影)

 水害の2カ月後、私は佐用で依田さんと初めてお会いしました。東京で行うシンポジウムで、この時の体験を話してほしいと頼みに行ったのです。依田さんは快諾し、せっかく佐用に来たのだからホルモン焼きうどんを食べに行こう、と誘ってくれました。まだ町には生々しい傷跡が残っていましたが、ホルモン焼きうどんを食べに来ていた家族の笑顔に、どこかほっとしたのを覚えています。


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 今年2月末、自分は久しぶりに佐用を訪れました。ホルモン焼きうどんでまちおこしを進めている「佐用ホルモンうどんくわせ隊」を発足時から支えている、千種和英さんの話を聞くためです。ホルモンうどんくわせ隊は2002年の結成。「焼き隊」(実際にイベントなどで調理し、提供する)「ひろめ隊」(企画・広報を担当)「またき隊」(ファンの人たち)で構成されています。実働部隊である「焼き隊」は、町が福祉政策の一環として開いたシニア男性向け料理教室に参加した人たちが中心メンバーとなりました。当時すでに平均年齢60歳を超えていたため、現在は70オーバー。ですが元気に各地のイベントに出かけて行っては、ホルモン焼きうどんをふるまって佐用をPRしています。

千種和英さん

千種和英さん

 「そもそも『ホルモン焼きうどん』なんて言葉はなかった。単に「ホルモン」といったら、鉄板でうどんと一緒に炒めるものなんです」と千種さん。焼肉のように網でホルモンを焼いたり、もつ鍋にして食べるのをテレビで見て「ふーん、変わったホルモンの食べ方もあるものだな」と感じていたのだとか。

 ホルモンうどんくわせ隊は、B−1グランプリを主催するB級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(愛Bリーグ)の準会員ですが、B−1グランプリに出展したことはありません。しかし10年前から「B級グルメは地域の情報を発信するための強力なツール」と位置づけ、料理を売り込むのではなく、あくまで「まちおこし」を念頭に活動する千種さんの姿勢は、多くのB級ご当地グルメ関係者に影響を与えてきました。

商店街にはためく、ホルモン焼きうどんののぼり
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商店街にはためく、ホルモン焼きうどんののぼり

 だからこそ、千種さんは今のB級ご当地グルメブームにあえて警鐘を鳴らします。「夏祭りのようなイベントの代わりにB級グルメで人を呼ぼう、という発想も分からなくはありません。しかし、地域に根ざしていない取り組みは決して続かない。地域づくりは、地域再生の取り組みでもあることを肝に銘じるべきです。もし成功しても、それが一過性のブームで終わってまた町がさびれたら、今度こそ立ち直れないことになる」。

 短期的な効果を求めるのではなく、じっくりと腰をすえてまちおこしに取り組むホルモンうどんくわせ隊。「10年かけて、ホルモン焼きうどんを佐用が誇れる文化として育ててきた。今後5年経っても、10年経っても、変わることはない」と千種さんは胸を張ります。


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 千種さんたちとホルモン焼きうどんの老舗「一力」を訪ねました。ファンの多い人気店だそうで「水害のときも知人から『大丈夫ですか』って連絡が来たので『ありがとう、心配してくれて』と言ったら『違う違う、一力さんが』って。何やそれ」と笑う千種さん。

 ノスタルジックなたたずまいの店内には、大きな鉄板を囲むテーブルが1台のみ。そこで人数分のホルモン焼きうどんをまとめて作ります。もくもくと煙を立てながらまずホルモンを炒め、やがてうどんが参戦。できたてを鉄板から直接箸ですくいあげ、つけダレにつけてから口の中へと運びます。

ホルモン焼きうどんの老舗「一力」
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ホルモン焼きうどんの老舗「一力」

 店主の田原愛子さんは水害の夜、自宅で店のことを案じていました。被害の状況が分かるにつれ「小さい店だし、もう流されちゃったんだろうなあ」とあきらめかけていたそうです。しかし翌朝、外から戻ってきた家族が「お店、あったぞ」と一言。駆けつけてみると、周囲で大きな被害が出ている中、奇跡的にわずかな浸水だけで済んでいました。


ホルモン焼きうどんを作る田原愛子さん(右)
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ホルモン焼きうどんを作る田原愛子さん(右)

 すぐにでも営業再開できそうでしたが、肝心の材料がありません。特に麺は、佐用の商店街にある「平谷製麺所」のものを使うのがこの店のこだわり。その平谷製麺所は床上浸水で大きなダメージを受けていました。田原さんも掃除の手伝いに行きましたが、まだ麺は作れそうにもありません。

 すると田原さんの娘さんが「ほかの麺でもいいから、ホルモン焼きうどんを作ろう」と言い出しました。まだ多くの民家では食事を救援物資のおにぎりや菓子パンに頼っている状況でした。なじみ深い地元の味を届ければ、みんなの励みになるはず、と考えたのです。

 市販のうどんを使って作れるだけ作り、パックにつめて娘さんが各家庭に配り歩きました。千種さんもそれを受け取った一人で「めちゃくちゃうまかったですよ」と振り返ります。子供たちも奪い合うように食べたそうです。ですが田原さんは「いつものうどんじゃないし、何だか気が引けてねえ……」とあくまで控えめなのでした。

 田原さんたちの協力もあり、製麺所は月内に操業を再開。復興に向けて歩み始めた町の人々に、明るい話題を提供しました。


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 一力のホルモン焼きうどんを堪能したあと、「画廊喫茶 亜都里絵」でコーヒーを飲んでいると、市外のイベントに参加してきたホルモンうどんくわせ隊のメンバーが、そろいのジャージ姿でさっそうと帰投してきました。

有本宏郎さん

有本宏郎さん

 「イベントで『これ食べに佐用へ行ったんだよ』なんて言ってもらえると嬉しいね」と話すのは、隊長としてメンバーをまとめる有本宏郎さん。彼からいただいた名刺には「ホルモンうどんくわせ隊 隊長」という肩書きのほかに「まちかどカメラマン」とあります。まちかどカメラマンとは、ケーブルテレビの「佐用チャンネル」で番組づくりを担うボランティアスタッフのこと。千種さんもその一人です。

 有本さんは水害発生後、道路の復旧作業に従事しながら、復興に全力で取り組む住民やボランティアの姿を撮影し続けました。そこには、店舗の掃除などを率先して手伝う地元・佐用高校の生徒たちの姿もあったそうです。

水害直後、避難所や町の様子を取材する有本さん(2009年8月、プリズム提供)

水害直後、避難所や町の様子を取材する有本さん(2009年8月、プリズム提供)

 当時、有本さんとともに被災地を取材したのが岸本晃さん。彼は全国に広がる「住民ディレクター」活動の創始者です。住民ディレクターとは、地域住民が映像番組の企画や撮影・編集ノウハウを会得し、地域の情報発信力を高めていこうとする取り組み。岸本さんは有本さんとの取材をこう振り返ります。「被災した方々にカメラを向けることにはためらいもありましたが、有本さんの取材には皆快く応じ、時に笑顔さえ見せながら、本当の気持ちを語ってくれました。ホルモンうどんくわせ隊をはじめ、日ごろから地域に貢献し、水害のときも自分が被災していることを省みず町の復興に励む。そうした有本さんの『人間力』があのような取材を可能にしたのでしょう」。


岸本晃さん

岸本晃さん

 同じ年の11月に行われた「佐用町復興フェスティバル」でもホルモンを焼いた有本さん。「佐用と言えばホルモン焼きうどん、と言ってもらえるようにしたい」と、くわせ隊のメンバーと一緒に活動を続けています。


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大阪と佐用を結んだネット中継イベント(2010年8月、プリズム提供)

大阪と佐用を結んだネット中継イベント(2010年8月、プリズム提供)

 住民ディレクター活動に奔走する岸本さんは兵庫県加古川市の出身。彼は水害から1年が経過した2010年8月、ある試みを提案しました。それは大阪市北区にある、ホルモン焼きうどんが売り物の居酒屋「テン」で定期的に開かれている佐用復興支援ボランティアの交流会を、佐用町にインターネット中継しようというものです。動画の生中継サイト「Ustream(ユーストリーム)」、ミニブログの「ツイッター」、無料音声通話ソフト「スカイプ」などを駆使して実現しました。「ボランティアの方々と地元の人たちとが、もっと身近な関係になってくれれば」というのが狙いでした。

 佐用出身の三枝雄子さんが開いた「テン」では、比較的細い麺のホルモン焼きうどんを味わうことができます。これは「子供のころ食べていたホルモンうどんは細かった。それに太いと箸ですくったときに“しなり”がないので、汁が周りに飛んだりする」という三枝さんのこだわり。うどんについては一過言あります。

居酒屋「テン」(大阪市北区)の店内とホルモン焼きうどん
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居酒屋「テン」(大阪市北区)の店内とホルモン焼きうどん

 「佐用のホルモン焼きうどんは、鍋のようにみんなで鉄板を囲んで食べるもの。人と人とをつなぐ料理だと思います」と三枝さん。水害という悲しい出来事で有名になってしまったけれど、これからは食べ物を通じて佐用のことを知ってほしい、と張り切っています。

 この店で、復興ボランティアの関係者が交流会を開くようになったのは水害の翌月から。呼びかけたのは、大阪からボランティアに参加していた内藤勝さんでした。内藤さんがSNSに佐用の様子や自分の考えを書き綴っていたのを三枝さんが読み、交流会の開催が決まりました。「水害以降、複数のSNSで佐用の復興について話し合われていました。そうした人たちに集まってもらうことで新しいアイデアが生まれるかもしれない。そして、佐用出身の三枝さんの店で開催すれば、佐用の方々とも意見を交わすことができる、と考えました」と内藤さんは振り返ります。

 ホルモン焼きうどんをはじめ、佐用の食材を使った料理を味わいながら佐用への思いを語り合う交流会は現在も続いており、すでに20回を数えました。「ここで生まれた人と人とのつながりを、これからも大切にしていきたい。私たち大阪に住む人間も、復興にがんばっている佐用から学ぶことが多いんです(内藤さん)」。


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水害の記憶を風化させまいと、千種さんらが作成したステッカー
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水害の記憶を風化させまいと、千種さんらが作成したステッカー

 今回、久しぶりに佐用の町を歩き、2つの気になる「張り紙」を見つけました。ひとつは、千種さんが事務局長を務めるまちおこし団体「空き缶でもうけてもええ会」が発行したステッカー。「がんばろう佐用町」という文字とともに「台風9号集中豪雨による冠水水位を示しています」と書かれています。これを、水に浸かった建物の壁面などに貼り、水害の記憶を鮮明にとどめようという取り組みです。


佐用高校を卒業していく生徒に向けられた、商店主からの感謝のメッセージ
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佐用高校を卒業していく生徒に向けられた、商店主からの感謝のメッセージ

 そしてもう1つ。高校の通学路になっている商店街のあちこちで見かけた、佐用高校生の卒業を祝うとともに、水害後のボランティア活動をたたえ、感謝するメッセージです。それぞれの道を歩き出す若者たちの心に、大きな誇りをもたらしたことでしょう。



>> 今度は応援する側に――佐用の物語は続く 次ページへ進む

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